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「彼が私たちを救った」...55日目に離れたチェ・ジョンボム烈士

[現場]24日、サムスン電子サービスのチェ・ジョンボム烈士全国民主労働者葬

チョン・ジェウン記者 2013.12.24 22:19

サムスン電子サービス労働者、チェ・ジョンボム烈士の全国民主労働者葬が12月24日午前8時、天安医療院葬儀場での出棺式が始まり、厳粛な雰囲気の中に行われた。サムスン電子サービスの劣悪な労働条件と会社の労働弾圧を暴露した烈士が死亡して55日目だ。

チェ・ジョンボム烈士全国民主労働者葬はこの日、出棺式から始まり、霊柩車 の自宅訪問、午前10時30分にサムスン電子サービス天安センター前での告別式、 午後1時30分にソウル市瑞草洞サムスン電子社屋前の路祭、埋葬地の磨石牡丹公園 での下棺式の順で進められた。

チェ・ジョンボム労働烈士全国民主労働者葬葬儀委員会は、シン・スンチョル (民主労総委員長)、パク・ソグン(韓国進歩連帯共同代表)、クォン・ヨングク (サムスン労働人権守備隊共同代表)葬儀委員長、チョン・ギュソク(金属労組 委員長)執行委員長、ウィ・ヨンイル(サムスン電子サービス支会長)喪主で構成された。

2013年のクリスマスイブ、冷たい遺体が冷凍庫から出た日
「サムスンの労働者たちが堂々と労働者としての権利を保証されるように」

2013年のクリスマスイブは、チェ・ジョンボム烈士の冷たい遺体が冷凍庫から 出た日だ。赤い十字架がついた白い布がかけられた棺に横たわる烈士と初めて 向き合った遺族は、祈祷をしながらもぼうぜんと棺をながめた。出棺式で声を あげて泣くこともせず、青白い顔で座っている遺族の姿は、むしろ悲しみを 醸し出した。

全国金属労組全国サムスン電子サービス支会の組合員たちは「烈士精神継承」 と書かれた鉢巻きを巻いて葬儀場の廊下に一列に並び、沈黙の中で烈士をむか える準備をした。出棺式で金属労組のナム・ムヌ首席副委員長は「無労組経営、 悪態と暴言、長時間低賃金労働、勤労基準法無視など、あらゆる労働弾圧を 行うサムスン資本に対抗して烈士が自決して55日目の葬儀だ」とし「厳重に、 落ち着いて、秩序整然と牡丹公園にお迎えできるように努力しよう」と話した。

告別式に先立ち、遺族と組合員、参加者たちは先導隊の悲しい声に合わせて、 サムスン電子サービス天安センターまで30分ほど道路を行進した。参加者らの 歩みは、烈士の悲しみをひとつひとつ解く揺鈴の音に合わせてゆっくり動いた。 労働者たちが掲げる「烈士精神継承」、「労組弾圧中断」、「偽装請負撤廃」 などと書かれた黒い幟は、吹く風にひらひらとはためいた。

烈士が働いていた天安センターの前に出ていた労働者たちは、厳粛な表情で チェ・ジョンボム烈士をむかえた。烈士の夫人、イ・ミヒ氏はもう会うことが できない夫を死に追いやった場所、サムスン電子サービス天安センターの前に 到着すると、さめざめと涙を流し始めた。

告別式で民主労総のシン・スンチョル委員長は涙声で弔辞を朗読した。彼は 「民主労総は、烈士の命の代価を必ずサムスンから受け取る。サムスンが労働者 を働く機械ではなく、労働者として尊重するまで闘争する。サムスンが無労組 戦略を放棄するまで、戦って、また戦う」とし「烈士の切実な願いだったサムスン の労働者が堂々と労働者としての権利を勝ち取れるように民主労総が闘争する」 と力説した。

金属労組のチョン・ギュソク委員長は静かに「33歳の青年、チェ・ジョンボム 烈士は、一家庭の夫であり、今やっと一歳になった可愛いピョルちゃんの父だった。 烈士が夢見た労働解放、その解放の道は、私たち皆が共に進むべき労働解放、 人間解放の道だ」とし「チェ・ジョンボム烈士の死は、同僚への愛情に満ちた 焼けるような渇きだった。烈士の死は大きな愛であり、とてもつらい恋だった。 永遠に忘れずにおこう」と強調した。

サムスン電子サービス支会のウィ・ヨンイル支会長は「人が人間らしく生きる 世の中にしよう。烈士が願った世の中のために、堂々と戦おう。烈士が叫んだ スローガンは、一つ一つ私たちの胸に残っている」とし「悲しむのをやめよう」 と頼んだ。続いて彼は「烈士は、私たちに多くのことを気付かせた。労働者に クツワをはめ、資本と権力が首を締めても、一つになって抵抗しなければならない ということを本当に学んだ」とし「烈士が死で私たちを救ったのだ。必ず決死抗戦で 民主労組を守ろう」と声を高めた。

