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「チョンボムの遺体安置所の菊が枯れた。われわれは最後まで行く」

[インタビュー]サムスン電子サービス同僚技師キム・ベソン、キム・ヨング氏の記憶

チョン・ジェウン記者 2013.12.03 23:13

1か月が過ぎた。サムスン電子サービスセンターのサービスマン、チェ・ジョンボム烈士の遺体安置所に置かれた菊が枯れた。彼は思い出が満ちている忠南道天安市の町内にある「千年木」の下で自ら命を絶った。10月31日、古くなった白いカーニバル車両が千年木の近くで発見された。彼は勤労基準法を守らず、労組を弾圧するサムスンに「抵抗」した。

同僚は何の言葉もなく遺影写真に残るチェ氏を見るのが落ち着かない。実感がない。 「チョンボム」と呼べば「先輩」と答えそうだ。彼は業務でも労組活動でも、 誰よりも熱情的だ。彼と一緒に酒を飲み、労組活動を始めたサービスマンの キム・ベソン、キム・ヨング氏は、後輩のチェ・ジョンボムが非常に懐かしい。

#1.労組連絡責任者

チェ・ジョンボム氏はサムスン電子サービス天安センター労組結成の初期メンバー だ。チェ氏は同僚の先輩と食事をしながら「私たちも労組を作ろう」と同意した。 キム・ベソン、キム・ヨング氏もこの席に一緒にいた。

今年7月、全国金属労組サムスン電子サービス支会が発足する前、全国的に 労組結成の風が吹いた。無労組経営を信念とするサムスン使用者側に知られないように 秘密裏に形成された。チェ氏は天安センターで一番早く電話をかけて「私たちも 労組に加入したい」と話した。

「労組結成のため最初の連絡責任者がチョンボムです。チョンボムが30分程、 電話で、労組に加入するにはどうすればいいのか? 書類を集めて渡せば良いか? 勤労者地位確認訴訟とは何か? などなど、一つ一つ尋ねました。ジョンボムが 通話の内容を全部録音までしながらです。今でなければ永遠にサムスンに労組 を作れないと思いました。今すぐ、労組を作らなければと考えました。ジョン ボムが勇気を出して、先に調べて始めたのです」

何人かが積極的に労組結成に動き、同僚の技師が参加した。全国サムスン電子 サービスのセンターの中でも天安センターは労組組織率が高い。「われわれは 不合理で、不当な待遇を受けてきた」、「今でなければ労組を作れない」とい う呪文が魔法のようにかかり始めた。

「痛ければ痛い、苦しければ苦しい、月給が少なければ月給が少ない、そう 言って行動しなければなりません。辛さを感じなければ世の中が変わらないのに われわれはそれが出来なかったんです。それで労組ができるといった時、 積極的に動きました」

チェ氏は労組活動に積極的だ。毎晩遅くまで働いていた彼が、労組決定の流れに 参加し、どこかでデモをするといえばプラカードを持って行き、労組の集まりが あれば訪ねて行ったという。キム・ベソン氏は10月26日、ソウルの永登浦センター 前の集会からの帰り道に、彼とした対話を思い出す。

チェ・ジョンボム氏と天安、牙山センター等の組合員が労組活動を終えてバスから降りてくる[出処:サムスン電子サービス同僚サービスマン]

「ジョンボムがバスで『先輩! 労組活動の先鋒に立つのでしょう?』といった。 バスでその話を聞いた同僚が冗談半分で一言ずつ言いました。するとジョンボ ムが『先輩、心配しないで下さい。私が先鋒に立つから付いてくれば良いです。 先輩が後にいてくれれば心強い』といいました。人々に自分が労組活動の先鋒 に立つから心配せず、一緒に行こうと話しました」

チェ氏が命を絶つ二日前、雨が降っていた日、チェ・ジョンボム氏とキム・ベ ソン、キム・ヨング氏の三人は一緒にマッコリを飲んだ。彼らがしばしば行く マッコリ屋だ。そのマッコリ屋で、先輩たちはチェ氏の気配りが本当に有難かった。

「ジョンボムが『先輩、毎晩労組役員と夕食を食べて金を使うのに、私費です か?』と尋ねた。それで『そうだ』と言うと『先輩、心配しないで下さい。私 が労組の会議時間に話して、さらに5千ウォン会費集めようと言います』といっ た。私たちが『大丈夫だ。後で苦しくなれば話す』とジョンボムに話しました。 とてもありがたかった。それほど気配りしてくれた」

金属労組歌が好きだったチェ氏は、カラオケのメニューにもこの歌があったら 良いといった。カラオケでマイクをつかんで声の限りに金属労組歌を歌ってみ たいというチェ氏だった。一番好きな労働歌の1位は金属労組歌で、その次に あなたのための行進曲と罷業歌だった。

「ジョンボムが歌手のように歌が上手でした。ところで妙なことに労働歌だけ 呼べば大衆歌謡より下手でした(笑)。初めて歌う歌なのに加えて、一般歌謡を 歌う方式とはちょっと違うでしょう。リズムも強いし。それで私たちがジョン ボムが歌った金属労組歌を録音してジョンボムにまた聞かせてあげましたよ。 われわれはそうして労働歌を練習しました」

#2.ドンキホーテ

キム・ヨング氏はチェ氏の遺影を持ってデモをして、偶然にチェ氏が暮らして いた町のクリーニング屋のおばさんと会った。そのおばさんはジョンボム氏を さして「よくズボンの修繕をした」と彼の死を惜しんだんだ。製品修理をして いれば服が裂けることが多く、チェ氏は一銭でも節約しようと新しい服を買わ ず、大事に着たという。

「サービスマンは概してそうですが、ジョンボムは体調が悪くても夜遅くまで 働きました。仕事にとても熱情的でした。バルコニーにしがみついてエアコン 作業をする時、とても危険なので私がちょっと体調を考えてしろといいました。 ジョンボムも気を付けて働いたが、そんなことにいちいち気を遣えば処理件数 が減って、月給が減る構造です。私も実績のために危険なバルコニーに立ちます」

故人は9月の1か月間、週末どころか秋夕の日にも働いた。修理資材がなかった り再修理の要請があれば、顧客の家を訪問して製品を修理しなければならない。 そうして働いて受けた9月の月給は310万ウォン程だが、車のガソリン代と食費、 携帯電話費などを除けば250万ウォンに過ぎなかった。それもシーズン7、8、9 月の月給だ。また業務用で使う車両が故障しても、会社から一銭の支援金もなく 自費で修理しなければならない。

「ジョンボムが車両修理費120万ウォンがかかった時、酒を飲みながら泣いた。 また車のドアが故障して、80万ウォン程修理費がかかった時、悲しんでいまし た。普通の人は自分の車を自費で修理するのは当然だが、私たちにはそれさえ 骨身にしみたのです。金を稼いでも車両維持費、携帯電話、食事代に出て行き ます」

キム・ヨング氏は後輩のチェ氏が痛ましかった。母親の調子が悪いので医療費 を稼がなければならなかった。夫人、娘と三人の仲むつまじい家庭生活を夢見 た彼は、家のローンも返さなければならなかった。

「ジョンボムは手でもどこでも、あちこち具合が悪かった。からだを惜しまず 働いたからです。基本的に生活費と母の医療費、家のローンが出て行くからで す。ジョンボムが小さな家を天安に持って、どれほど喜んだでしょうか。顔を 見ればわかります。自分もわが家ができたという幸福感ですね。ジョンボムが 妻の家で暮らしていたのです」

生計に苦しんだ故人は、誰よりも熱情的な人だった。キム・ベソン氏はそんな 故人を「ドンキホーテのような人」と表現した。何より彼は自分の修理技術力 を学ぶために孤軍奮闘した。一人で移動しながら、修理業務を遂行して、速く 製品を修理して、件数を上げれば最低賃金を超えるサービスマンは静かに業務 を学ぶ時間も与えられない。

「ジョンボムは自分が一度決心すれば押し進める性格でした。できるかどうか 体で一度あたってみます。夜11時、12時まで一人であれこれしてみながら、技 術力もはやく身につけました。いつか洗濯機の修理に一緒に行ったことがあり、 その時に親しくなりました。その時ジョンボムが『私は一時間もかかったのに 先輩はどうしてこんなに早く直せるのですか?』といって『一人でしようとす るより、共に学びながら働いけば、技術力がついて処理件数も増える』と話し たことを思い出します。しかし私たちにはそんな時間はありません」

▲チェ・ジョンボム氏が生前働いていた姿[出処:サムスン電子サービス同僚サービスマン]

▲チェ・ジョンボム氏の手だ。チェ氏の同僚は爪の垢が取れなくなるほど故人はよく働いたという。故人の指は傷だらけだった[出処:サムスン電子サービス同僚サービスマン]

#3.マッコリ

同僚らはチェ氏が死ぬ事二日前、彼の涙を見た。その日、マッコリ屋で傾けた チェ氏との酒杯が最後だとは夢にも思わなかった。チェ氏はマッコリ屋から出 てはしごした酒場で経済的に苦しいと涙を流した。

「なぜこんなに毎日、遅くまで働くのかと聞かれたら、われわれは平日に8時間 働いただけではとても暮らせない月給だと言いたいです。それだけ月給が少な いので、休みの日も奴隷のように働くしかなかった。同僚にはマイナス通帳も いっぱいになった友人がいます。ジョンボムもそうして働き、お母さんの医療費 に生活費に、ローンの返却金に... 会社から前借りもしました」

チェ氏は自分で計算した月給と会社が払う月給が違えば社長に抗議した。そん なことがよくあった。自ら件数を数えて月給を計算した時より、会社が17〜20 件ほど少なく働いたと計算して月給を払った。『なぜ私が働いたより月給が少 ないのか』と抗議すると、会社はチェ氏が会社からの前借りに言及しながら、 チェ氏の不満を押さえ込んだという。

「一度はジョンボムが計算したより少ない月給が払われたので社長の所に行っ て抗議しました。すると社長が『君、前借りはいつ返すのか?』と言いました。 ジョンボムがこれ以上何も言えなかったのです。本当に恥ずかしくないですか? 社長はジョンボムの前借りという弱点を捉えて『私が今すぐにでも前借り分の 月給を減らしてもいいが、そうしない』、『それなのにお前が金のことを言える 立場か』とおびやかしました」

キム・ベソン氏とキム・ヨング氏は葬儀の後、チェ・ジョンボム氏としばしば 行ったマッコリ屋に行ってチェ氏に最後の酒杯を捧げたいといった。そして、 千年木の下に行ってチェ氏を思う存分追憶したいと話した。『堪忍袋が切れる 状況』のような気持ちで、今でもマッコリ屋に行きたいが、耐えているという。 そのためにはすべきことがある。それはまさに烈士が最後に残した話、『同僚 にぜひ役に立ったら良い』を守ることだ。サムスン電子サービス支会はチェ氏 との約束を守るために、今、ソウル市瑞草洞のサムスン電子社屋前に向かう。

「この事態を解決するには天安センター協力社のサムスンTSPのイ・チェグン社長が 自主的に辞任しなければなりません。彼はジョンボムに口にすることもできな い悪態と暴言を浴びせ、彼を死に追いやった人です。イ・チェグン社長がこの 前『遺体安置所に行って弔問する』とし『いつでも呼んでくれ』と言いました。 その言葉だけ言えばいいのに、『お前らは弔問にも来なかったと言って、後で 私を犬野郎と言うのではないか』と付け加えました。彼は心から謝罪する気が ありません。そんな気持ちがあれば、ジョンボムが死んで記者らに手紙を送る こともなかったでしょう」

「まずイ・チェグン社長が執務してはいけません。本人自身が辞表を出さなけ ればなりません。それが人間としての道理でしょう。だが問題はイ・チェグン 社長は名ばかり社長なので、その能力がないということなのです。われわれは サムスン電子サービス本社から業務指示を受け、教育を受け、朝晩ミーティン グをして、本社が持って行きました。偽装請負の張本人、まさにサムスン電子 サービスがこの問題を解決しなければなりません」

付記
チョン・ジェウン記者はメディア忠清の記者です。 この記事はメディア忠清にも掲載されます。 チャムセサンは筆者が自分で書いた文章の同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-12-04 21:26:29 / Last modified on 2013-12-04 21:29:41 Copyright: Default

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