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LNJ Logo 太田昌国のコラム : 三度、四度、オランダでの植民地主義克服の動きに触れる
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 ●第80回 2023年7月10日(毎月10日)
*前回6月10日付けのコラムは、筆者の都合により休載したことをお詫びいたします。

三度、四度、オランダでの植民地主義克服の動きに触れる

 ここ2年来、当コラムでは、オランダにおける植民地主義克服の動きに注目してきた。まずは2020年10月、旧植民地の住民の同意なくして現地の文化財を持ち出したことは「歴史的不正義」だとして、これを返還しようとする動きが始まった。次いで2021年5月から8月にかけては、国立美術館で、オランダが関わった奴隷制展を展示する試みもあった。そこでは、レンブラントが描いた肖像画のモデルとなった著名な富豪夫婦は、実は奴隷制を利用してこそ莫大な富を蓄積し得たことが明かされた。また、レンブラントやフェルメールが活躍した17世紀を、オランダの「黄金時代」と呼ぶ旧来の歴史観は一方に偏していると気づいた美術館のキュレーターたちが、美術史におけるこの呼称を取りやめた。この展示会のカタログ “Slavery” を取り寄せると、「たくさんの声たちを展示する」との副題が付されている。

 植民地帝国としてのオランダは、時期ではスペインに遅れをとり、規模ではイギリスには及ばないとはいえ、ニューイングランド、インドネシア、カリブ海諸島、南アフリカのケープ、そして南米のスリナム……というように、世界の各地に奴隷制と植民地支配の痕跡を残した。過去を捉え返そうとすれば、さまざまな土地で、幾世代にも渉る「たくさんの声たち」に耳を傾けなければならなかったのだろう。カタログから判断するだけだが、奴隷制の展示会は、その任を十分に果たしただろうと思われる。

 歴史観の大きな変化/変革が社会全体に及びつつあることを感じ取ったのだろう、2022年1月には、国王ウィレム・アレクサンダーが、100年以上前から公式行事に使用してきた王室専用の「黄金の馬車」の利用を無期限に停止することを発表した。イギリス女王/国王の金冠がそうであるように、「黄金」の出所(どこから略奪したものか)も問われたのであろうが、馬車の側面に描かれた「植民地からの貢ぎ物」と題した絵では、頭を垂れて跪いた黒人が白人女性に捧げ物をする様子が描かれているのだという。

 これらのニュースを私が知ったのは、そのときどきの「しんぶん赤旗」を通してだった。ベルリン駐在の記者で、ホロコーストなどの歴史問題を精力的に報道するひとがいるから、そのひとがアムステルダムでの動きも取材したのだろう。去る7月3日もそうであった。一面トップに『奴隷制「人道への罪」 オランダ国王が謝罪』との大見出しが出ている。【日頃は、党勢拡大についての党幹部の演説や政府の政策に対する厳しい批判記事がトップに据えられるのだから、この日の紙面構成は異例で、ひときわ目立った】。記事は、昨年「黄金の馬車」の使用を止めた国王が、奴隷制廃止150周年記念式典で語った言葉を伝えている――およそ250年にわたる奴隷貿易で「人間は商品とみなされ」、アフリカから南米スリナムやカリブ海地域に60万人以上が運ばれた。鎖に繋がれ際限なく働かせられたり罪もないのに殺されたりした。「その影響は現代社会における人種差別の中に感じられる。」「当時の歴代国王が人道犯罪に直面しながら、何ら行動しなかったことを許してほしい。」

 同紙は続けて7月5日の紙面でも、旧植民地出身者で、現在オランダに住む人びとが、それぞれのカラフルな民族衣装をまとい、スカーフを頭に巻いて、記念日を祝った様子を写真入りで伝えている。スカーフは、言葉を交わす機会を制限された奴隷たちが、スカーフの結び方で、苦しみや愛を伝えあった名残だという。

 歴史が日々鼓動していることを伝える、大事な記事だ。他の新聞はどうだろう? インターネットで検索してみる。外国の通信社が配信した簡潔な記事は日本語でも出てくるが、日本メディアで独自取材したのは「赤旗」だけのようだ。

 インターネット時代だから、検索すると、もっと詳しい外国語情報に接することはできる。たとえば、「ニューヨーク・タイムズ」紙は、こんな具合だ。
      ↓
Dutch King Apologizes for His Country’s Role in the Slave Trade - The New York Times (nytimes.com)
インドネシアから発信されている英文サイトは、さすがに、詳しい。
      ↓
Dutch King Apologizes for His Country's Role in Slavery - Kompas.id(写真上)

 オランダの歴史や社会事情に取り立てて詳しいわけでもない私が、植民地主義克服に向けてのここ数年の動きを見ているだけで、大事なことを学んだ。「過去の不正義」をめぐる問題提起を行なったのは、歴史研究者、美術館や博物館のキュレーター、アーティストたちだった。そこには、常に、旧植民地出身者の末裔たちがいて、世代を超えて受け継げられてきた歴史体験を語り、議論の在り方を方向づけた。それが政府を動かし、王制さえをも揺さぶる社会的な力にまで育った。自立的な市民の活動と連帯が実りつつあるのだと言える。奴隷制展には国王も訪れて、そこで企画者・市民との対話が生まれたようだ(王制そのものが持つ問題については、ここでは触れない)。

 現オランダ首相ルッテは、2010年来長期連立政権の首相の座にある人物だ。2020年には、「負の歴史」に向き合う社会的な動きが高まる中で、奴隷制が現代に及ぼした影響を調査する独立委員会を政府として設置した。2022年12月には、同委員会の提言に基づいて、オランダ政府として初めて、過去の奴隷貿易で果たした役割を謝罪した。「具体的な行動を伴わない、空虚な言葉に終わっている」という批判があることは心に留めつつも、歴史認識としては「一歩前進」に違いない。

 ここ数日の報道を見ると、そのルッテ首相がアレクサンダー国王に内閣総辞職の意向を伝えたという。移民問題をめぐって連立4与党の協議が不調に終わったためだ。ルッテ首相は、戦火を逃れてオランダに滞在する難民の子どもたちの入国を制限する上に、家族と合流するまで最低2年間待たせるという方針を打ち出したが、難民に対する排外的なこの強硬策が、連立他党の合意を得られなかったようだ。

 オランダの政治は、日本と同じく、こんなにも錯綜し、低迷している。植民地主義克服に向けた、ここ数年来のオランダのめざましい動きは、政府・政治家レベルで推進されているのではなく、市民社会でのさまざまな取り組みこそが、社会を、政府を、そして王室を突き動かしていることがわかる。

 オランダの草の根の人びとの体験は、同じ課題を持つ日本の私たちに示唆するところが多いと考え、これからも注視し続けたいと思う。


Created by staff01. Last modified on 2023-07-10 14:25:54 Copyright: Default

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