『本当のゲイ』の話が映画になり、観客と出会う。韓国ゲイ人権運動団体の
『チングサイ(友人間)』と性的少数者文化環境のための会『ピンクのスカート』
が共同で製作した『国内初のゲイ・カミングアウトドキュメンタリー』〈鍾路の
奇跡〉がそれだ。
カミングアウトは終わることがない宿題のようだという映画監督ムンジュンと、
思いきり愛したくて同性愛者人権運動をしているという人権活動家ビョングォン、
一足遅くゲイコミュニティと出会い、人生の黄金期をむかえたヨンス、そして
HIV感染者のパートナーと美しい愛を分けるヨルまで。映画は4人のゲイの率直な
生と悩みを語る。
だが映画でカミングアウトするのは四人の主人公だけではない。ゲイコミュニ
ティで活動する多くのゲイがモザイク処理なしでカメラに顔を出し、カミング
アウトをしたし、彼らの堂々とし軽快な人生は結局、カメラの後に隠れようと
したゲイ監督までカミングアウトを決心させた。彼らの勇気と決断がなければ、
世の中に出なかっただろう鍾路の奇跡は、おそらく誕生から『奇跡』と言える
ほどであった。
5月27日、ピンクのスカートで活動するイ・ヒョクサン監督と会い、ゲイ監督が
ゲイ映画を作ることがの意味について、あえて映画でカミングアウトまでした
のかを尋ねた。相変らず『監督』という呼称より『活動家』という修飾語の方
がなじむというイ監督は、『ゲイ監督のゲイ映画作り』を偏見と歪曲に対する
ゲイの自分史だと説明した。そしてドキュメンタリーを『論説』と比喩して、
むしろ『客観』という耳触りが良い包装で自分を隠そうとした作業初期の態度
を「表面だけだった」と一喝した。
2010年の釜山国際映画祭でピプメセナ賞を取り、12日に開かれた第15回人権
映画祭の開幕作として上映され、多くの人から好評だった〈鍾路の奇跡〉は
6月2日にCGVムービーコラージュ館、サンサンマダンなど全国二十の上映館で
さらに多くの観客と出会う予定だ。
まだどこかで自分の性アイデンティティーに悩むゲイのためにこの映画を作っ
たというイ監督は、映画で巨大なカミングアウトの波を作り出すもうひとつの
奇跡を夢見ていた。
「多くはないが性少数者のコミュニティで映画を見て『まず勇気を持って出て
くれてありがとう、私も監督さんや主人公のような道を歩きたい』というよう
な反応があると、私にも、とても大きな刺激になって力になります。まだ自分
のアイデンティティに悩む性少数者が『そのドキュメンタリーを見れば私のよ
うな悩んでいる人と会えないだろうか、彼らと会えないだろうか』という期待
で鍾路や劇場やチングサイにでも訪ねて来る端緒になるとすれば、それこそ
鍾路の奇跡ではないでしょうか」。
もちろん異性愛者がこの映画を見て、同性愛者の現実を理解して、彼らを支持
するようになれば、それも大切な成果だ。その為に、まずイ監督がしようとし
ているのは、映画館によく顔を出すことだ。この映画や自分を見て「実際のゲイ
を初めて見る」と言う『普通の観客』のためだ。おかげで観客も、すぐ全国の
上映館で彼に会えそうだ。
「偏見が作り出した『花ゲイ』や『あら〜』という女性らしいゲイだけでなく、
こんな平凡なおじさんゲイもいるということを見せなければ。それが使命で、
一つの運動になりました」。
「ホモフォビアと戦わなければならないのなら、喜んで戦う」
イ・ヒョクサン監督インタビュー全文
〈鍾路の奇跡〉が監督の初演出作だと聞いた。なぜゲイを素材にした映画を撮ることになったのか
『ピンクのスカート』で一番初めに作った映画が性売買、基地村の女性たちの
ドキュメンタリー〈ママサン〉だった。次にトランスジェンダーの話を扱った
〈3×FTM〉と、レズビアン国会議員候補のチェ・ヒョンスク氏が登場する
〈レズビアン政治挑戦記〉を次々と作った。そうしたら内部から『今度はゲイの
ドキュメンタリーをすべきではないか』という話が出てきた。ピンクのスカート
の中でゲイは自分だけではなかったし、自然に私にプロジェクトがくることに
なった。私は個人的にゲイの歴史ドキュメンタリーを作りたかった。近代化の
時期の年をとったゲイがどのように生きていたのか、鍾路がどのようにして形成
されたのかを映したかったが、勉強をしてみるととても大きな話だった。それで
このドキュメンタリーは長くかかりそうだったのですが、その時にチングサイ
から提案があった。2003年からホームページでカミングアウトのインタビュー
をしたが、このインタビューを映像にする企画をしたので、一緒にやらないか
という。私もちょうど既存のアイテムが絶望的で心配しいたところなので、では
まず同時代の話をしようと思って始まった。チングサイも企画の時に『ゲイが
作ったゲイ・ドキュメンタリー』部分を重要だと思っていた。
『ゲイが作ったゲイドキュメンタリー』がなぜ重要だったのか
これまでの主流メディアで再現されたゲイは人々の基本的な偏見に基づいて描
かれることが多かった。多数者の視点から再現されたゲイの姿は、ほとんどが
とても女性的に戯画化された姿か、とてもハンサムな専門職の素晴らしい姿だ
が、私たちの視点からそんな歪曲の枠組みを剥いでみようというのが最大の
目的だった。男性的な視線で女性を対象化する既存の枠組みから抜け出して、
女性が見た視角で女性が見た世の中、女性の歴史を映画で描く女性主義映画運動と
似ていると考えればいい。
ゲイが演出することでゲイの人生を偏見なく描けるのが長所かもしれないが、監督としては距離をおくことの悩みもあったようだ
もちろんだ。一番最初は客観的な距離を保って私を出さないようにした。今考
えてみれば、あまり表面的だったようだ。ドキュメンタリーは客観的な事実を
記録するという伝統的な通念がありますね。でもドキュメンタリーというジャ
ンルは、ある意味で社会的な問題や多様な社会問題について、監督がある立場
を代弁して主張する、言わば論説のようなものだ。だがそこで客観や事実とい
うドキュメンタリーの幻想、神話に必ずしばられる必要があるのかと思った。
とにかく、これは異性愛中心の社会に対する性少数者の一種のメッセージで、
私たちの立場であり、それなら出てきて主人公の関係が映画の中にもっと出て
くるようにすることで、ドキュメンタリーがむしろ力を持つのではないかと思っ
た。それで一番最初は画面や声などで介入しないようにしていたが、映画を作る
過程で主人公と私の相互作用がとても活発になり、こうしたことを自然に出して
みようという側に立場が変わった。
監督介入の絶頂はカミングアウトだったようだ。いつその決断をしたのか
初めから『ゲイが作ったゲイドキュメンタリー』を撮ろうということ自体が、
カミングアウトを念頭に置いていたのだが、事実そうは言っても悩みは多かっ
た。私自身もいつかは社会的カミングアウトをしなければならないと思ったが、
カミングアウトがひとりの人生にすごい変化を持たらすので、恐れが先んじた
りもした。他の見方をすれば、客観的に距離をおくことを初めて試みようとし
たのも、監督のアイデンティティを隠そうとする見せ掛けだったのかもしれな
い。ところで主人公の姿や彼らとの関係の中で、私が勇気をもらってカミング
アウトすることに確信を持った。
映画を見ると本当にある瞬間にカメラと対象の間に境界がなくなるような感じがする。それだけ互いに交感があったことの傍証でしょうが、監督も主人公の人生を見て、影響され変化した部分があるのでしょう
そうだ。私が一番はっきり変わったのはこのドキュメンタリーの最後の部分が
HIVになったことだ。一番最初にヨルのコンセプトは大企業に通う会社員のゲイ
だった。会社の中での対立やカミングアウトの恐れ、こうした話をしたかった。
だがHIV人権運動をするヨルの姿やヨルとソクチュ(ヨルの恋人)の関係を見て、
私もやはりこの問題が他人事ではないという気がし始めた。私も前からそんな
連帯活動をしていたが、HIV問題に皮相的に接近していた部分がある。HIVは、
同性愛者がまき散らした病気だという烙印のために、むしろさらに話そうとし
たがらない雰囲気もある。だが、誰かは話さなければならず、ではこのドキュ
メンタリーで今からでも話すほうが良いのではないかという気がした。HIVを見
る自分の視線そのものが変わった。そのようにHIVの比重が大きくなってヨルの
エピソードが変わり、一番最後のエピソードで仕事をすることになった。それ
がこのドキュメンタリーを作りながら、カミングアウトの決心とともに一番大
きく変わった部分だ。観客もHIVの問題を胸に抱いて劇場を出てほしい。
HIVを直接話すことになったのはゲイとしての自己アイデンティティの確信とも関係があるのか
私のアイデンティティについての確信というよりは、私が結んでいる関係に
ついて確信を持った。ヨルと私との関係、そしてヨルと恋人の関係、性少数者
コミュニティの私の愛情や確信がなければエイズ問題は叫ばなかっただろう。
映画主人公の4人は前から知っていたのか
鍾路はとても狭くて、チュンムン、ヨル、ピョングォンの3人は知っていた。親
しくはなくかったが、すれ違えば挨拶する程度の間だったがドキュメンタリー
を写しながら、本当に親しくなった。ヨンスは当時、チングサイにきてから
あまり経たない友人で、映画を作るにあたり初めて会った。
その4人はどう選んだのか
4人ともチングサイのインタビューをした、またはする人々だった。まずカミン
グアウトインタビューした人の中から選んだ。何人かに依頼が入ったが一番早
くクィアー映画を作り、カミングアウトしたチュンムンがOKをした。ピョングォ
ンとヨルは同性愛者人権連帯(同人連)で活動し、カミングアウトについてのさ
まざまな悩みや経験があったので、この話を通じてさらに大きなカミングアウト
をしたいと思い、最後にヨンスをキャスティングした。ヨンスはちょうど
チングサイで熱心に活動していて、キャラクター自体が魅力的でもあった。
最初は5人程度の話にしようとしたが、4人以上は見つからなかった。
主人公を説得するのも容易ではなかったようだ
ひとまずジュンムンはあまりにも生まれつきの女優で露出症がある子なので、
あまり無理はなかった(笑い)。ヨルとビョングォンはそれぞれカミングアウト
の程度が違う。ヨルは両親が知っているが、両親はこの子が治ったと考えてい
て、ビョングォンは両親に言っていない。そんな部分が気掛かりだったが、こ
の映画が一種の性少数者人権運動の一環として作られたドキュメンタリーで、
彼らがまた生まれつきの活動家なので、そんな大義で決意し、自分の恐れを
対話で解いていく過程があった。
事実映画を見て、4人それぞれのキャラクターはとても個性的で多様で、そんなことも考慮したのだろうか、とても細心だと思った
性少数者の再現は実際、一番重要な前提がカミングアウトだ。性少数者として
出演するというのは、つまりカミングアウトなので、カミングアウトという先
決条件もなければならないということで、また自分の生が他人に見られるとい
う恐れも克服しなければならない。この2つの条件を共に乗り越えなければなら
ないので、事実、性格やキャラクターの個性、そうしたことを考慮するのは難
しい部分だ。ところが結果として本当にすべての人の人生は記録する価値があ
り、歴史的に意味があるのだと感じた。主人公全員にそんな意味と個性があった。
主人公がポスターに顔も出し、各種の広報活動にも積極的に参加している。トランスジェンダーが出てくる前作〈3×FTM〉と較べると大々的なカミングアウトだ
少数者人権活動の決意があったからできた。そして性少数者内部にトランスジェ
ンダー、レズビアン、ゲイが置かれた各々の状況や条件の差異も一つの理由で
はないか。性少数者内部の階層を問うというより、ドラマや各種のメディアで
