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LNJ Logo 韓国:[映画レビュー]〈誰も見ない夢〉女性労働者、あるいは女工
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女性労働者、あるいは女工、誰も見ない夢

[映画レビュー]ホン・ヒョウン監督の〈誰も見ない夢〉

フェミ(毀米)ニスト 2012.03.30 15:50

「今も『女工』があるのか?」

同じ大学の『工大生』だった私の友人は、自分たちを『コンドリ』と呼んだ。 『コンドリ』が示す対象が、いつのまにか『工場労働者』から『工科大学生』 に変わったのか、あるいは最近は工場の労働者も『大卒者』だからか... いず れにせよ、大学進学率が80%の時代、『コンドリ』も『高学歴者』になりつつ あるようだ。私の周囲が言う『コンドリ』は、せいぜいこの程度の用例である。 そして、映画の中の女性労働者が語るように、私にも『女工(コンスニ)』とは、 「大きくなって『女工』なりたくなければしっかり勉強しろ!」という大人の 『脅迫』の中で時々聞くような言葉だった。あるいは、いよいよ私もその80%の 隊列に入り込み、大学の水を飲み、労働運動史を学んで接した一つの呼称とし て聞いた言葉だった。しかし「私の名前は女工ではない」という言葉を残して 殺人的な強度の労働に死で抵抗した労働者がいる程、『女工』は工場労働者の 無視と社会的差別を含んでいたので、われわれは『女工』という言葉をタブー 視した。ところが今になって、その呼称の禁止が工場労働者の『存在』までも タブー視させたのではないかと問われるようになる。労働者、そのまま労働者 ではなく、『女性労働者』の存在を前面に出し、彼女たちの声を盛り込んだ 映画がホン・ヒョウン監督のドキュメンタリー〈誰も見ない夢〉だ。

訳注: コンドリは男、コンスニは女の低賃金と悪条件の中で働く工場労働者を意味する言葉で、見下すようなニュアンスを持つ韓国の俗語。

[出処:〈誰も見ない夢〉画面キャプチャー]

『主観的』に盛り込んだ亀尾の風景

通勤バスに乗って工場と家を行き来する女性たち。夜が深まるほど派手になる 歓楽街と看板の中の女性たち。掘り返される川。工場のストライキ座込場。 街頭演説でお辞儀をする保守与党の候補... 1年間、慶尚北道の亀尾で工場暮らしを して出会った女性たちにインタビューしたこの映画について、監督は自分の主観 が深く反映されていることを強調したが、私はむしろどんなテキストでも純粋に 客観的ではありえないと強調したい。撮影対象が何で、誰か、途方もない分量の 撮影内容から何を選び、どう構成するかは、すべて監督の役割なので、主観的に ならざるをえないから。そして私は、よりによって亀尾で、よりによって 若い女性労働者を撮影し、よりによって諸々の場面を集め、二時間近いフィルム として完成したこの映画を再び主観的な私の解釈で読む。

高等学校や大学を終えて、あるいは学業途中に工場に行った女性たちがいる。 すべての人々がそうであるように、学費を稼ぐため、家族の生計のため、何よ りも『私の生』のために、彼女たちは工場に行った。共稼ぎ夫婦という理由で 退職一順位になり、会社の『経営難』という言い訳で解雇され、生産ラインの 外注化計画と民主労組弾圧に押し出され、工場から追い出される労働者たち。 そればかりか、作業環境で発生する有害物質に無防備にさらされ、命をかけて 働かなければならない労働者たち。人が死んでも微動だにしない企業と政府。 すでに私たちが97年の外国為替危機の時から見てきた現実で、この現実は双竜車、 コルトコルテック、亀尾KEC、ユソン企業、サムスン半導体など、多くの事業場で 今も進行中だ。ますます深刻になる雇用の不安定化は地域と事業場を問わず 押し寄せる。

だがその望みは、『女性労働者』の方にさらに苛酷だ。雇用の不安定で生産の 現場への資本の統制も強まり、電子産業の生産ラインは統制がしやすい女性の 非正規職労働者で満たされる。未組織の労働者たち。だから大工場の男性労働者 とは違う思考をするほかはない労働者たち。管理者による統制方式により性的 羞恥心を感じなければならない労働者たち。それが女性労働者だ。『労組』は 最初からなく、不当な不払いにも、解雇されるなら戦うと考えるよりも、まず 仕方がないという諦念に陥り、組長のようなやつらがセクハラをしても、雇用 継承のためにじっと我慢しなければならない、だから資本の立場では 『扱いやすい』若い女性労働者たちなのである。

私たちが学んだ、国家と資本があれほど宣伝する『電子都市亀尾』は、管理者 に急き立てられながら、物量によって残業特別勤務と無期限休職を繰り返し、 不安定な雇用に自身の人生を任せる女性労働者の血と汗で作られたところだ。 電子都市亀尾を本当に象徴するのは、どこかの『立派な企業』が達成した輸出額 と利益の大きさではなく、まさにこれらの女性労働者であるべきだということを この映画は見せるようだ。

PROPAGANDA、連帯の宣伝

今、市庁前の希望広場には、整理解雇と非正規職撤廃に戦う各地の闘争事業場 の労働者が座り込みをしている。そこに亀尾KECの労働者も一緒にいる。2009年 から経営赤字を口にし、労組との交渉を混乱させ、職場閉鎖を断行して、金属 労組の組合員を解雇したKEC。勤続年数が10年内外の労働者に会社が「あなた方 は高賃金者」と絶えず強調したという事実は、伝え聞く私としても心苦しさと 威嚇を感じる。『高賃金』に感謝してすべきなのか、『高賃金者』だったこと を申し訳なく思い、すぐこの会社から出ていくべきか... やはり会社は計画的に ストライキを誘導し、それに備えてあらかじめ物量を合わせて『正規職0%』の 工場を作る手順を踏む。彼らが言う経営難と赤字状況の中でも役員の報酬は 40%以上、多くは300%以上引き上げられ、会社は100億ウォンの賃金削減が 不可避だと言いながら、3000億ウォンもの不動産開発を計画している。

監督がカメラに入れた亀尾の風景には、KEC労働者の座り込み現場がある。民主 労組の弾圧と生産ラインの外注化(非正規職化)に反対する闘争。地域最大の懸案 にならざるをえず、ますます深刻化する雇用の不安定化と民主労組弾圧という 全国的な連鎖を断ち切らなければならない所がKECだ。

争議の現場に必ず登場するがっしりした用役たち。皆同じ黒い服を着て、同じ ところに立って、もう区別もできない用役と戦闘警察(警察)が私たちを(カメラ を)見つめる姿を見ていると、政権と資本はいつものようにグルだという事実を 改めて思い出す。この世はあれこれ考えれば、強そうな男性は資本を保護する 場に、女性は安い消耗品を使うように利益を創出する場に動員するような世の 中だ。

妙なことに、掘り返される川と地域候補の選挙遊説のような『突然な』場面を 見ていると、現実の代議民主主義がいかに私たちを欺き無視するのか、彼らが 騒ぐ『民生』、『地域の利益』と私たちの生活の間隙がいかに大きいのかが 理解できる。おりしも総選挙・大統領選挙を控えて、君も私も先を争って 『庶民の政党』を自任し『反MBで散じ集まる』野党圏連帯が全てを解決するかの ように宣伝するが、まさに整理解雇と非正規職撤廃の戦いの現場と、FTA 廃棄の戦いの場は、少し寒い今の姿のようだ。

私たちの人生を歪めるのは代議民主主義だけではない。一生懸命暮らせば成功 できるという幻想でも、私たちの人生は十分に歪められている。アルバイトで 工場を経験した大学生は、生産現場の非人間性にあきれる。彼女にとっては、 人を機械のように働かせ、最大限の利益を絞り出す所が工場だ。彼女は二度と 工場に行きたくないという。それよりも『がんばって勉強し』、『良いところ』 に就職することを望む。だから、英語の勉強と専攻の勉強、資格証明の勉強に まい進する。ところがどうだろう...? 認めたくはないが、それほど熱心に勉強 して就職の準備をしても、現実はほとんど変わらない。少数を除き私たち全てが 1年限りの非正規職労働者になっているから。大学進学率が80%に達したが、多くの 大学生とその両親は、一学期に数百万ウォンもの登録金を学校に捧げても、 彼らには事実上、未来がない。

『高額年俸者』になるのも、最近の流行語で「難しくな〜い」だ。残業に特別 勤務まで『死ぬほど』働けば、何百万ウォンもの月給を受けられる。ただ、 「息をするだけで暮らさなければならない」という前提がつく。病気にかかっ てもいけない。その後の医療費で月給の半分が飛んで行くかも知れないから。 結局、安定した基本給と安定した雇用形態が保障されない状況での『高賃金者』 は、賃金を犠牲にして利益を創出するあくらつな資本が、もっと簡単に、安く、 労働者を使い捨てる下請、不法派遣、特殊雇用、契約職などのあらゆる非正規職 擁護の宣伝に過ぎない。

今、全国各地で、いや資本と労働が国境を行き来するこのグローバルな時代、 世界的な労働の不安定化という情勢から、われわれは誰も自由ではない。 言い換えれば、いま闘っている事業場の問題への悩みと解決の意志、そして連帯が なければ、結局は私の安全も保障できなくなる。『2012 インディドキュ フェスティバル』で上映されたこの映画を見にきた(私を含む)多くの人々は、 ただの平凡な学生や労働者(どんな職種であれ、どんな形態であれ)や無職者、 あるいはその他の何かだただろう。映画を見ている時間だけは誰もが『観客』という 消費者になるが、この映画を通じ何を感じるかはそれぞれだろうし、誰もが同じ 立場に置かれているわけではない。だがこの映画が伝える内容から私たちが 見のがしてはならないことが、明らかに何かありそうだ。そしてそれは恐らく 小さくても連帯感を持つことではないだろうかと私は考える。連帯という言葉には、 立場の差という前提がある。各自が立つ各々の位置で、その特殊な自らの位置で、 自分の議題で戦う時、そして隣人の戦いを互いが積極的に支持し、力を補う時、 『人が人らしく生きる世の中』を早められるのではないだろうか。

私にも、私たちにも、それでも夢があるという考え; 言葉と権力

またこの映画の場面に戻るが、私には何よりも映画が終わる数分前の一コマの 映像が最も印象深く残る。若い女性たちが白い作業服を着る。頭から足まで、 まっ白い作業服。そして白い帽子、白いマスク、白い手袋。ドアが開き、白い 作業服の女性労働者が作業室に入って働く。誰も私たちに見せない世の中! IT強国、半導体強国と言い、華やかな広告であらゆる見事な商品を誇らしげに 見せ、それが創り出す経済規模を叫ぶが、その商品がどんな過程を経て、この 世の中に出てくるのかについては誰も語ってくれない。そうして『女工』ある いは『女性労働者』の存在は隠蔽されてきた。この土地の労働者がその存在を 表わすのは、いや、その存在が『むき出される』のは、彼女たちが団体行動を する時だけだ。政権と資本が結集し、制度言論を手段にした言論権力は正当な 権利を取り戻そうとする労働者を、恥知らずで過激だと言いたてる。その上に、 こうした組織的な力さえ持てない労働者たちは、女性だという理由で、若いと いう理由で、学歴が低いという理由で、不安定な労働市場で味わう不当な仕打 ちにも、まず諦念を学ぶように強要される。

ホン・ヒョウン監督がカメラに入れたのは、こうした女性労働者だ。工場という 作業現場で体験したことと、その過程で感じた内容を率直に表現する彼女の言葉 はあまりにも取るに足りず、ありふれているので、どんな主流映画でも、どんな ファンタスティックなTVドラマや大衆歌謡の中でも扱われない。それでわれわれ は彼女たちの存在を、いや、実は私たちの存在を忘却しつつ生きていく。だが、 われわれは知っている。世の中のすべての物は、誰か、何かの労働者によって 作られていることを。工場を作ったのは資本かもしれないが、工場のラインに 乗るのは『社長』でも『重役』でもなく、労働者だということをである。

「忘却に対する記憶の闘争」。自分の小説でこの言葉を使ったミラン・クンデラは 好きではないが、私はこの言葉だけは私の言語でよく使う。私がドキュメンタリーを 見る理由は「忘却に対する記憶の闘争」をやめないという意志だ。 きらびやかな商品市場の中で、その裏に隠された労働者の存在と今日の現実を 忘れないという意志。そして何よりも、できるだけ日常と闘争の現場で、 他人と共にその意志を実践する努力が重要だ。その意味で、ドキュメンタリーは 明らかに、単に何かの事実を伝えるだけではない。少なくとも私にはいつも 忘却をやめようという強いメッセージを投げかけるのがドキュメンタリーだ。 監督の意図はわからないが、少なくとも私にはそうだ。

しかしながら、ホン・ヒョウン監督が伝える15人の話は、記録と伝達だけでも 価値がある。彼らのインタビュー内容は数人の女性の、ただ些細で、個人的で、 極めて平凡な話でしかないと置き換えることはできない。誰が『主観』と『客観』を 語るのか? 誰が『多数』と『代表性』、『標本』などを口にするのか? 『客観』は力が強い者の『主観』でしかない。持てる者と力が強い者は 言論権力を独占し、彼ら自らが『多数』で『代表』あることを自任してきた。 だが確実に企業の総帥が、大統領と国会議員が、私たちを代表していただろうか? 亀尾地域の正規職労働者を捜し出せば、その人が亀尾地域労働者の標本になれる のだろうか? 決してそうは言えない。ここに出てきたこれらの女性の姿が、 つまり電子産業の先端を走る亀尾地域の、さらに韓国の労働者の姿だ。 つまらないだけのような彼女たちの話が21世紀の韓国の労働の現実で歴史に なるだろう。だから彼女たちの声を引き出して、その叙事に力を与えた この映画は、すでに記録を始めたことだけでも大切な価値を持つ。

この映画は大げさに騒ぎはしない。あるいは私の過度な(?)解釈が大げさに思わ れるほど。しかしここで私が述べたすべての話は、直接・間接的にこの映画 〈誰も見ない夢〉から始まった。たとえわれわれが彼女たちの話を一つの映像 メディアで消費するとしても、率直に静かに日常を暴露する彼女たちの姿から、 われわれは虚偽で埋め尽くされたどんなテキストよりも現実感を感じるはずだ。 それが現実だ。そして彼女たちの夢が私たちの夢とあまり違わないという点で、 われわれは真に同時代を生きていることを感じるだろう。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-04-01 13:29:34 / Last modified on 2012-04-01 13:29:37 Copyright: Default

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