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半導体労働6年、病気の事実も証明する道はない

[連続企画](3)再生不良性貧血、血が止まらず出産も恐ろしかったパク・ヒョンスク

ヒジョン(執筆労働者) 2011.11.15 14:15

パク・ヒョンスク(仮名)。93年サムスン半導体温陽工場に入社。6年間メッキ、 切断切曲、マーキング業務。在職時に鉛中毒、悪性貧血の診断を受ける。退職後 再生不良性貧血と診断。

「すべてが変わりました。入口さえも。全く別の世の中なんです。私が働いた 設備はみんななくなって。別のラインができてしまって。私はこんなように働 いたか、これを使ったかと聞かれても、全く...わかりませんし思い出せません。 私は鉛メッキをしていましたが、まったくそれ自体がなくなったからです」。

彼女は再生不良性貧血にかかった。再生不良性貧血は血液細胞生成機能が顕著 に下がる病気だ。彼女はこれは職業病だと考えた。半導体工場に通っていた時、 すでに悪性貧血の診断を受けていたためだ。

しかし勤労福祉公団職員と専門家たちについて自分が働いていた半導体工場に 行った彼女は衝撃を受けた。全てが変わっていた。自分が使っていた設備は、 たった一つも残っていなかった。初めて見る設備の前で専門家は度々何かを聞 いたが、彼女は何も返事ができなかった。その時始めて彼女は職業病の認定は やさしい問題ではないことを知った。一気に萎縮した彼女は、自分の病気が職業 病ではないかもしれないとまで考えた。絶望的だった。

[出処:http://cafe.daum.net/samsunglabor]

93年入社、96年鉛中毒、97年悪性貧血

「私たち時はサムスンが1位で、2位はデパート. サムスンといえば、その時は 認められました。それで金を稼ごうと入ったのに...」

93年、高3の冬、ヒョンスク氏はサムスン半導体温陽工場に入った。当時、半導体 の先頭走者サムスンは、就職を準備する学生には最高の職場と見なされた。 たった今新設された温陽工場に配分された彼女に与えられた業務は半導体チップに 鉛をメッキする仕事だった。

「チップが機械に入ると、鉛メッキされて出てきます。機械でするのですが、 とても臭います。チップが入るところがあって出て行くところ文があるからで す。それは扉ではなく、ただの穴でした。洗車場に行くとゴムのカーテンのよ うなものがゆらゆらしるでしょう。穴にそれがかかっているものもあって、な いものもある。また不良を見るためにいつも機械の蓋を開けていたから、いつ も臭っていました。私はそれが体に悪いなんて、全く思いませんでした。仕事 していた時には先輩たちもマスクもせずにするので、有害だとは全く思わなかっ たんです」。

鉛は発ガン物質だ。しかしヒョンスク氏が害になることを知ったのは2年経った 後だった。彼女は健康診断で鉛中毒と診断された。

「健康診断がありました。記憶では、検診結果に鉛中毒と書いてありました。 その時は鉛中毒が何かも知らなかった。会社は特別異常がないと言いました。 それでも中毒だと言うので、鉛は体に良くないんだな... それで私が組長さんに 工程を変えろと話して、トリフォーム工程に移りました」。

ヒョンスク氏はすぐ隣の工程に移動した。鉛メッキ工程と扉一つ挟んだところ だ。開閉する扉を通り、メッキ薬品の臭いが漂ってきた。それでも直接働いて 受けるよりは少なかった。彼女はトリフォーム工程と呼ばれる所で半導体チッ プを切断する仕事をした。

「それは、大変だったんです。トリフォーム工程の場合はひとりが受け持つ機 械が前後に4つでした。これしたり、あれしたり。私の仕事量が爆発しました。 その時には人も多くなく、それぞれが担当する機械が多かったんです。
その上、メッキ工程より臭いは少なかったのですが、エポキシ粉があるんです。 半導体チップを切断すると黒い粉が出るのですが、それがエポキシ粉です。そ の黒い粉が周辺に漂っていました。それでなくともチップがこわれたりして、 出てくる異物のようなのがとても多かったのです。エアガンでチップの異物を 除去するのですが、すると異物が四方にみんな飛びます。マスクをしなければ いけないのですが、一日中マスクをしているといらいらします。それで皆マス クをしていませんでした」。

黒い粉塵を吸いながら、トリフォーム工程で働いた。今度は悪性貧血の診断が 下された。彼女は社内の医者に相談し、鉄分剤とレモナを服用しろという話を 聞いた。それ以外の特別な措置はなかった。

2005年血小板減少症、2008年再生不良性貧血

1999年、ヒョンスク氏は退社した。退職後、さまざまな仕事をして過ごした。 半導体工程の繰り返しの単純作業にうんざりしていた彼女は、やりたいことが 多かった。そして数年後、今の夫と会った。

ヒョンスク氏は夫にいつも申し訳なく、有難いとも言う。彼女がすまないと思 う理由は、自分の病気だ。彼女は妊娠の後、自分が悪性貧血を越え、血小板の 数値が異常に低い事実を知った。

「子を持って分かりました。血小板減少症という結果が出て、二回の骨髄検査 の後、再生不良性貧血と診断されました。驚きました。私は血が止まらないと 言われました。子供を生むべきかどうか悩みました。結局産んだのですが、と ても安産でした。

産む時に苦労はしましたが... 止血薬を5本注射されました。二番目の時はそれ でも血が止まらず、分娩室から一時間ぐらい出てこられませんでした... 血が どくどく出ました。驚きました。内心『ああ... これで死ぬんだ』と不安でした」。

ヒョンスク氏は子供を産んで自分が死ぬかも知れないと思って、婚姻届を出さ ずに頑張ったという。彼女は今でも密かに心配している。

「夫もそうで... いつも心配です。子供たちも私が病気になったらどうするのか」。

子供たちは健康に育っています。家族写真の上の子はお母さんによく似ている。 『とても安産だった』という言うヒョンスク氏の顔は明るかった。夫は彼女に もう病気で苦しまず、このまま暮らそうと言っているという。

[出処:http://cafe.daum.net/samsunglabor]

憂慮した結果

6年間半導体工場で働いた経験を思い出したヒョンスク氏は話した。

「働いて、寝て、働いて、寝て、そんな生活しかなかったから。今やれといわ れたら... ああ。分かっていたら入らなかったのに、とにかく入ると出るのは 大変。仕事、睡眠、仕事、睡眠。本当に大変でした。退職して他の仕事をする 時も、サムスンで働いた経験から『世の中に大変ではない仕事があるか』が頭 の中に刻み込まれ、そう思っていたようです」。

それでもヒョンスク氏は仕事を探す。彼女の横には料理資格証明既出問題集が 置かれている。仕事場を見つけるには、資格証明のいくつかでも取っておかな ければならないという。彼女は働かなければ稼げない平凡な人だ。そしていつ 悪くなるかわからない自分の病気をいつも心配している。骨髄移植まで準備し ているので費用は小さくないだろう。

いつかヒョンスク氏と同じような工程で働くエンジニアと会ったことがあった。 彼はメッキ設備に薬品を投入して設備を点検する仕事をしていた。メッキに使 われる鉛と化学薬品は、臭いもものすごかったが、つけば服と手袋が溶けて流 れるほどきつかった。彼も悪性リンパ腫にかかった。彼は話した。自分も問題 だが、設備の前にいつも常駐していたオペレーターの女子職員はさらに危険だっ ただろうと。彼の憂慮がヒョンスク氏を通じてあらわれた。

しかし彼女は何の証明も受けられなかった。会社に通っていた時の病気の記録 さえない。国民健康保険公団は10年経った記録は破棄するという。彼女は15年 前、半導体工場で働いていた。

彼女が働いていた工程も消えた。半導体設備は絶えず稼動し、すぐに古くなる。 設備の交替も早い。しかし人間のからだはそうではない。からだの異常が重大 な疾患になってあらわれるには何十年もの時間がかかったりもする。

結局、病気にかかった労働者は何も証拠を得られない。証拠もなく職業病判定 を待つだけだ。労災申請をしたパク・ヒョンスク氏は現在、勤労福祉公団の 職業病判定を待っている。

  • 被害情報提供:http://cafe.daum.net/samsunglabor

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-11-15 19:43:38 / Last modified on 2011-11-15 19:43:47 Copyright: Default

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