ゲイの文化に対する再現が以前よりLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、
トランスジェンダー。性少数者の意味)グループ内で一番多くされてきたから。
そんなことが映画の雰囲気にも影響したのか。映画は全般的に明るくて軽快だ
影響したようだが、演出の特性ではないだろうか。そうだな。戦略だったよう
だ。封切りを念頭にしているので、もっと多くの人に見られるようにする戦略。
事実、私も最近悩んでいる。ゲイがチルレルレパルレルレするからなのか。ゲ
イらがも男子なので性少数者内部でも社会的主導権を持っている感じのために
このように出てきたのだろうか。何主人公たちキャラクターもあったこと同じ
で複合的であるようだ。
封切りになると、社会的にカミングアウトすることになるのは監督としても悩んだようだが
封切りを前提としていたが、これ程、事が大きくなるとは思わなかった。事実
企画の初めには封切りでもなくてホームページに映像インタビューを載せよう
という程度だった。ところがこれほど大きくなって、釜山映画祭でもワールド
プレミアで紹介され、賞を取って映画祭で上映され、封切りまですることになっ
たので、これが本当に映画が持つ力なんだと思う。
上映後、感じている変化はあるか
単純に知っている人が増えた。『へぇ、あの人ゲイなんだって』こんな形で。
それまではピンクのスカートの活動家といっても多くの人が監督さんと呼んで
いたので、まだかなり馴染まない。それがちょっと変わったようだ。何よりも
意味があると思うのは、性少数者コミュニティが私と主人公から元気を得られ
ることのようだ。多くはないが『まず勇気を持って出てくれてありがたい、私
も監督さんや主人公のような道を歩きたい』といった反応があると、私にも
大きな刺激になり、力になる。
主人公が勇気を持って決断して映画ができたが、封切られると予想できなかった状況が起きることもある
実はドキュメンタリーで、すでにカミングアウトをしたが、あまりにも異性愛
中心社会で今もどんな形で反応がくるのか悩み、気を遣うようだ。封切られる
と本当に世の中のホモフォビア(homophobia、同性愛への無条件の嫌悪とそれに
よる差別)と向き合うことになる状況だから。今日もヨンのFaceBookに入ったら
新聞に私の顔が出るのは恐ろしいと書いていた。それにしても映等委が私たち
の予告篇を審議を拒否し、等級が出てないことを理由に試写会ができないよう
に圧力をかけるホモフォビアを見て、(封切りが)とても大ごとになるかもしれ
ないと思った。だが妙に怖くない。とてもおもしろい。狂ったようだ(笑い)。
後ろ指を指されようが指されまいが、自分が行く道を行かなければならないと
いう気がして、とても自由で自然と進むようでうれしい。ところでひょっとし
て知らないさまざまな事への準備や、そうしたことはしなければならないだろ
う。相対して戦わなければならなければ戦う。戦意を燃やしていたりもする。
映画祭で何度か観客と会ったが、反応はどうか
驚いたのはゲイがあんな暮らしをしているとは知らなかったという反応だ。映
像で初めてゲイを見た、私が挨拶に行くと、私を見て実際ゲイを初めて見た、
思ったより平凡ですね、人のようですね、そんな反応がある。韓国で暮す人々
ではなく、自分が作ったイメージで考えている人が、とても平凡なゲイの姿を
見て、そんな反応をする。そんなことを見るたびに、うまくできたと考えて、
まだまだだとも考えて。私ももっと動かなければならない。実際にゲイを見た
がる人々のために(笑い)。あなた方が考えているように『花ゲイ』でもなく、
こんなおじさんのような、太った豚ゲイもいる。本当に違わない。いや、違う
かもしれない。とにかく、こうなった。同性愛者と会えない人に私の存在を観
客との対話という形式を通じてでも表わすことそのものが使命であり、一つの
運動になった。存在を表面化して、刻印させるのだから。
まずカミングアウトした監督たちもいる
でも彼らは有名人といった感じなので。有名人で芸術家なので、ああして暮す
だろうというが、私はまだあまり有名でもなく、あまり可愛くないから。行っ
て私の姿を見せて話して偏見を破り、映画で言えなかった不足した部分を満た
したい。劇場のロビーの入口に立っていなくちゃ。『あの監督なんです、気に
なることがあれば出てきて質問して下さい』このように。
監督としては今回の映画にどれくらい満足しているか
ひとまず私は終わっただけでうれしくて幸せだと思う。人生で演出をするとい
うことが個人的に私にとって重要な試みで、だから大変だった部分もあったし、
主人公のヨンスの死もあったし…私の力不足で2年間とても苦労した。ピンクの
スカートの活動家に迷惑もかけた。若干憂鬱症にもなったようだ。それで部屋
でコンピュータの前に座り、動くこともなくなっている。まわりの人たちがと
ても心配した。もう少しあんな状態だったら病院に連れていくつもりだと。そ
れで作業を終わらせて封切りまで続いたことだけで、ただ安心する。作品自体
は力不足のところが多い。それはこれから返して行かなければ。また次の作品
ができるかわからないが(笑い)。
すでにマスコミのインタビューで、次の作品計画を話しましたが
歴史ドキュメンタリーを撮ろうとしてたが、先にこれをやったと言ったから、
そんな形で書いたのだろう。事実、何か本心を言ってもいいようなメディアに
は『次の作品、できるでしょうか。考えたくありません』と言う(笑い)。
作業で一番大変だったのは何か
カミングアウトの決心、そしてそれを固めていく過程が大変だった。主人公も
みんな同じように感じただろう。そしてこの映画が性少数者の力になれるかと
いう一番原則的な悩みがあった。私たちが考える意図、性少数者の人権伸長、
ゲイのコミュニティを知らせる役割を達成できるか、そんなことが私ができる
かという。私がこのドキュメンタリーでとても深く悩んだことがあるのだが、
鍾路でカメラに対する拒否反応があった時だ。通りがかりの年配の人たちが、
なぜこんなものを撮るのかと怒られた時、『このドキュメンタリーが性少数者
のために作ったのだが、ゲイが支持してくれなければどうするか』という心配
で何日も眠れなかった。事実そんな人はまだいる。こっそりちゃんと暮らして
いるのに、君はなぜあえて鍾路まで暴いて、ドキュメンタリーを撮るのか。そ
う考えている。あえて知らせたくなくてカミングアウトしなくても、自分たち
はちゃんと暮らしているように見えるから。でも通りがかりに、何だ、なるよ
うになれ、そんな気がした。私が思うにゲイは今のように週末には鍾路にきて、
それまでの間の憂いを晴し、友人と会い、愛する人と会い、これら全てが可能
になったのは、前からカミングアウトして熱心に闘争してきた『姉さん』たち
のおかげだ。性少数者運動をしてきたレズビアン、トランスジェンダー、ゲイ
のことだ。その恩恵を今、鍾路が享受しているのに、みんな事はそれをよく知
らずにいる。
カミングアウトに対する考えが違っているのではないか。彼らはまさに自分の生に邪魔になるからできるだけカミングアウトを避けたいが、監督は長期的に見てカミングアウトが必要だということか
すべての運動は『私たちはここにいる』から始まる。『私のような存在がここ
にいます。私たちはあなたたちとは違います。でも私たちもあなた方と一緒に
暮らしています。一緒に暮らしましょう』が運動の始まりだ。LGBT性少数者に
とっても、それが一番重要な出発点になるだろう。もちろんカミングアウトす
る権利と自由、またカミングアウトしない権利と自由も尊重されなければなら
ない。それでこんなことも考える。私たちが代行するのです。私たちがまず先
に戦う。後でもがんばってくれ(笑い)。
私は鍾路に行ってもゲイコミュニティがよく見えなかった
遠慮なく何かをかけておくことはできないから。最近はレインボー旗やレイン
ボー三角をかけておいたりもする。2008年に私が初めてカメラ持って出て行っ
た時は、旗をかけているところは一つしかなかったが、今は何か所かある。前
は地下の隅っこにひっそりと隠れて、看板も小さかったゲイバーが、最近はレ
インボーも作ってかけて、1階に上がってきて、こうしたことが感知され、鍾路
という空間も少しずつ変化をしているんだな、少しずつオープンになっている
んだなということを感じる。前はみんな何で撮るんだといった反応が多かった
が、最近はカメラ持って通りを撮していると『あらお姉さん、私もちょっと撮っ
てよ』と位って、カメラに自分から反応する人もいる。若い人たちだが、2年は
短い時間でも、そんな変化が感知される。
話を聞くと、監督にとって映画は闘争の道具のようだ
そのようだ。結局、闘争というものは誰かの心を動かして、他人に共感し他人
の感情に耳を傾け共にするところから始まるわけだ。誰かの苦痛と喜びと幸福
に共感するのにドキュメンタリーは良い媒介になるようだ。
ドキュメンタリーとして難しかった点はないか
4人の主人公、そしてドキュメンタリーに出演した多くの人々に結局借りを作っ
たという気がする。もちろん性少数者の人権運動のために作ったし、もっと頑
張らなければという思いで完成させたが、完成が最後ではなく始まりだという
気がする。主人公たちに冗談のように『お前たちに何かあれば私が一生守って
やる。私の後に隠れろ!』と行った。本当にそうなりそうだ。彼らが一生持って
行く性少数者としての生、生活の指向、彼らが話したい問題、私はそれらと最
後まで一緒にすべきではないだろうか。そんな面で見れば、このドキュメンタ
リーというものが私をとても変え、うれしくて愛らしい部分はあるが、大きな
宿題を投げかけたようだ。そんな責任感で肩が重くなったりもする。
観客どれぐらいほしいか
そんなことは考えたことがないが、1万人だけ入ればうれしい。独立映画で1万
という数はある段階に次元移動すると言われる。1万人が見れば人の間でうわさ
が広がり始め、独立映画が好きな人にはその映画はぜひ見るべき映画だという
共感のようなものが生まれる段階だ。事実、興行になるということは少数者の
問題が広がるということで、カミングアウトという巨大なキャンペーンがうま
くいくという意味だから。『鍾路の奇跡というドキュメンタリーがあるんだっ
て、それでゲイのカミングアウト・ドキュメンタリーで、性少数者が集団で出
てくるドキュメンタリーだ』と人の間で広く知られるようになった瞬間、誰か
に私たちの存在が知らされ、それがまだ自分のアイデンティティに悩む性少数
者が『ああ、そのドキュメンタリーを見れば私のような悩んでいる人と会える
のではないだろうか、彼らと会えないだろうか』という期待感で鍾路でも劇場
でも私でもチングサイでも同人連でもピンクのスカートでも、来る端緒になれ
ば、それこそ鍾路の奇跡ではないか。
結局、映画の目的は性少数者にゲイコミュニティを知らせることだったのか
もちろん、多くの人が見て、非性少数者の観客が性少数者の現実に共感して尊
重し、応援するドキュメンタリーになれば良いが、まだ自分の性アイデンティ
ティーで悩むとても多くの性少数者がいる。私はどうもゲイ、レズビアン、ト
ランスジェンダー、バイセクシュアルのようだが、誰かに話せないし、ある人
はその苦しみがあまりにつらくて本当にしてはならない選択をするかもしれな
い。そんなような、私がどこに行ってこの悩みを解決すべきかと頭を抱えてい
る多くの性少数者にこの映画が近付くことができれば良い。『あなたの友人が
鍾路にいます、ですから来て下さい。一緒に悩みを解いて、同じように幸せに
なります』と話せるようなドキュメンタリーになれば良い。