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〔週刊 本の発見〕『長崎の鐘』永井隆
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毎木曜掲載・第319回(2023/10/12)

戦争への深い悲しみと怒り

『長崎の鐘』永井隆(日本ブックエース 平和文庫〔注1〕)/評者:わたなべ・みおき

 怒りの広島、祈りの長崎と言われ、爆心地の浦上天主堂に象徴されるように長崎は、静かな祈りのイメージがある。

 サトウハチロー作詞、古関裕而作曲の「長崎の鐘」を高齢者向け音楽療法プログラムに取り上げたことから、元となるこの本を読んだのだが、原爆投下直後から約2か月間にわたる被爆者の治療の様子は具体的で生々しく、知ったつもりになっていた己を反省した。 今年発見された未発表の原稿によると、もとのタイトルは「原子時代の開幕」で、「戦争を起こさないで下さい!」「戦争はこんな意味のない打壊し(ぶっこわし)です」と、戦争に反対する切実な思いが、より強く込められていたという〔注2〕。

 永井は他にも『この子を残して』等多くの著書を残しているが、最初に書かれた本書は他より遅れ、戦後3年を経なければ出版できなかった。1952年4月までGHQによる占領下にあった日本では、報道統制により原爆の被害を報じることができなかったからだ。そうした状況下で本書が執筆され、歌になり、映画となってそれぞれヒットしたわけだが、本書には歌や映画では描けなかった被爆の詳細が記されている。

 この原爆で死亡し、残されたロザリオによりそれと確認できたという妻についてや、亡くなった大学の職員や学生、看護婦たちについては、ほんのわずかな記載しかない。だが、母を求めて父親の乳をまさぐる幼子の様子や、ほおずきや柿を見て学生等を思い出す様子には、言葉にすることさえ出来ない深い悲しみがにじみ出ている。


*香焼島から撮影された長崎原爆のキノコ雲(松田弘道撮影)

 永井はもともと原子物理学の研究者で、既に白血病になっており余命3年と言われていた。だから専門家として、原子力爆弾を開発し、原料となるウランを大量に精製したアメリカの国力の大きさを認識し、それと比べて日本がどれだけ劣っているかを冷静に分析している。

 そして愚者を指導者に頂いたことを嘆きながらも、学び研究する場としての大学を守り、空襲傷者の救護を行い日々を生き抜く。医者として、また、学生を指導する者として、やれることはすべてやった、という自負があるからこそ、永井は敗戦を受け入れる。

 だからこそ戦争を儲かることと捉える者や、自らは戦地に行かずして若者に復讐心をまき散らす者どもを痛烈に批判する。勝てなかったと残念がる引揚げ者に「あの日あの時、この地に広げられた地獄の姿というものを、君達が一目でも見なさったなら、きっと戦争をもう一度やるなどという馬鹿馬鹿しい気を起こさぬに違いない」と諭す。

 原爆投下後も爆撃があり、そのたびに永井らは「ぴかどん」だけは避けようがないが、そうでなければ対処できると、粛々と救護活動をしている。国体護持等に固執せずとっとと降伏していれば救えたはずの命があったことに、改めて怒りを覚える。

 満州事変以来鳴らすことを禁じられていた浦上天主堂の鐘は、敗戦後のクリスマスの日から、再び鳴らされるようになったという。

 読後改めて藤山一郎さんの歌う「長崎の鐘」を聴いてほしい。祈りに込められた深い悲しみと怒りが、改めて胸に迫ってくるだろう。

注1;本書は青空文庫でも読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000924/files/50659_42787.html
注2;読売新聞 2023年6月24日他
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20230624-OYT1T50127/

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。


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