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「女性デー」にも涙を流す「女性労働者」

[3・8国際女性デー]法からも見放された労働者10年の解雇闘争

ユン・ジヨン記者 2015.03.06 19:19

3・8国際女性デーを控えても笑うことができない女性労働者たちがいる。 解雇生活10年間、度重なる訴訟の末に最近、大法院で敗訴の判定を受けた人々だ。 もちろん、警察の性暴力で長い間の法的な攻防を繰り広げ、最近大法院で勝訴した労働者もいる。 だが戻るべき職場はとっくになくなり、事件の記憶は傷に残り、長い間彼女を困らせている。

#1.2月26日、大法院は現代車牙山工場社内下請労働者7人全員を不法派遣と認定した。 現代車のすべての工程での社内下請は不法派遣に該当するという判決だ。 だが正規職勤労者地位認定の判断は違った。 大法院は不法派遣でも勤務期間2年を超過しない労働者3人に対しては、正規職勤労者の地位を認めなかった。 今年で解雇生活13年間をむかえたクォン・スジョン氏は、正規職の地位を認められない3人の労働者の一人だ。 会社の不法が認められたのに、現場に戻るのは絶望的だ。 10年間の法的な闘争の末に、不法派遣の判決を引き出したことはうれしいが、一方ではなぜかわからない虚脱感が消えない。

クォン氏は2002年9月に現代車牙山工場に入社して、艤装ラインの電装検査工程で働き、翌年解雇された。 12年の解雇生活の間、彼女は絶えず会社と不法派遣闘争を行ってきた。 「初めは大法院から不法派遣判決を受けてとても喜びました。 しかし組合員たちが涙を浮かべながら、私を慰めました。 しかし私は負けたという思いより、裁判所は恥ずかしい、中途半端な判決で現代車を甘やかしたんだ、という気がしました。 しかし時間が経つと虚しい気がしてきます。 現代車の会社をくれと言ったわけでもないのに、 正規職労働者が何がそんなにすごいのか、人が怪我をして命まで落とさなければならなかったのか、とても虚しいです」。

[出処:メディア忠清資料写真]

解雇者生活をしながら、あらゆる仕事をした。 2006年のリュ・ギヒョク烈士死亡の後、支会長だったクォン氏は全面ストライキに突入した後で現場でストライキ集会を開いた。 断髪式を終えて集会を終えると、300〜400人の用役が現場を襲った。 初めて現場で発生した用役侵奪事件だった。 激しい体当たりが続き、クォン氏はスターレックス車両に拉致された。 「用役が私をつかまえてスターレックスに乗せ、会社の近くをぐるぐる回って畑に投げ捨てました。 断髪したまま、靴もメガネもなくして、チョッキも破れて大騒ぎでした」。 クォン氏は現代車が提起した工場の「立入禁止仮処分申請」に違反した容疑で実刑まで受けた。 「本来は罰金だけ払えばいいのに、異例の法廷拘束になりました。 家を出るとき『天安に行ってきます』とお母さんに挨拶したのに拘束されてしまいました。 2007年7月から8か月でした」。

長い解雇生活は生計を圧迫したりもする。 労組と組合員たちから提供された解雇者基金で生計を立てているが、 2010年〜2012年までの3年間、収入なく暮らした時期もあった。 大法院は今回の判決で不法派遣は認めたが、クォン氏をはじめとする3人を現代車労働者とは認めなかった。 未払い賃金も請求できなくなった。 パク・チョンシク烈士が自ら命を絶った現代車牙山工場正門を見ると苦しく、 多くの管理者の嘲弄と暴力の記憶がクォン氏を困らせるが、 会社と裁判所は結局彼女を見放した。 それでもクォン氏は相変らずしっかりしている。 「勝訴した仲間たちが私に心配するなと言いました。 一緒に戻ります」。 この12年の時間のように、クォン氏はまた不法派遣撤廃と復職闘争に立ち上がる支度をしている。

#2.現代車不法派遣判決が出た日、大法院はKTX女性乗務員34人が提起した勤労者地位確認など請求訴訟で原告敗訴の判決をした。 10年間の解雇生活、7年間の法廷戦の末に出された判決だった。 労働者たちは結局涙を流した。 1審と2審の判決をすべてひっくり返した大法院の判決を信じられなかった。 KTX乗務支部のキム・スンハ支部長は 「全く予想できない判決だった。 曖昧な表現が乱舞し、鉄道公社の肩を持つために努力したのが歴然としている判決文だった。 常識的な判決ではない」と鬱憤をぶちまけた。

▲大法院判決直後に法廷から出てきたキム・スンハKTX乗務支部長(左) [出処:キム・ヨンウク記者]

KTX女性乗務員は2005年に鉄道公社に直接雇用を要求してストライキなどを行い、2006年5月に解雇された。 解雇以後は座り込みとハンスト、高空籠城などの闘争を行い、2008年に不法派遣訴訟を提起した。 20代中後半の年齢に解雇され、若い日の10年を解雇者として暮らした。 彼らはこれまでどう過ごしていたのだろうか。 「もうほとんどが結婚をして、二人ぐらい子供を産みました。 家庭の主婦として生活している人もいて、サービス講師、自営業、フリーランサーなどの仕事をする人たちもいます。 解雇後に生計のために仕事を持つべきなのに、これまでの経歴とは合わなくて、全く違う分野に進出しなければならないのが現実でしょう。 長い闘争のために履歴書を出してもKTX女性乗務員といえば会社はいい顔をしません。 隠すことも多いです。経歴に断絶ができます」。

大法院判決の後、何とか10年頑張ってきた彼らにとって青天の霹靂のような知らせが聞こえてきた。 訴訟費用と判決により、支給されてきた生計費など1人あたり1億ウォンほどの金額を鉄道公社に支払えということだった。 雇用を失い、多くの苦痛に耐えてきた彼らは、今や家庭さえ破綻する危機に瀕している。 労働者たちは記者会見をして鉄道公社側に条件をつけずに対話をしようと公式に要求したが、公社からはまだ回答がない。 久しぶりに解雇者が集まって現在の状況と状態を共有し、対策を話した。 「またできる限り最善を尽くそうと意見を集約しました。 破棄差戻し審理が残っているので、他の証拠を見つけ、最善を尽くして裁判の準備をしてみようと。 解雇された鉄道労組乗務支部の組合員が交渉で復職した事例があるので、闘争を通じ公社との協議点を見つけることもできると思います。 とにかく今回の判決は、労働者は闘争で要求を勝ち取らなければならないということを確認する契機でした」。

彼らが歩かなければならないところはまだイバラの道だ。 からだを酷使する闘争も何度もしたが、彼らを一番疲れさせるのは周囲の歪んだ視線だ。 「今も私たちの記事が出ると誤解する人は多いです。 契約職、非正規職であること知って入ったのに駄々をこねている、ただで食べようとしているといいます。 われわれはKTX乗務員という職業自体をしたくて入ってきたのです。 われわれは今までたった一度も正規職を要求したことはありません。 私たちが要求しているのは、乗務員は鉄道の安全を扱う業務だから、鉄道公社が直接雇用して管理しなければならないということです」。 10年前に350人で始めた仲間たちは、今は34人に減った。 だが相変らず劣悪な労働条件で働くKTX女性乗務員が存在する。 解雇された34人の闘争も、鉄道労組に加入した「コレイル観光開発(株)」所属のKTX女性乗務員の戦いも今も進行形だ。

#3.2月12日、キリュン電子のパク・ヘラン組合員は大法院から警察のセクハラ加害事実を認められた。延々5年にわたる法廷戦の結果であった。 だが今も傷はいえない。 セクハラ加害者の公権力は、加害事実を否定するばかりか、むしろ女性労働者に歪曲された容疑をかけた。 加害者の警察は被害者を名誉毀損で告訴し、検察は被害者を不拘束起訴する事態まであった。 大法院は判決で加害者の加害事実を認め、加害刑事と大韓民国が損害賠償責任を負えと判決したが、加害者の誣告および偽証については無罪と判決をした。 パク・ヘラン組合員はいまも心的苦痛に苦しむ。

▲2014年12月24日青瓦台で五体投地デモをするキリュン電子組合員[出処:キム・ヨンウク記者]

「一番気に障ったのは、(加害者が)嘘をついて私を完全に金気違い扱いしたことです。 そのような部分がとても重ね重ね傷になります」。 事件は2010年4月6日に発生した。 その日、キリュン電子労使問題で銅雀警察署での調査を受けていた朴氏が腹をこわしてトイレに行き、 男性刑事は朴氏がいたトイレの扉を開けた。 朴氏は羞恥心に涙を流して抗議をして失神し、応急室に運ばれた。 労組は銅雀署のセクハラを糾弾して記者会見を行った。 だが銅雀署は虚偽事実を流布して、名誉を毀損されたとし、被害者を検察に告訴した。 その上、加害者は労組がセクハラ事件を闘争に利用しようとしていると主張することもした。

「キリュン電子非正規職の闘争がよく知られていないので、 (セクハラ事件を)利用して闘争を知らせようとしていると主張しました。 全くそんなつもりではないのに、まるで私を泥棒を追い立てるように追い立てました。 自分が悪いことをしておきながら、私に罪をかぶせる過程が苦しかった」。 まだ傷がいえず、言論インタビューもいつも避けてきた。 今もその時を思い出すと苦しさが押し寄せる。 「テレビで性暴力関連のニュースが出るだけでも、まるで私の事のようです。 トイレに行っても男女共用トイレに行けばその時を思い出して、神経質になります。 苦しかったです。今回の判決の後、みんなが祝うと言いますが、実は私には頭がとても痛い傷です」。

裁判所で勝訴したが、まだ彼女が耐えるべき苦しみは多い。 2005年に解雇されて8年6か月後の2013年5月、職場に復帰したが、6か月で会社が夜逃げをして、また路上に座り込んだ。 社会的合意はゴミのように捨てられ、また厳しい闘争に立ち上がらなければならなかった。 この冬も彼女らは寒い冬の地面に這いつくばって五体投地をした。 「解雇が長くなり、生活が一番大変です。 交通費も何もとても高くなって、特に最近は大変です。 それでも労組をして世の中を知ることが嬉しいです。 私が戦いを放棄して席を外せば、それがまた私の傷になるでしょう。 私が自分をいじめたいわけでも、他人を傷つけたくもありません。 組合員への義理もあるが、ここを捨てて行ったとしても、違う人生がより良い人生というわけではないでしょう」。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-03-08 14:45:15 / Last modified on 2015-03-08 14:45:16 Copyright: Default

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