本文の先頭へ
LNJ Logo 韓国:「第2の竜山惨事」…漢江投身撤去民、烈士対策委を組織
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1544723423851St...
Status: published
View


「第2の竜山惨事」…漢江投身撤去民、烈士対策委を組織

強制撤去された後に空き家を転々とした烈士…道で配られた広告ビラに遺書

パク・タソル記者 2018.12.05 18:43

「賃貸住宅も必要なく、何も必要ありません。 私の息子、一人息子、それ一つが私の宝物で全てです。 その子さえ助かればいい。 私の息子を生き返らせてください。 私の全てを失ったのに、何が必要ですか。」

60歳のお母さんが37歳で故人になった息子を返してほしいと麻浦区庁の前に立った。 今年9月まで、阿蜆2再建築区域の賃借人だったお母さんと息子は、 3回の強制執行の末に丸裸で追い出され、 3か月後に永遠に会えない状況になってしまった。

故パク・チュンギョン(37)烈士が冷たい遺体で発見されたのは4日の午前だった。 警察によれば、烈士は12月3日に漢江に身を投じ、 一日後の4日午前11時25分頃、漢江の楊花大橋と城山大橋の間で死んでいるのが発見された。 それより前の3日には、息子の遺書がカバン、携帯電話と共に発見された。 広告ビラになぐり書きされた遺書にはお母さんへの内容でいっぱいだった。

[出処:貧民解放実践連帯]

「私はこのまま死んでもお母さんは全撤連の会員と頑張って闘争しているのか心配です」。 「私はこうして行きますが、お母さんは賃貸アパートを得て、私のようにならないようにしてください」。 「毎日のようにやせて行き、シワが増えるお母さんを見て心が痛かった」。 「だめな息子が先に行くことになって、また不孝をします」。 「お母さんの安定した生活を望みます。いつも感謝して愛していました」。

頼むから考えを変えて、どこかから生きているという便りが伝わるのを待っていたが、 息子は結局漢江に身を投げた。 強制執行の記憶と、終わるとは思わなかった息子との最後の出会いを打ち明けるお母さんの声は絶叫に変わった。 「11月30日にまた強制撤去がありました。 午前10時すぎに息子から携帯メッセージがきましたが、また追い出されたそうです。 追い出された息子に、寒いからサウナに行けと5万ウォンを与えました。 金がなくなれば、いつでもお母さんのところにこいといって別れました。 私はここにいなければならないので、お前はサウナに行っていろといったのに、 そこに行かず他の所に行って永遠に帰ってこなくなりました」。

全国撤去民連合などによれば去る8月、母子が暮らしていた借家に強制撤去が試みられ、 9月6日その家から完全に追い出された。 烈士のお母さんによれば、女性の用役3人がお母さんをふとんでくるんで外に出そうとした。 お母さんが抵抗すると、さらに男性用役2人がきてお母さんをくるんだ。 お母さんと烈士はその時から別に過ごし始めた。 烈士は居住する所がなく、開発地区内の空き家を転々としながら生活してきた。 そのうちに起居していた空き家まで暴力的な強制執行を受けた。 烈士は三回目の強制執行の後、38時間を路上を転々としながら寒さに震え、結局命を絶った。

全撤連などが緊急記者会見開き「社会的他殺」と規定

貧民解放実践連帯(全国撤去民連合、民主露天商全国連合)、竜山惨事真相究明委員会は 12月5日午後2時、麻浦区庁の前で緊急記者会見を行って 「麻浦阿蜆洞の撤去民パク・チュンギョンの死は、国家による社会的他殺」とし 「再開発組合許の認可者であり、管理・監督権者である麻浦区庁には 殺人的な強制撤去を放置した一次的責任がある」と糾弾した。 彼らは麻浦区庁の責任究明と再発防止、対策用意を要求した。

全国撤去民連合のナム・ギョンナム議長は 「われわれは故パク・チュンギョン氏を今や烈士と呼ぶ。 今日の記者会見が終れば全国撤去民連合と民主露天商全国連合、 竜山惨事真相究明委員会が烈士非常対策委を結成する。 非常対策委は必ず社会的他殺を行った責任者を処罰して、 貧しい庶民の住居生存権のために闘争する」と明らかにした。