ソウル市瑞草洞のサムスン電子社屋の前にも、チェ・ジョンボム烈士の遺影が 掲げられ、労働者の要求が書かれた黒い幟が列になってひるがえった。チェ・ ジョンボム烈士が死ぬ前に最後に残した句も鳴り響いた。「これまでサムスン 電子サービスに通いながらあまりつらかったです。腹がへって暮らせず、皆 とてもつらくて、横で見ていてもつらかった。全泰壹様のようにはできなくても、 私は選択しました。ぜひ役に立たせてください」

特に冬の寒さの中、しっかりと包まれて現れた烈士の、娘ピョルちゃんの姿は 参加者の喉をつまらせた。烈士と最後の挨拶をする路祭なので、参加者は故人 の遺影の前に献花して、哀悼の波が続いた。続いて彼らは南揚州の磨石牡丹公園に 故人の遺体を安置して葬儀を終えた。

[出処:メディア忠清 ジョンウン現場記者]

[出処:メディア忠清 ジョンウン現場記者]

統一問題研究の白基玩(ペク・キワン)所長は「チェ・ジョンボム烈士がサムスン の廊下を歩く声が聞こえないか? さっき歌詞が聞こえた。チェ・ジョンボム烈士が 歩きながら『生きている者よ、後に続け』と歌っていた」とし「しっかり目を 開いて、前に進もう」と力説した。クォン・ヨングク弁護士は「サムスンを 変えなければ、私たちの人生を変えることができないという事実を烈士の犠牲で われわれは気付いた」とし「烈士よ、もう心残りと恨は私たちにまかせて行け。 私たちが烈士の意を繋いで戦う」と話した。

烈士の夫人、イ・ミヒ氏は「もう父のいない子供がなくなれば良い」とし、 言葉を途切らせた。烈士の二番目の兄チェ・ジョンホ氏は「ジョンボムが命を 捧げ、多くの方が続いて戦ってくれたことに対して遺族とジョンボムに代って 感謝する」とし「遺族も微力ながら一緒に弟の同僚の戦いに参加する。最後まで 弟を覚えてくれて感謝する」と伝えた。

[出処:メディア忠清 ジョンウン現場記者]

[出処:メディア忠清 ジョンウン現場記者]

[出処:メディア忠清 ジョンウン現場記者]

[出処:メディア忠清 ジョンウン現場記者]

この世を修理しよう

-チェ・ジョンボム烈士闘争に送る

ソン・ギョンドン詩人

いつも呼べば即座に駆け付けた君
もう呼んでもこない君

あなたのつぶれた人生は誰がASするのか
あなたの壊れた夢は誰がASするのか
あなたの中断された生は誰がASするのか
あなたの傷ついた心は誰がASするのか

この壊れた世の中は誰がASするのか
この不良な世の中は誰がASするのか
この汚点が多い世の中は誰がASするのか
この乱れた世の中は誰がASするのか

あの社長を修理しよう
あのサムスンを分解しよう
あの財閥らを廃棄しよう
あの公権力を没収しよう
あの憲法を交替しよう
あの権力らをASしよう

しかし仲間よ、それだけではいけない
私の人生に侵入した私資本のウイルスをASしよう
私の意識を支配して居座る私権力の過負荷をASしよう
ASしよう ASしよう
私をASしよう お前をASしよう
私たちをASしよう
私の心の卑怯を、私の生活の奴隷根性を、敗北意識をASしよう ASしよう

夢見る主体性を復元しよう
抵抗できる勇気を復元しよう
連帯のネットワークを復元しよう
総団結・総闘争戦線を復元しよう

彼らが消えた生の電源をまた入れない限り
私たちも彼らと手を握らず彼らをASしよう
彼らの誤りを直してやるのではなく彼らをASしよう
彼らの約束を守ってやるのではなく彼らをASしよう
彼らの困難を直してやるのではなく彼らをASしよう

故障したこの世を直す金技師に
世の中の支配回路を変える朴技師に
この世の主人を交替する崔技師に
生まれ変わろう

チェ・ジョンボム烈士略歴

  • 金属労組サムスン電子サービス支会天安分会組合員
  • 1981年出生(享年33歳)
  • 2010年5月入社
  • 2013年10月30日サムスン電子サービス支会カカオトーク部屋に遺書
  • 2013年10月31日チェ・ジョンボム烈士自決

付記
チョン・ジェウン記者はメディア忠清の記者です。 この記事はメディア忠清にも掲載されます。 チャムセサンは筆者が自分で書いた文章の同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-12-26 01:30:49 / Last modified on 2013-12-26 01:34:12 Copyright: Default

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