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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕加瀬勉『闘いに生きる 我が人生は三里塚農民と共にあり』
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毎木曜掲載・第221回(2021/9/9)

虐げられてきた民衆への共感

『加瀬勉 闘いに生きるー我が人生は三里塚農民と共にあり』(拓殖書房新社)評者:根岸恵子

 ある方に加瀬勉さんの取材をしたいとお願いしたところ、この本を読むように薦められた。上下巻1千ページ近い大作である。

 加瀬勉さんは活動家である。成田空港建設反対闘争を半世紀以上続け、今もその闘いは終わらない。闘いは日中友好の懸け橋となり、フランスのラルザック軍事基地拡張反対運動との国際連帯を生んでいく。そして、さまざまな権力との闘争において、加瀬さんの中では、いつも中心にあったのは三里塚闘争であった。

 本書はこれまで加瀬さんが発表された文章などを集めたもので、同じ内容のものが重複している部分もあり、そこには加瀬さんが最も心に衝撃を受け、多くの人に訴えたい部分もあるのだと思う。特に大木よねさんは本書に繰り返し登場する。

 よねさんは、7歳の時に地主のもとに子守り奉公に出て以来、死ぬまで親に会うことはできなかった。そのよねさんの人生を本書では繰り返し取り上げている。地主や空港公団、権力者である政治家の対極にあるよねさんは、常に搾取され、性的な人身売買の犠牲となり、戦後も辛酸をなめて生きてきた。その「村一番の貧乏」で粗末な小さい家を、国家権力は行政代執行によって破壊してしまう。機動隊の盾の水平打ちを口で受け、よねさんは前歯を2本失い血まみれたとなって機動隊を睨んだ。その鬼の形相に加瀬さんはよねさんの人生の重みを見る。その怒りが心に突き刺さるのである。本書で繰り返されるその描写に、鬼気迫るよねさんの形相が、その場にいなくとも記憶として心に刻まれる。

 三里塚闘争とは空港建設反対をめぐる農民運動である。それはある意味で百姓一揆でもある。農家は代替地も金も欲しいわけじゃない。これまで通り、三里塚の土地で農業をやり、共同体を守り、土地の神を祀り、生きていきたいと立ち上がった。*写真=加瀬勉氏

 本書は北総を中心に房総半島の歴史に遡り、この土地がどうやって開拓されていったのかにも言及している。特に明治以降の地主制度がいかに小作人を困窮に追いやってきたのか。地主による小作への暴力的な締め付けや差別についても詳しく述べられている。また当時の自由民権運動や小作争議についても詳しい。この地には御料地があり、三井や三菱などの財閥が地主となり農民を搾取していたことも窺い知れる。戦後のGHQによる農地改革が実は土地の解放のためではなく、共産主義への脅威を懸念するうえでの政策で、全ての小作にとって良い結果は生んでいないことも繰り返し述べられている。

 これらすべての歴史的経緯は連綿とつながる北総台地の農民たちの歴史でもあり、それが三里塚闘争との関係性において、農民たちに受け繋がれてきた土地への深い思いでもあるのである。

 「農民は自然と共に起きてきた」。大地なくして農民の命はありえないのである。農民は必死に闘ってきた。加瀬さんは運動に参加しながら、一人一人の生きている人間の闘いとしてこの運動を捉えているように感じた。加瀬さんの活動家としての原点は、戦争や農民運動を通して見えてくる権力の横暴、常に虐げられてきた民衆への共感なのだろう。

 農家はただ農業をやっているのではない。長く土地と歩んできた歴史に深く結びついている。それぞれの地域にその土地に根付いた文化や伝統がある。土地が開発され、農家がいなくなれば千何百年と続いてきた土地の風習や伝統文化を殺すことになる。それを理解することもなく当時の友納武人千葉県知事は「そんなに土地が欲しければ、北海道に行けばいいじゃないか」と平気で言う。

 加瀬さんはそういう連中に対し、
「農家の作ったものを食うな。お前らは今朝何を食ってきた。農民の作ってきたものを食べたのだろう。毎日農家の作った野菜を食って自分の命を養っていながら、農民の土地を奪い農民を追い出し、農民を弾圧し、暴行して監獄へ入れ、村々を廃墟にした。そんなお前らに農民が作ったものを食う資格などない」「農民が作った作物によってお前らは生きているのだ」と言い放つ。

 加瀬さんは軍国少年として育ち、小学生の終わりに敗戦を迎えた。その憤りを抱えたまま、中学を卒業するとき、「私にとって学校は格子なき牢獄であった。戦争に勝つために先生に命令されて、麦踏み、稲刈り、田植え、軍馬のための干し草作り、飛行機を飛ばすためのお茶の実拾い、軍隊の塹壕掘りと、強制労働の毎日であった。立派な軍人になれ、神様である天皇陛下のために死ぬためにしっかり勉強しろと教え込まれた。その教えはみんな噓であった。神風は吹かなかった。戦争に負けた。鬼畜米英ではなかった。私にとって先生は絶対的な命令者であり強制者であった。先生は私にとって嘘吐きであり最大の裏切り者であった。嘘吐き、裏切り者がくれた卒業証書、優等免状、成績簿は私にとって紙屑であり、何の価値もない」と言って、居並ぶ先生の前で証書を破り捨ててしまった。加瀬勉の権力の本質を見抜く鋭さは、戦争という欺瞞が崩壊したときに、その欺瞞の片棒を担いできた者たちへの反発となった。

 加瀬さんは祖父から「食べ物は分かち合って食べるもの。人間は助け合って生きるもの。命にかかわることについては損得を考えずに助けてやること」を教え込まれたという。社会党を追われてからは無一文で三里塚闘争を闘ってきた。加瀬さんには信念がある。「人間を引き裂いてゆく社会。すべてを奪いつくす社会に我々は抵抗しているのだ」「私は人間として生きたい」。だからこそ、「大木よねさんと闘った」。

 人に寄り添い、人として生きる。そんな当たり前のことが、ますます難しくなりそうなこの国で、物事の本質を常に捉える目を養わなければならないと、加瀬さんの生きざまに教えられた気がした。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。


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