韓国:反性暴力運動の争点から見た民主労総の課題 | |||||||
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反性暴力運動の争点から見た民主労総の課題[寄稿]事件処理だけでなく、構造を変える運動に進むために
パク・スンヒ
(民主労総ソウル本部首席副本部長/性平等未来委反性暴力チーム長)/
2009年11月30日9時32分
「卵を外から破ればせいぜいタマゴフライだが、自ら中から破って出れば生命になる」 性暴力は、資本主義が続く限り根絶しない。根本的な社会変革を通して性平等 の世の中を作れない限り、空間としての民主労総も性の商品化、性暴力発生地 帯から決して自由になれない。核心は、すべての方面で新しい世の中を指向す る私たち自身の努力だ。民主労総は自ら中から破って出ようと努力しているの か? 少なくともそのような評価を受けられるか? 現実は悲しいかな、そうでは ない。あるいはわれわれは、女性だけが別に集まって外から卵を破ろうとして いたのかもしれない。キム○○性暴力事件が発生し、処理の過程で民主労総指 導部が総辞職した。しかし多くの人が指摘するように、指導部の総辞職がその まま解答ではなかった。いや、あるいは『根本的な変化がない総辞職は、かえっ て潜在的な被害者への巨大な口止めになったか』もしれない。 民主労総の中で起きた13の性暴力の事例を見ると、そこにあるのは単に性暴力 事件だけではない。その中には組織の官僚体系、垂直的な位階秩序、権力構造 の弊害、家族主義などが隠れている。彼らはしばしば『組織保衛-組織隠蔽』、 『2次加害』、『事件処理方向』などの争点に行くこともある。 争点1. 組織での性暴力事件はどう解決すべきか?-組織と被害者、そして私 性暴力事件を受け付けたほとんどの幹部は、まず組織でこの事件をどう処理す るのか当惑する。きちんと処理すべきだという覚悟もなくはないが、あまりに おかしな処理をすると壊れるという被害意識が大きいためだ。このうち『組織 保衛-組織隠蔽』は、今年の初めの『民主労総指導部総辞職』という最悪の嵐を 作り出した最近のキム○○性暴力事件でさらに議論が熱い。 事件を接収した民主労総幹部は、検察の李委員長手配から守るだけでなく、規 定と原則により被害者を保護し、性暴力事件も速かに処理しなければならない 一方、性暴力事件で発生する影響も最小に減らす努力も必要な、二重、三重の 課題を担わされた。だが組織保衛と被害者保護のどちらにも失敗した。なぜ だろうか? この事件で最も早く委員長の手配と逮捕の後に保衛を担当した幹部が被害を最 小化するために、隠れ場所を提供した女性組合員に陳述の負担を加重させよう とした点を選ばなければならない。労組代表者や指導部がやむをえず個人的な 犠牲が伴う決定を下した時でも、その被害は指導部が負うと明言するのが一般 的だ。指導部が自分の危険を避けるのでは、誰がそんな指導部を信じて従うだ ろうか。だから隠れ場所を提供した女性組合員には、可能な限りの方法を動員 して、被害女性の負担を減らすことが常識であり、正当な組織保衛の論理だ。 しかし前近代的な労使関係の中で、労組が使用者側と死闘を繰り広げる間、わ れわれは自ら変化することも周辺の変化を感知することもできなかった。労組 運動の中には垂直的な位階秩序と官僚主義が強く作動している。家父長的文化 と意識もあまり変わらない。ここに政治的な対立と対立が絡まり、人間的によ く知っている仲だという点で、冷静に処理するのが難しい『家族主義』的な風 土もある。民主労総中央幹部を含む大部分の指導部が、長い間共に労働運動を してきたので、こうした意識、情緒、風土などを考慮すれば、事件処理の過程 で当然、民主労総と該当組織をまず先に考えるほかはなかったと察する。 われわれはこのような集団と個人、位階秩序、家族主義などに対し、一度も真 剣に省察したことはなかった。また性暴力の深刻性について開放的に討論をし て「被害者の人権」と「組織保護」の処理方案を学ぶこともなかった。性平等 の感受性には鈍感で、恣意的で主観的に行った行動が、結局元に戻せない状況 に追い込んだとすれば、これは決して関連者だけの問題ではないということに、 より注目しなければならない。他の指導部なら、私だったなら、果たしてひど い波風を受けず、健康に解決できたのだろうか。 争点2. 『2次加害』なのか、『組織隠蔽』か? 新しい概念の定立が必要 性暴力事件が起きると、ほとんど『2次加害』が起きるだけでなく、これをめぐ る議論も激しくなる。主に『懲戒の決定に先立ち、加害者に召命の機会を与え た時』、『聞いた事実を酒の席、会議席で話したり、言論などに伝えた時』、 『知りながら言わなかったり隠した時』、『オンラインに文(コメントなど)を 書き込む時』、『責任者が打ち上げできちんと監督できなかった時』等が争点 に浮上したりする。処理の過程で加害者を積極的に擁護した周辺の幹部たちか ら、はなはだしくは労組の『中執委員』まで『2次加害』と認められるなど、対 象も広がっている。しかし「2次加害を明文化する前は、皆同じように議論した が、明文化した後では恐ろしくて言えない。皆タブー視して事件を隠す」と告 白したある女性幹部話のように、『2次加害』で性暴力の危険と被害者中心主義 を強調しようとした最初の意とは異なり、組織の口と耳をふさぐ副作用を産ん でいる。 特にキム○○事件の時に組まれた真相究明特別委は、以前は十分に『2次加害』 と思われる事例に対して『それは歪んだ理解』と説明し、2次加害(と思われる 行動)をしないことに対し、むしろ『組織隠蔽助長の疑い』で懲戒を決め、組織 内で議論が広がった。ある男性幹部は「2次加害でないとすれば、いったいどう 考えるべきでしょうか?」と不機嫌な言葉をした。全教組のある幹部は「真相究 明特別委は『組織隠蔽助長』だと言うが、民主労総では『組織隠蔽はなかった』 と言う。これでは2次加害の規定が無用になってしまった。それと共に懲戒で圧 迫してきた。2次加害なのか、組織隠蔽なのかをきちんと調べる前に懲戒処理し た。民主労総も静かに省察しなければならない」と問題点を選んだ。 概念の混乱だ。それでも『2次加害』の概念をまったくなくしたら? さらに、積 み重ねられた反性暴力運動の成果まで失わせる。したがって『2次加害』の概念 をさらに細分化して、広げる側よりも可能なら単純化し、被害者の人権と組織 幹部の姿勢と気風という観点から、新しい合意点を作らなければならない。そ の時、少数の幹部が情報と権力の独占により組織的な処理ではなく留保、また は隠す行為を断罪することができる。 争点3. 事件解決のジレンマ 『おばさん』事件を掘出してみよう。会社との対峙の過程で、闘争を指導して いた非正規職女性幹部に正規職男性幹部が「おばさん、あっちに行ってろ! 静 かにしろ」と暴言を吐いた。これに対して被害者は言語性暴力で組織に懲戒を 要求し、真相調査委を経て『性差別的言語暴力』と認められた。その根拠は 『社側との激しい戦いで起きた言語暴力に性(性役割固定関連の)差別的要素が ある』という判断だった。しかし加害者は行為事実は認めるが、それが『性暴 力』と指摘されることには同意せず、労組の規定上の性暴力概念に対する論争 が発生した。これは、被害者の被害事実を概念化する言語、規定がない中で起 きざるを得ないことだった。このように事件化した事例はすべて『(性差別的) 言語(性)暴力』と認められたが、どこまでを性暴力範疇に入れるのかの問題は 残る。『おばさん』という言葉が(性)暴力という事実を女性主義者や女性活動 家の一部を除き、誰が知っているだろうか? また言語生活は、その時代の文化であり、『悪口』は言語生活の一部だ。『悪 口』を禁止してなくなるものでもないばかりか、『悪口』には抵抗もありユー モアと風刺もある。そしてわれわれはこれを楽しむ文化になじんでいる。酒の 席ではきわどいわい談もなくはない。ところが『悪口』はほとんど『性的』な 言及が多い。 したがって性暴力の概念をさらに拡張し、このすべての悪口までみな押込めば、 多分男性たちは女性幹部と目を会わせるのも大変だろう。それでも悪口が乱発 することをすべて許すべきだというわけではないが、日常言語まで性暴力の定 規で、みんなやり直せと要求するのも無理だ。事件化による教訓も必要だが、 文化風土を変えて、何が問題なのか体化させる過程がさらに重要だ。 事件解決のジレンマ 性暴力事件は、常に加害者と被害者の陳述がくい違うので、弱者保護の次元で いわゆる被害者中心主義の概念が導入された。しかし事件のたびに『被害者中 心主義』をめぐる理解が明確に異なる。ある事例を見ても、被害者の考えを 100%受け入れて解決したことはないようだ。まず『被害者中心主義』という概 念はいるが、これを現実に適用する基準、原則、方向などがとても弱い。また 規定によって処理しようとしても、人間関係、事件をめぐる政治的な状況、組 織の立場と個人の関係、慣行、組織状態、指導部の意志など、あらゆる変数に より困難に陥り、ただではいかない。ここに被害者や加害者の心理状態、お互 いに違う考えが絡まり、ただ片方だけには流れない。 これにまず、私たちには過去の性暴力事件を経て蓄積してきた原則も不明で、 事件解決の過程に必要なマニュアルも足りない。何よりも2次加害を破り、被害 者中心主義を貫徹する技術的な能力も非常に不足している。 二つ目に、加害者または加害者が属する組織で、被害者とどんな調整、中間の 役割もしてはならないという原則はない。対策をたてること自体を『2次加害』 または『組織的隠蔽』と罵倒するのではない。正しい事件の処理のために相談 して対策をたてることは当然だ。ところがなぜほとんどの被害者たちはこうし た行為を不信に思い『2次加害』と指定するのか。加害者または関連者を信じる ことができないためだ。加害者が心から誤りを悔いて、どうするかについて具 体的な話ができれば、懲戒以上の成果を取ることもできる(もちろん被害者が対 話を受け入れなければ不可能だが)。関連者も組織の立場で『説得』と『強要』 ではなく、事件の解決のために最善の努力をつくす姿が実践的に見られる時、 始めて『調整』も可能だ。 三つ目に、客観的で合理的な処理のためには、さらにきめ細かい原則と過程の 再設計が必要だ。言葉だけで『被害者中心主義により、きちんと処理しなけれ ばならない』と主張するだけでは、全く問題の解決の助けにならない。多くの 男性たちを説得することもできず、事件処理をする女性幹部も苦しい。教育を 受けた幹部たちも、実際に事件が起きれば全く助けが受けられないと訴える。 ほとんどは処理に対する『無知とミス』で事が大きくなる。これを小さくする ためには、多くの討論と合意過程を経て、具体的な『実務指針書』を作らなけ ればならない。 四つ目に、多くの女性幹部たちが固有業務をすべて投げ出して真相調査委活動 だけをすることもできない現実と共に、『被害者中心主義』と組織の立場の間 できちんと客観的に処理するのが難しいという現実を変えなければならない。 現在、女性委員たちが参加して、組織内役員と執行幹部などで設けるように規 定した真相調査委関連の規定を変え、完全に事件処理専門機構をおかなければ ならない。 五つ目に、懲戒だけが残り、後続管理がない部分を直さなければならない。ま ず懲戒の内容を見ると、ほとんどが性暴力の程度による合理的な量刑がなく、 画一的だ。また、懲戒が解雇につながる状況だったり、この事実により会社か ら弾圧される状態では、『公開謝罪』ではない他の方式の懲戒は不可能なのか、 解雇も甘受しなければならないのかにも十分な合意が必要だ。また被害者の治 癒と復帰に対する組織的な準備も絶対に必要だ。また、加害者が懲戒を履行し ない時、強制する手段がないという点も問題だ。ほとんどが勧告の水準で、履 行しない時に他の懲戒手段がない。またほとんどの組織が管理監督をしないこ とも事例の特徴だ。懲戒の決定まで険しい道を歩んできたのだから、後続管理 と点検に力を入れることで『報告書組織』という批判から脱することができる。 上のような争点を解消し、いかに事件を解決するかに進めば、『なぜ反性暴力 運動は事件だけで議題化されるのか』、『反性暴力という談論がなぜ事件処理 だけに縮小されるのか』という疑問に捕われる。事件が起きればその事件をき ちんと処理することが優先だ。そうするうちに、さまざまな複雑な現実にぶつ かり、いつのまにか加害者-被害者の構図に狭まる。これは事件中心の反性暴力 運動が持つ限界だ。これを越えるためには、組織構造、組織文化を見なければ ならない。組織の官僚体系、垂直的階層、家父長的組織文化をあばきだし、こ んがらかった現実の前に圧倒されながら、女性幹部がまず疲れはてる。事件が 起きたら問題を提起するのは当然のことだ。非正規、移住、官僚主義、権力独 占など、労働に関するどんな主題も、いつも押しこめば争点化されるのではな いように。時をのがすのは愚かだ。民主労総指導部総辞職という波風を体験し た時、すぐ反性暴力運動のための問題提起と事業が積極的に提起されるべきだっ た。あれこれ考えてみると、すべて時期をのがして一足遅れて争点化させた状 態で(争点化されることもせず)、私たちの思い通りに現実が回りはしない。単 に事件処理だけではなく、構造を変える運動に進むには、反性暴力運動の方向 が変わらなければならない。 ではどうするべきか? 反性暴力運動の再設計は、この運動だけで方向を探して も簡単に答は出ない。しかしまず反性暴力運動だけに限れば、関連の事件に対 する基本原則と処理過程を確立し、規約を整備することが少なくとも課題だ。 しかしここで止れば、反性暴力運動を拡散させるのは難しい。いつも被害者-加 害者、女性-男性の狭い構図を乗り越えられない。性別化された社会、性的差別 で生じる利益を取り、沈黙してきた男性たちが、これからなぜ女性の権利が尊 重されなければならないのかを振り返ることができるようにし、共に知恵を集 めて行けば、労働運動において女性運動は女性解放運動として新たに出られる。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2009-11-30 22:42:07 / Last modified on 2009-11-30 22:42:08 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |