韓国:5・31大衆抗争は市民大衆の勝利 | |||||||
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5・31大衆抗争は市民大衆の勝利[コラム]失望、怒りを越えて抵抗へ:これ以上の屈従はない
イ・ドクチェ(論説委員)/
2008年06月03日12時14分
じっとしていろ。これは何の歌だろう? プラザホテルを間にはさみ、韓国銀行 を通り、地下鉄乙支路1街にさしかかる頃、記憶の中には残っているがしばらく 忘れていたメロディが人々の口から自然に流れてきた。「平和がくるまで平和 を叫べ、平和がくるまで平和を叫べ、水辺の木のように揺れないように」。 21年前の6・10抗争の時、28年前の光州抗争の時、学生たちは歌を歌いながら、 軍事独裁打倒を叫んだ。「民主がくるまで民主を叫べ、民主がくるまで民主を 叫べ、水辺の木のように揺れないように」。 空輸特攻隊が光州に到着するやいなや歩道に飛び込み、いきなりこん棒で人々 を振り回して殴る暴力で始まった光州抗争のように、警察特攻隊はナイフでは なく、角がとがった盾でも充分に暴力を行使した。血まみれのタオル、盾で殴 られ血を流す顔、倒れた女子学生を押して蹴った軍靴、目と耳を狙った放水銃、 警察の車から無実の市民をつき落とす蛮行など、ナイフと銃を取らなかっただ けで、警察の暴力は警察国家の面目を遺憾なく発揮した。 一言で『人だかり』、それ以上の表現を探せなかった。ソウル市庁前広場を中 心に、プラザホテル前、広場の向い側の徳寿宮まで、舞台が見えないほど大衆 は広場を大衆的な抵抗の空間に変革させる準備をして、人だかりになって集まっ た。2008年5月31日午後8時半、「大統領府まで行こうか?」というスローガンに 合わせ、大衆は躊躇なく平和のキャンドルを持って席を立った。25次キャンド ル集会の間、大衆は自らを大衆の真心に変化させていた。ディジカメ、ノート パソコン、携帯電話で武装した大衆は、一言で都市を掻き回すデジタルゲリラ だった。昔の全斗煥軍事独裁ではなくても、国民の意思を無視して自分勝手に することも『独裁』だと明確に知る大衆は、李明博政権の前にひざまずくどこ ろか李明博政権を国民の主権の下に屈服させるために『平和』を叫び、大統領 府に進んだ。 ▲5月31日夜から6月1日明け方まで三清トンネル入口/チャムセサン資料写真 87年6月、顔にマスクをして峻厳な路上闘争をした韓国銀行前の噴水を行き過ぎ て、大衆は今、新自由主義的な警察国家に抵抗しようと『自ら』、そして軽い 足取りに出た。護憲撤廃を叫んであふれる催涙弾を避けて、大学生が韓国銀行、 新世界百貨店周辺の路地に避けて身を守った場所を文字通り『大衆一般』が掌 握した。大学生、高校生、子供、子供の手をとる若いお母さん、乳母車、『我 が家はBSE牛肉に反対します』という書かれたプラカードを体に巻きつけてキャ ンドルを振り、楽しそうな表情の女、そしてそのそばに真摯な表情ながらも満 足そうな夫、中折帽に若干腰は曲がっているが共に行進した老人たち、スロー ガンは叫ばず両手をポケットにいれたまま歩いていった二人の公務員のような 中年男子、2002年ワールドカップの思い出のにおいがする赤い悪魔、太極旗を 広げて行進したアゴラ会員.... 大衆のデモ行列は続き、巨大な波になって揺れ 動いていた。 大衆は通りと路地を全身で押しのける都市の蛇たちだった。大衆は背後云々と いう李明博政権、朝鮮、中央、東亜日報、ハンナラ党の鼻をあかした。大衆知 性らしく、キャンドルデモの背後が李明博政権であることをよく知っていた。 愛する妻、夫そして子供たちに、ゴミのような米国産牛肉は絶対食べさせるこ とができないという純粋で原初的な欲望で広場に集まった大衆は、いよいよ清 渓広場、市庁前広場を日帝時代の万民共同会から政治の場に転換させるのに成 功した。 民主主義が到来したわけではないが、少なくとも「民主がくるまで民主を叫べ」 を歌う必要がない時代がきたのだろうか? 新自由主義とは何か、警察国家とは 何か、新自由主義警察国家とは何か知らないが、大衆はすでに2か月も清渓広場 で充実した学習をしてきた。医療保険民営化が何の破局をひき起こすのか、0時 間目自由化が恐ろしい競争を引き起こし、水と電気の民営化が庶民の暮らしを いかに苦しめるか、BSE牛肉は何かをインターネットですでに学習したところで もあった。 国民は何も知らず不安に思っているという李明博政権の話が全く嘘で見せ掛け だということを大衆はすでに皆知っている。厚い社会科学の本を読まなくても 大衆は自分達でデモを組織しボランティアを集め、自らボランティアに出るこ ともした。そして何よりも難解な法典の内容はすべては知らないが、核心は明 らかに知っていた。「大韓民国は民主共和国だ。大韓民国のすべての権力は国 民から出てくる」という単純明快ながら、核心的な条項を知っていて、広場に 集まるたびに楽しく歌を歌った大衆は、弾劾、国民召喚制、告示無効訴訟を自 ら準備していた。オンラインで集まった各種カフェの会員は自発的にカンパを してその金で広告を出した。李明博政権が2MBなら、大衆はその数万倍、数十万 倍のギカバイト、ペタバイトだった。 人数を数えること自体が無意味なほどたくさん、あちこちから駆け付けた大衆 は、乙支路1街地下鉄駅、鍾閣駅を通りすぎて、祭りの雰囲気に沸いた心を和ら げ始めた。大学路で『クラインノッ』の歌を聞いて踊った祭りの雰囲気、2002 年赤い悪魔の郷愁に染まった雰囲気は、安国駅に近づくと大衆抵抗の雰囲気に 急変し始めた。あちこちで『李明博は退け』というスローガンがあがった。 『交渉無効、告示撤回』スローガンの横に李明博政権退陣スローガンがあった。 BSE牛肉で『私』が死ぬかも知れないという原初的な利己主義がいつのまに反政 府闘争にかわった。 清渓広場でも市庁広場でも、広場の体験はいつも二重的で両義的だ。広場の中 には祭りと革命が共存する。キャンドル、歌、スローガン、踊りで一度に浮き 立った祭りは、革命的な抵抗の雰囲気に駆け上がったりもする。カーニバルが 革命にかわる例は実際、歴史に存在する。1580年フランス東部のロマンでのフェ スティバルは、武装衝突と大量殺傷の闘争に変わった。もちろん5・31の祭りの 雰囲気がすぐ伝統的な意味の革命に直進はしないが、広場で大衆が学んだこと の学習効果はそうした革命的な雰囲気に劣らず大変重要だ。自ら政治学習をす るつもりはなくても広場に集まって形成された大衆の自由発言は、すでに学校 で学べない大切な学習であり政治学習であったし、広場に集まったこと自体が 政治的な行為であった。 1人や2人ではなく数万人が広場で体で感じた祭りの雰囲気と自発的な政治学習 に劣らず重要なことは広場で、道路で高まった連帯と共同体の精神だ。私利私 欲で埋め尽くされた強富者、コ・ソヨンとは別に大衆は車両であふれる通りを 占領し、解放感だけを感じて満喫するのではなく、家から暖かい茶、パン、の りまきを包んで持ってきたり、予備軍服姿でスクラムを組み、互いを保護する 配慮の精神を本能的に実践した。100日で道徳的な正当性を完全に失った李明博 政権と違い、大衆は100日どころかわずか一月でこの途方もない学習をしてきた し、その効果で李明博政権に対してついに道徳的な勝利をおさめたのだ! 李明博政権は民主主義を警察暴力で傷つけたが、大衆は民主主義を守護するだ けでなく、新しい地平に進んでいる。家族の健康を守る原初的な利己主義から 出発したが、その利己主義が利他主義との疎通の準備をしている。米国産牛肉 のBSEの危険性という知識を越え、なぜ利益より生命が重要なのか、私だけでは なく君も重要だという連帯と平等の精神を大衆は今、『広場』で真摯で広範囲 に学んでいる。幸い、現在大衆の抵抗的な雰囲気は自分たちの利害関係に直接 かつ決定的な影響をおよぼす局面-医療保険民営化、物価、水・電気・ガス私有 化、遺伝子操作とうもろこし、韓半島大運河など-とからみ、消え失せるとは思 えない。 市民ひとりひとりを攻撃する放水銃、無慈悲に市民の顔とからだを殴りつける 盾の無慈悲な暴力が乱舞する中、夜が明けても消え失せるとは思わなかった5・ 31大衆抗争の気勢を思い出させる朝の太陽が、市民が主人になる『新しい世の中』 にバトンタッチしていた。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2008-06-06 11:49:33 / Last modified on 2008-06-06 11:49:35 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |