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<書評>「オリジン労働者」50数年の生きざまを曝け出し、後輩につなぐ!

(2024年6月、スペース伽耶)

森 健一(現代史研究者)

 戦後日本の労働運動を研究するものにとって、総評・全国金属は、国鉄労働組合(国労)などと共に、容共派(共産党との共闘を拒まない)として、その可能性ゆえに魅力的に映ってきた。「国鉄闘争を継承する会」の二瓶久勝氏が、出身のオリジン(電気)労組の半世紀を明暗ともども記録集(約200頁)にまとめている。

 第6章の3、162頁以降に、〔栃木県小山市〕間々田労組委員長Kの不正、闘争資金(積立金)の横領問題(29百万円)が出てくる、50年史として読み込むが、意外な展開で苦い結末である。間々田ではオリジンの従業員を98%も組織して、8年の長きにわたり労組委員長にあったKは、ある意味で「天皇」であり、地域でもボスとみられる。ここで思い起こすのは、動労(国鉄動力車労組)委員長の松崎明や日産労組の塩路一郎である。ワンマン、天皇、ボス・・日本の“組織社会”にありがちな人物である。

 本書では、オリジン電気労組が、上部団体から指図を受けず、組合員の「思想の自由」を掲げて、上意下達ではない、組合民主主義を徹底させた「企業別労組」であったことが、記事からよくわかる。また東京北部・豊島区労協が上部団体(統一労組懇―全労連)に加盟を強行したことにも反対、脱退している。

 組合の強さとは何かを問う時、異なる二項がある。1 強力な上部団体、党(派)によるフラクション活動 2 徹底した組合民主主義(組合員一人ひとりのもの)、組合員の「思想の自由」である。いずれに重きを置くかである。加えて 3 地域の住民や同業や協力工場の労働者、住民の支持、応援が欠かせない。

 本書を手にして、なぜ、戦後、高野実など容共派を輩出して、1960年代前半、東京の米国大使館の労働アタッシュらからも共産党以上に警戒されていた容共、最左派の総評・全国金属が右翼的労働戦線統一、1989年の「連合」結成へと歩み寄ったのか、疑問が解けるのではと期待した。国労はとどまったがゆえに集中砲火を浴びた。

 本書での一つの答は、先の間々田労組のKのような、ボス的人物の去就に左右される労働組合運動の弱さ、「道半ば」のゆえだと解した。上部団体に委ね、左派であれ、党(派)のフラクションに依存するなら、組合民主主義は弱まり、地域や同業の労働者とのつながりも弱まる。

 私の結論を言えば、オリジン労組が求めてきたものは、マルクスの協同組合論がそうであるように、「アソシエーション=協同組合による国家の揚棄」という観点の復権ではないだろうか。「企業別労組」という制約、限界がありながらも、党(派)や国家には回収されない、組合員の一体性を二度の組織統一(1965年、2000年)をもって、半世紀、追求してきたことが見えてくる。

 同業2社(サンケン電気、新電元工業)と比べて、管理職(非組合員)がふつう10%程度だが、オリジン電気では2023年には650人中304人(47%)と「異常に高い」のも組合員の結束をオリジン資本(背景に安田・みずほ銀行)の側が崩せなかったがゆえである。

 ほかに労災・職業病の認定こそならなかったが、オリジン労組は、長期のクロム酸などの有害物質の研磨、メッキ職場で上あごに腫瘍を患い、右眼球摘出となった石渡氏への補償を会社側から勝ち取っている。一人の組合員もおろそかにしていない。

 巻末の資料にあるように、日本の労働運動の現状は厳しい。しかし、オリジン労組の半世紀は、国鉄闘争などともに、火を絶やさない、国際的な総資本の側に反撃できる素地を次代に継承するものとなっている。1960年代半ば、当時の国労、岩井章が口酸っぱく言ったように未組織の組織化を絶やすなに尽きる。


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