民主露天商連合のチェ・ヨンチャン議長は 「常識以下の暴力的な撤去が起きている現場で、 撤去民と商人が助けてくれと叫んだが、誰もこない。 強制撤去を傍観した警察だが、今は麻浦区庁を守るために群がっている。 撤去民が用役から殴られる時、自分の仕事ではないと傍観した公務員、警察が 烈士を殺した」と叱責した。

竜山惨事真相究明委員会のチョ・フェジュ代表は 「10年前に竜山惨事が起きた。 櫓に上がった撤去民を一日も経たずに鎮圧し、 撤去民5人、警察1人が死亡した竜山惨事をある人は虐殺だと言う」とし 「パク・チュンギョン烈士も強い公権力に対抗することができずに死んでしまった。 だがすすんで死んだのか訊ねたい。 10年前の国家暴力が竜山撤去民を殺したように、 今回の事件も麻浦惨事、麻浦虐殺だと呼ぶのが当然だ」と指摘した。

貧困社会連帯のイ・ウォノ執行委員長は、 再建築組合、麻浦区庁、ソウル市を次々とあげて それぞれの責任問題を問うた。 イ執行委員長は 「10月末、11月初めにソウル市は麻浦区庁に文書を送り、 再建築組合が強制執行の48時間前に区庁に執行状況を通知し、 区庁はこれをソウル市に伝えて人権守備隊を派遣するよう要求した。 しかし組合はずっとこの措置を履行せず、 ソウル市は強制執行許認可を守らない組合に撤去中止命令をしたり賃貸取り消し命令をする行政措置を取れと言ったが、 麻浦区庁は全く聞かなかった」と明らかにした。 続いて「ソウル市も行政命令を拒否する区庁や組合に対して手をこまねいているのは同じだった」とし 「文書2枚を送った以外に何をしたのか訊ねたい」と批判した。 イ執行委員長は「ソウルの多くの再開発地域がニュータウン区域を解約したというが、 なぜここではそのまま強行されたのか、 いったいどんな力が作動したのかを問わなければならない」とし 「2003年からここを経て行った区庁長、国会議員の責任を明らかにしなければならない」と声を高めた。

一方、麻浦区庁長は阿蜆地域の強制撤去問題が解決するまで撤去を全面中断し、 現在残っている用役を撤収させるという方針を出したと見られる。 今日の記者会見が終わり、貧民解放実践連帯、竜山惨事真相究明会などは 麻浦区庁長と面談し、こうした内容を伝えた。 全国撤去民連合のキム・ソヨン活動家は 「区庁が直接人を派遣して用役を整理するといった。 こちら側は責任者の処罰などを強く話したが、 庁長は住居権に関して検討すると話している状態だ。 面談の結果は決まっておらず、対話を続けて調整すべき部分のようだ」と明らかにした。

烈士の遺体安置所はトンシン病院の葬儀場3号室に作られた。 烈士の葬儀に関する部分はまだ議論が続いている。

故パク・チュンギョン烈士遺書

私は麻浦区阿蜆洞572-55号に月貰でお母さんと暮らしていましたが 3回の強制執行ですべてを奪われて追い出され、このカバン一つが全てです。 寒い冬にシャワーもできず、食べることも寝ることもできずに行く所もありません。 3日間、寒い冬を道で過ごし、明日がくるのが恐ろしくて自殺を選択します。 私はこのまま死にますが、お母さんは全撤連の会員と頑張って闘争しているかと心配です。 お母さんも行く所がないからです。 私はこのようにして行きますが、お母さんには賃貸アパートを差し上げて、 私のようにならないようにしてください。 日々やせて行き、シワが増えるお母さんを見ながら心が痛かったです。 お母さんの力になって差し上げなければならなかったのに、 いつも荷物になって恥ずかしく申し訳ありません。 だめな息子が先に行くことになって、また不孝をします。 お母さんの安定した生活を望み、常に感謝して愛していました。 また私が知っているすべての人々も…

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-12-14 02:50:23 / Last modified on 2018-12-14 02:50:25 Copyright: Default

関連記事キーワード



このフォルダのファイル一覧上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について