韓国:[連続企画](1)半導体で隠された影労働-イ・ジョンヨン | |||||||
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「まだ半導体工場に入って働く悪夢を見る」[連続企画](1)半導体で隠された影労働-イ・ジョンヨン
ヒジョン(執筆労働者) 2011.10.25 10:14
[筆者注] 「彼らは初めから、この化学薬品が危険だということを知っていました。私たちに気を遣わないのです。彼らはただ金を稼ぐことにだけに気を遣っていました」。 IBMの半導体労働者、ケイス・バーラックは話した。彼はIBMで働いた代価として睾丸癌にかかった。20年後、半導体主要輸出国の韓国に多くのケイス・バーラックが生まれた。半導体工場で働く労働者は、ガンのような希少病にかかった。 半導体労働者の健康と人権守備〈パノルリム〉に情報提供された半導体の職業病被害者は150人にのぼる。昨年に続き二回目に、半導体被害者列伝を6回にわたり連載する。 イ・ジョンヨン(仮名)76年生まれ。1995年にサムスン半導体器興工場入社。 ディフュージョン工程とシン・フィルム工程のオペレーターとして3年間勤務。 腕と足のマヒで退社。炎症性多発神経炎と診断。 「半導体という言葉を聞くと、今もつらいです。痛みが一週間続きます。痛い と夢を見ます。夢で半導体工場に行きます。私がまた防塵服をまた着ているの です。夢なのに考えます。なぜ私はここにきたのか? なぜここにきてまた交代 勤務をしているの? ここにきて病気になったのに、また病気になってはいけな いのに... 気が焦ります。でも防塵服を着てラインに入ります。ずっと心配に なります。私がここになぜ来ているだろう、私が病気になってはいけないのに、 家に帰らなければいけないのに... その一方で私がここで働かずに出て行けば、 家族は誰が... 誰が責任を取るの? 私が家長なのに...」 足のマヒ「本当に会社に何か明確にあることはありました。会社生活がどうだったのか というと、いつも眠かったです。それが3年近く続き、立っていても眠いのです。 ずっと鼻血が出て、お腹をこわして、食べても肉がつかない。後で体重が40キロ にまで減りました。何か体に異常がきたという感じでした。 後になると、ほとんど歩けないのです。誰が助けてくれなければ歩けないので す。6か月以上、友人が助けてくれて、会社に通いました。今、考えればバカみ たいでしょう? でもその時は、そうしなければならないのだと思っていました。 結局会社をやめて家に帰りましたが、その時は歩くこともできず、片方の腕は まったく使えませんでした。力が出ず、寝ようと横になるとふとんが重くて眠 れないほどでした。 病気になった後でわかったのですが私と同じ足がマヒする病気にかかった移住 労働者の事件がありました。工場で使っていた化学物質のために彼らはそうなっ たそうです。職業病だと思うしかありません。明らかなことは、私がサムスン 半導体に入った時は本当に元気だったんです。でも退社した時は助けてもらい ながら出てきました」。 イ・ジョンヨン氏はサムスン半導体器興工場のディフュージョン工程で2年半、 シン・フィルム(薄膜)工程で1年働いた。ディフュージョン工程で彼女がしてい た作業は、化学ガスを注入した高温設備にウェハーを入れる仕事だった。入社 1年後からよく鼻血が出るなどの異常があり、シン・フィルム工程に移ってしば らくして高熱が出た。その後、症状はさらに悪化した。ゆるい登り坂も歩けな いほどだった。結局両足が使えず、腕もマヒし、会社を止めた。 ジョンヨン氏が働いていた半導体のクリーンルームでは数百種類の化学物質が 使われている。特にウェハーに回路を蒸着させるディフュージョン工程は化学 物質とガス使用頻度が高い。しかしジョンヨン氏は、使っていた設備にどんな 化学物質が使われていたのかも知らない。教育を受けたこともなく、もうずい ぶん前のことなので、記憶にもない。ただし同じ寄宿舎だった会社の先輩が、 彼女の病気を見て「ここで働いていた私の友人もこの病気にかかってやめた」 と言っていたことを覚えている。 「周辺の人の話を聞いたのです。ディフュージョンで働いていたエンジニアも 脳腫瘍の手術を受けて退社したそうです。私がいた時も3組か何組かにいた姉さ んが原因もわからず死亡しました。親戚のうち1人は子供ができません。それで 話をしたら、サムスン半導体に勤務していた人で... ディフュージョン工程にポクル装備というものがありました。化学ガスが大量 に入っている機械だそうです。私がその装備を直接扱っていなかったので、あ まり影響がないと言うのですが、私が機械の扉を開け閉めしてウェハーを入れ る作業をいつも私がしていたのですから、露出しないはずがありません。また 生産量のために早くウェハーを取り出さなければなりません。ウェハーを冷ま す時間を短縮するために、作動中に設備をオープンすることがありました。そ れも先輩が。そんな時、全然、化学物質に露出しなかったのだろうか? どんな ことがあったのか、本当の気になります。だいたい何の物質を使っていたのか」。 私は難病なの?「私の病気は、私もよくわかりません。こんなものがあるんだなというだけで す。良くなる病気ではないということが分かったのも最近のことです。病院で まったくそんな話はなかったので、良かったと考えていました。ところが、あ る時、町の住民センターの前に『難病』といって、病名とコード番号がぱっと かかっていました。難病患者を支援しますと。何の気なく見ました。ところが 私の病名がそこにあるのです。