〔週刊 本の発見〕『国家の崩壊』(佐藤優+宮崎学) | |||||||
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毎木曜掲載・第250回(2022/4/14) ソ連邦の崩壊から見えてくるもの『国家の崩壊』(佐藤優+宮崎学/聞き手、にんげん出版 2006年)評者:根岸恵子浅学の身として、ウクライナ問題を論じるのはおこがましいとこの話題を避けているが、昨今では、天気の話題しかなかった隣人が、プーチンに対する憎悪むき出しで話しかけてくる。冷戦時から「共産主義」と「ソ連邦」に対する罵詈雑言を聞かされ続けてきた大方の日本人にとって、ロシア=悪という構図は受け入れやすい。こんなことを言うとまた魔女裁判に引きずり出されて、四面楚歌に陥りかねないので、やはりこの話題は避けるのが無難のようだ。だから本書評をウクライナ問題と結びつけないでほしい。 『国家の崩壊』は2006年に出版された。16年という年月に内容の古さは否めない。しかし、ソ連邦崩壊の前後からプーチン政権に至るまでの経緯を目撃者の目で佐藤優が話し、宮崎学が聞き役として構成されている本書は面白い。佐藤優は鈴木宗男の疑惑事件で一躍有名になったので記憶にあるかもしれない。「外務省のラスプーチン」などといわれ、背任事件などを起こし逮捕されたりもしたが、やり手の外交官としてソ連邦の崩壊という歴史的出来事を間近に見て関わったことは事実だ。 宮崎学はこの3月30日に亡くなった。76歳で死因が老衰というのは納得しがたいが、気骨のある言論人がまた一人いなくなったのはショックである。ヤクザの家に生まれ、学生時代は学生運動にあけくれ、退学。その後週刊誌の記者となり、家業の土建・解体業を継ぎ、ゼネコンへの企業恐喝で逮捕。佐藤と同じように紆余曲折ある人生を歩んでいる。 1996年に出版した戦後史の蔭を駆け抜けた半生を綴った『突破者』は有名である。宮崎は常にアウトローで「生涯一少数派でいいじゃないか。もう群れるのはよそう。どこまでいけるかわからないが、とにかく一人で行こう」という宮崎の生き方に私も共感するところが大きい。 ジャーナリストの青木理氏は今週号の『サンデー毎日』で、宮崎を「浅薄な人権論などは説かず、皮相な民主主義の信奉者でもなく、むしろそんなものもどこかで嫌悪していた」「下らない権力や権威になびく連中によってクレンジングされる世の中に礫を投げ続けた表現者、言論人」だと評している。宮崎と佐藤は2006年に「フォーラム神保町」というメディア勉強会を立ち上げた。この本はその年に出版された。 冒頭、宮崎は当時首相だった小泉純一郎について述べている。「小泉劇場」が政治からリアリティを一切消し去って、三文オペラのショーと化し、配役は「善玉・悪玉」として描き、ワイドショー政治、バラエティ政治が頂点に達したと。真実はもっと複雑なのに、単純化した描き方によって大衆は実にうまく操られてしまう。 佐藤は国家は悪であると認識しつつも、国家崩壊によってソ連領域で暮らしていた人の悲惨な状況を目の当たりにして、国家は悪だが必要だと確信を抱くようになったと述べている。「国家主義者」だとして佐藤は左派論者から時々批判されることがあるが、国家の崩壊がもたらす国の必要性を佐藤がどう捉えたのかこの本は描いているかもしれない。それに、国家主義者を自認する佐藤の言説はそこを差し引いて本書を読まなければ、国家主義に引きずられてしまう可能性もあるわけだ。 ソ連邦は国家立て直しのために始められたペレストロイカによって崩壊の道をたどったことは周知だが、佐藤優のゴルバチョフに対する評価は西側で流布されているものに比して極めて低い。一方ロシア型ショックドクトリンを推し進め財政危機を招き汚職に塗れたエリティンを高く評価している。そのエリティンが後継者として選んだのがプーチンだった。この選択が正しかったのかは、この本からはうかがいしれない。 連邦国家が崩壊したとき、人々はそのよりどころを民族主義に求める。それは憎悪となって隣国との戦争になることさえある。旧ユーゴスラビア諸国がそうであったように、コーカサスなどでは今でも民族紛争が絶えない。そうであっても人々の心の中にはソヴィエト人としての意識があった。ロシヤーニン(国民としてのロシア人)としてだ。これは民族意識ではなく、国民意識だ。つまり人々をつなげていたのは「共産主義」ではなくソヴィエトという国に対してであった。国家崩壊は人々に混沌と不安を与えた。一瞬自由を手に入れて浮かれていた時期もあったが、目覚めてみれば、生活不安があった。しかし、人々はソ連の時代に戻りたいとは思わない。 ソ連崩壊後、ロシアは市場経済と政治的民主主義を受け容れて、西側世界に仲間入りしようとしたが、西側エリートクラブはおいそれとは仲間に入れず疎外感を味わっていた。1996年の経済危機で西側の政治経済モデルは幻想だと気づき、社会主義にも戻れず、ロシア人のアイデンティティとは何かを模索しはじめた。 ロシア人とは何か。モスクワを歩いていれば、様々な人種に出会うようにロシアは多民族国家だ。ユーラシアをまたいで北海道の鼻先にもロシア人がいる。隣人としてのロシア人を私たちは受け入れることができるのだろうか。 ソ連邦の崩壊がなんであったのか、それが人々に何をもたらしたのか、今のロシアを考えるうえでも本書を読んでみた。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2022-04-14 11:20:53 Copyright: Default |