〔レイバーネット国際部・I〕
先日、香港の民主派の教員労組、香港教育專業人員協會(Hong Kong Professional Teach
ers' Union、以下TPU)が解散するという報道がありました。
香港教育專業人員協會(Hong Kong Professional Teachers' Union、以下TPU)は香港最
大の教員労組であるとともに、最大の単組(組合員9万8千人)として、民主派のナショ
ナルセンター香港職工會聯盟に加盟し、89年民主化運動以降は民主化運動や天安門事件追
悼集会の中心を担う労働組合の一つでした。一方、対外的な民主派のイメージとは異なり
、運動内部での非民主的な対応を批判する声もありました。TPUは2019年の抵抗運動にも
参加していましたが、ここに来て当局や中国からの圧力が強まり、8月10日に執行部が解
散を発表した。以下は、その内情を報じた香港紙「明報」の記事の翻訳です。ちょっと長
くなってすいません。
原文はこちら https://bit.ly/37ETt7c
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◆來龍去脈: PTUの指導部は辞任を打診
北京筋からは「組織存続の結果責任は自ら負うべき」という反応
「明報」2021年8月12日(木)
【明報】 7月30日、中国大陸の官製メディアは、香港教育專業人員協會(PTU)を「癌」
と批判し、「根絶しなければならない」とした。 先週は決定的な一週間となった。PTUは
、すでに周知の改革の約束に加えて、委員長ら執行部の辞職を組合員に問うなど、各種の
妥協案をさまざまなルートを通じて当局に提案していた。PTUの内部に詳しい人間による
と、8月7日に「政府や民間など各種のパイプを通じて届いたメッセージ」は、PTUには「
できるだけ早く解散する」という選択肢しかなく、解散しなければ責任を問われるとのこ
とであった。PTUが内部で協議した結果、「アップルデイリー」が国安法で弾圧され、資
産凍結された事件に鑑み、組合員を悲しませる選択を取らざるを得なかったという。
左派メディア(中国政府寄り)がPTUを批判するのは今に始まったことではないが、今回
は新華社通信と人民日報の官製メディアが行動を起こし、PTUを「根絶」しなければなら
ないと明言。翌日(7月31日)には香港教育局が「偶然にも」PTUとの協力関係を断ち切る
と発表し、PTUは厳しい局面に立たされた。8月2日の記者会見で林鄭月娥・香港行政長官
は「(PTUに対する)捜査が行われているかどうかには言及できない」としたうえで、「
法律に従って違法行為は取り締まる」とも付け加えた。その夜、PTUの理事会(執行委員
会)は毎月曜日の定例会で対策を検討した。
あるPTUの組合員によると、その後、執行部は組合を存続させることを条件に、さまざま
なルートで(当局と)接触を図ろうとしていたことを明らかにした。その翌日(8月3日)
、PTUは組合員に宛てた手紙の中で、「今後は教育における専門分野および組合員の権利
に関する活動に重点を置く」として、「常に平和、合理性、非暴力を提唱する」というこ
れまでの「基本的な立場」を引き続き推進することを明記し、まずは北京に対して「友好
的ジェスチャー」を示した。その後、4日、5日、6日と3日連続で、香港職工會聯盟から
の脱退、中国の歴史と文化に関するワーキンググループの設立、過去に制作した教材(民
主化運動関連:訳注)のウェブサイトからの削除を発表するプレスリリースが行われた。
◇ 8月7日に受け取った北京からのメッセージ「無駄な努力」
このPTUの組合員によると、この一週間は、たとえば中国の歴史と文化に関するワーキン
ググループ」の設立により、張萬光前会長や陳瀚氏など旧指導部が役職ポストに収まるこ
とで、PTUがかつての(穏健)路線に戻ることを北京が信じてくれ事に期待をかけたとい
う。 しかし、8月7日が転機となった。多くのPTUの執行部メンバーが、「政府筋」や「民
間筋」の仲介者を含むさまざまな情報源からのメッセージを受け取った。メッセージは「
できるだけ早くPTUを解散すること」で一致しており、この一週間の努力によっても北京
が方針を変えることはなかったことが明らかになった。10日の解散発表の記者会見では、
馮偉華会長(委員長)が、この1週間の取り組みを「無駄だった」「成功の見込みなし」
と表現したのはこうした理由からだった。
PTUは司徒華(1931-2011、下記の訳注参照)が設立した。司徒華は1989年の六四天安門事
件以降、北京と決裂したが、水面下では北京はPTUを受け入れる余地を残しており、両者
の間にはパイプを通じた交流があった。しかしあるPTUのメンバー曰く、いまはもう「新
しい時代」なので、かつてのようには行かないという。
PTUは単なる「恫喝」だけで解散を決めてしまったのだろうか。このPTUの関係者によると
、この1週間、理事会(執行委員会)はメッセージの信憑性を評価・検証していたという
。一方、先週発生したいくつかの事件がPTU解散の決断を速めた。 まず、8月7日に警務處
長(日本の警視総監に当たる:訳注)の蕭澤頤が「徹底的に調査する」と述べ、9日の新
聞記事で全中国華僑協会副会長の盧文端氏が、PTUに対する措置は教育局との「業務協力
の終了」に止まらず、PTUの法律違反の疑いを法執行機関が調査することを期待している
と述べた(同協会は中国の政治協商会議の構成団体で同氏も同会議の前委員の一人:訳注
)。
◇ 公立学校では組合員の任用を停止 私立学校でも妨害が予想される
PTUは、毎年9月に組合員の更新と学校支部代表を決めるが(香港の学制は9月開始)、公
立学校ではPTUの組合員の任用を拒否するという情報や、助成金を受ける私学にも圧力が
かかり、教員代表の派遣(退職金基金に関する業務:訳注)を拒否するという情報が寄せ
られ、窮地に立たされた。またPTUなど7つの団体が共同で行っている「教師尊厳運動」が
教育局からの圧力を受けているのではないかと考えられた。その他にも、PTUのビジネス
パートナー企業(PTUは生協や旅行社などの福利事業を展開している:訳注)の中には、
連座を恐れて協力関係を解消するところも出てきた。
◇ 「アップルデイリー」の二の舞を憂慮 職員200人の口座凍結の恐れも
政府系メディアによる一斉攻撃から1週間後の8月9日、PTUは定例執行委員会で現状を確認
した。このPTUのメンバーによると、弾圧の恐れを無視すると、「アップルデイリー」と
同じように、まず逮捕されて容疑が確定する前に関係者や団体の口座や資産が凍結される
ことを憂慮したという。この人物によると、PTUは200人の職員を抱えており、普通の市民
なので口座が凍結されてしまうと食費や光熱費の支払いにまで影響が及び、取引先の企業
への支払いも滞ることになるという。これらの理由から、PTUが圧力を跳ねのけることが
できるか否かは単純な政治的立場だけでは決められなかったという。馮偉華委員長による
と、PTUは8月9日に解散を決定し、翌10日に記者会見で発表した。
この記者会見で、PTUは解散理由について口を閉ざしていたため、「理由を説明していな
い」との批判を受けた。この1週間、PTUへの厳しい処分を求めてきた香港教育工作者聯會
(愛国愛港の政府系教員労組、組合員約4万2千人:訳注)の指導部は、「失望した」、「
PTUの指導部は、なぜ辞任を選択しなかったのか」と疑問を呈している。
◇ 一部の関係者への弾圧が濃厚か 次の照準は支聯會へ
事情に詳しいベテランの建制派(体制派)によると、PTUが解散したとしても、現在の状
況からすると「一部の人間は責任を問われるだろう」。また、次は支聯會(89年民主化運
動を支援し、毎年天安門事件追悼集会を主催してきた香港民主派のプラットフォーム:訳
注)を早急に解散させることが焦点になるだろうと述べる。別の体制派によると、PTUと
北京の関係は切れており、PTUが受け取った情報が「信頼に足る」ものなのか、それとも
誰かがPTUへの恫喝で「手柄を立てようとしている」だけなのかは分からないが、北京の
動きをみると、共産党の闘争スタイル、つまり、敵だと断定したら情け容赦なく「根絶や
し」にする姿勢が貫徹されているという。
「明報」紙記者
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【訳注】 以下のTPUに関する訳注は、今夏に発行予定の『2019香港の反乱』(仮題、區
龍宇著、寺本勉訳、柘植書房新社)より。
【香港教育專業人員協會】(Hong Kong Professional
Teachers' Union)
約9万8000人を擁する香港最大の教員組合(単組としても最大)で民主派ナショナルセン
ターの香港職工会聯盟(HKCTU)に加盟している。組合員及びその家族向けに割引価
格で経営するスーパーや旅行社などの収益などを原資として民主化運動や教育事業への支
援を行っている。1971年に、教員の俸給表を公務員から切り離して事実上の賃下げを行う
政府案がだされ、それに反対する過程で1973年にストライキが打たれる中で結成された。
このストを指導した司徒華(2011年没)が初代委員長を務めた(1990年まで)。1985年の
立法局選挙では、職能別選挙区(教育界)から立候補した司徒華が当選し、以後現在まで
教育界の1議席を維持しつづけている。
司徒華は中国共産党ともつながりを持ち、1950年代から教員を務めてきた。1973年の教員
ストに反対した共産党組織の組織的指導から徐々に距離を置くようになった。1985年には
基本法起草委員会の23人の香港人委員の一人に就任したが、89年北京の春への弾圧(六四
天安門事件)で同委員を辞任し、天安門事件の名誉回復と中国民主化運動を支援する「香
港市民支援愛國民主運動聯合會」(支聯會)の主席として活動した。
1990年には香港民主同盟を結成し、香港職工會聯盟の結成にも尽力した。1991年からは、
導入された地域直接選挙区に鞍替えして当選し、94年には中国政府ともパイプのあった民
主党派「匯點」と合同して民主党を結成して、2004年まで議員を務めた。本書の著者の區
龍宇は1986年の反原発運動や中国民主化支援、香港返還の闘争で司徒華の路線と対立した
回想を残している。
・卅年前的懦弱 卅年後的苦果——1986反核運動(30年前の惰弱による30年後の苦境、201
6年12月10日)https://bit.ly/36rKdmq
・司徒華領導下的支聯會(司徒華が指導した支聯會、2016年6月8日)https://bit.ly/3qV
tGk0
・維園要去,支聯要改,黔驢要入欄(天安門追悼集会に参加すべし、支聯会は改革すべし
、黔驢は柵に入れておくべき、2015年6月4日、『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政
治論評集』に収録)https://bit.ly/36npEr4
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Last modified on 2021-08-13 22:32:22
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