浅井健治@週刊MDS編集部です。
イスラエルの有力紙「ハアレツ」がきのう(6月7日)、「進行するイスラエルの残虐化−
その崩壊は時間の問題だ」と題する社説を掲載しました。以下は機械訳に少し手を加えた
ものです。
−ここから−
《イスラエルの残虐化が進行中。私たちが行動を起こさなければ、その崩壊は時間の問題
だ》
[写真]
「エルサレムの日」(注1)を記念する行進中にパレスチナ人のフリージャーナリスト、サ
イフ・クワスミを攻撃するイスラエルの右翼活動家たち(6月5日、クレジット:
Hazem Bader/AFP)
「ハアレツ」社説
6月5日エルサレムの通りで行われたユダヤ人至上主義の行進における醜悪で暴力的なデモ
参加者たちの写真を目にするとき、イェシャヤフ・ライボウィッツ教授の警告が背後に響
くのを耳にしないわけにはいかない。「六日間戦争後の国民的誇りと陶酔は一時的なもの
であり、誇り高く高揚したナショナリズムから、極端でメシア主義的な超ナショナリズム
へと私たちを導くだろう。第三段階は残虐性であり、最終段階はシオニズムの終焉となる
だろう」と先見の明のある哲学者は語った。
残虐化のプロセスは頂点に達している。「全体的な精神は復讐の精神だった」と、10代の
若者の一団に暴行され、地面に投げつけられ、蹴られた「ハアレツ」のジャーナリスト、
ニル・ハッソンは書いている。「デモ参加者のシャツに描かれた主なシンボルはカハニス
ト(注2)の拳だった。よく聞かれるコールは特に血なまぐさい復讐の歌で、他に『アラブ
人に死を』『やつらの村を燃やせ』といったコールもあった。最も人気のあった大臣はイ
タマール・ベン-グヴィル(注3)で、全体的な雰囲気は恐ろしいものだった」
暴行を受けたのはハッソンだけではない。暴徒たちは、パレスチナ人の通行人やジャーナ
リストと見なした者、自分たちを撮影しようとした者を脅し、罵り、突き飛ばし、攻撃し
た。彼らがジャーナリストを襲撃した理由は、パレスチナ人の家族が家に閉じこもってい
るためパレスチナ人の犠牲者を十分に見つけられなかったからだ。パレスチナ人たちはす
でに、ユダヤ人がエルサレムの日を祝うときは祝賀者たちが自分たちをリンチしようと思
わないよう会場から立ち去ったほうがよいことを学んでいる。
私たちが話しているのは、一握りの野生の雑草のことでも、カハニストの完全な化身とな
った宗教的シオニスト運動の一部が使うその他の婉曲表現のことでもない。残虐行為はも
はや周辺部や入植地、入植地前哨地だけにとどまらず、あらゆる方向に広がっている。恐
ろしいことに、残虐行為は軍やクネセト(注4)、内閣にまで浸透している。
閣僚やクネセト議員も数千人のデモ行進に加わり、中には聖書のサムソンがペリシテ人に
復讐したことを歌った血なまぐさい復讐の歌「パレスチナに仇なすはわが両目のうち一つ
」に合わせて踊る者さえいた。ベザレル・スモトリッチ大臣、ミリ・レゲフ大臣、ツヴィ
・スコット議員、シムチャ・ロスマン議員、アルモグ・コーエン議員、そしてもちろんカ
ハニストの王ベン-グヴィルもデモ行進に参加し、この機会を利用して神殿の丘(イスラ
ム教徒にはハラム・アル-シャリフとして知られ、アル-アクサ・モスクがある)の現状を
脅かし、宗教戦争を煽った。
イスラエルの政治中枢が過激派を社会の片隅に追いやり、カハニズムを排除し、占領の悪
性腫瘍を政治体制から取り除く行動を取らなければ、イスラエルの最終的な没落は時間の
問題だろう。カウントダウンは始まっている。
クレジット:Haaretz Daily Newspaper Ltd.
(注1)
六日間戦争=1967年の第3次中東戦争でイスラエルが東エルサレムを占領したことを記念
する日=6月5日。
(注2) ユダヤ教指導者メイル・カハネの教えを受け継ぐ極右政治組織の構成員。
(注3) 極右政党「ユダヤの力」党首で、国家安全保障大臣。
(注4) イスラエルの立法府=国会。
−ここまで−
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Last modified on 2024-06-08 14:00:20
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