『私は難病なの? 私は治らない病気なの?』そう 病院に聞いて、私の病気が一生治らない病気だと知ったのです。私はあまりに 若かったんです。今思えば家族も何も知らなかったんです。 退社直後に家族は会社がどうだなど考える余裕はありませんでした。私の病気 がどんな病気なのか調べ回るのに忙しかったのです。22、23の子が腕は震えて 足も使えなくなったのに、どこの親が会社に電話して調べようと思うでしょう? とにかく治さなければという思いに追われるでしょう」。 ジョンヨン氏は何回の誤診の末に『多発性神経炎』と診断される。多発性神経 炎は、末梢神経に異常が生じ、腕と足に感覚障害とマヒが起きる病気だ。 「母は、娘が半導体、それもサムスンに行くというので、とても自慢にしてい ました。しかし実際に病気になって、こんな不孝はありません。我が家はギリ ギリの暮らしで、半導体で生活費を稼いでいた人が患者になって帰ってきたの ですよ。私が病気になってもお金がなくて、本当に泣きました。病気になって 家に帰ったのに、病院費がないのですから。 ソウルの病院を行かなければいけないのですが、兄弟は幼くて、母は職場に通っ ていますから、私を連れていく人もいません。お金もないし。後で親戚から小 型のトラックを借りて、それに乗って夜明けに病院の前に行き、夜が明けると 診療を受けて帰ってくる。その病院に一週間入院しましたが、その時は、600万 ウォン以上払ったようです。お母さんが居間でとても泣いているのを見ました。 それを見て、私は病院に行かないと言ったのですが、お母さんはどうすればい いのでしょう? 娘がほとんど身体障害者になってきたのに。お母さんは自分が 貧しいのが悪くて、私は自分が病気で、お母さんを助けてあげられないことが 傷だったのです。その傷を最近、解きました。10年すぎて... 私は10年間、 心痛しながらも何も知らず、どんな補償も受けられませんでした」。 会社が知らないはずがありません治療後、症状はずいぶん好転した。しかし一生薬品治療が必要だ。ジョンヨン 氏は13年間ステロイド系の薬を服用している。退社7年後の2005年、ジョンヨン氏 は、移住女性労働者がノルマル・ヘキサン中毒で自分と同じ病気(多発性神経炎) にかかったという知らせを聞いた。彼女はサムスン半導体会社に連絡して聞いた。 『私が働いていた工程もノルマル・ヘキサンを使っていたのか?』会社の担当者 は『化学物質はみんな少しずつ使うが、化学物質が人体に有害だということは 証明できない』と答えなかった。会社を通さず、労災申請のために勤労福祉公団 に行ったこともある。公団職員は彼女の病気は持病だと言い、発病が昔のことで、 労災を認められる可能性は少ないといった。その言葉でジョンヨン氏は労災申請 を放棄して帰った。 「その時はとても苦しい時でした。それで放棄しました。だめなことに気を遣 えません。いつもこんなことを考えていました。私はまだ、出ていないけど。 これから再発の危険があるのに。くやしい。まだ足が不便です。私はよく転び ます。からだが良くなければさらによく転ぶのですが、ではまた始まるのか? 再発か? いろいろな考えが浮かびます。医者も知らないこの病気を、後で私が 歩けなくなれば、その時はどうすればいいのでしょう? そのエリートだけが集まった会社が知らないはずがありません。知らせないよ うにしているんです。1人を(職業病だと認定)すれば、他の人たちも要求するか ら、防御しているんです。『会社のイメージがあるから認められない。じっと していろ』と防御するんです。しかしサムスン半導体に通う人はほとんどみん な家が苦しい人、長女ですよ。金を稼がなければならない人の体をこんなにし て。少なくとも自分の会社で病気になれば暮らせるようにするべきですよ」。 今働いている人は、くやしさを知っているだろうか?「忘れて暮らすように努力しています。そうしなければ、私がつらいのです。 ただ私は健康な人だと思って暮らそうとしています。しかし時々考えます。私 がサムスン半導体に通ったから、こうして損害を受けなければならないのか。 熱いものが沸き上がります。考えればさらに苦しくなります。この前、半導体 工場が停電したという記事を見ました。停電になるといくら損害だ、損失額が いくらだと言うのですが、腹が立ちます。私がいた時も一度停電になりました。 半導体が停電すると、どんな化学ガスが出てくるのか知りませんが。五年後、 十年後、あの労働者の体がどうなるのかもわからない... そんな話は少しもな いので腹が立ちます。今働いている人たちは、くやしさを知っているだろうか? 五年? 十年? あるいは病気になった後でその時に知るのでしょうか?」 イ・ジョンヨン氏はサムスン半導体器興工場で3年働いた。足が麻痺する病気に かかって退社した。その時の年齢は22歳だった。13年すぎて、今は一般の人の ように歩いて生活しているが、まだ薬品治療が必要だ。薬を飲まなければ以前 のように両足が使えなくなるかもしれない。再発を心配して小さな風邪も恐れ る。彼女は最近も半導体工場で仕事をする悪夢を見る。半導体工場の夢を見た らとても痛むという。彼女の病気、多発性神経炎は、半導体職業病と認められ なかった。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2011-10-26 16:59:08 / Last modified on 2011-10-26 16:59:16 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |