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長い長い闘いの最後は笑顔だった〜4.17「君が代」裁判最高裁勝利集会

佐々木有美(ビデオプレス)

集会動画(3時間/冒頭にビデオあり)

 20年以上にわたる長い長い闘いの最後は笑顔だった。4月17日、「君が代」不起立処分撤回を求めて闘ってきた根津公子さん河原井純子さんの最後の裁判の勝利集会が東京・八王子で開かれた。会場は何とも言えない暖かい空気に包まれた。原告の二人はもちろん、裁判を支えてきた弁護団、支援者たちの気持ちはひとつだった。「闘ってきてよかった」。

 初めてビデオプレスが根津さんの取材をしたのは、2005年5月だった。根津さんが不起立で停職1カ月になり、それに抗議して学校の門前に毎日出勤すると聞いた時、これは何をおいても行かなければと思った。立川駅で待ち合わせ、勤務先の立川二中まで同行した。「昨日の夜は眠れましたか」と聞くと、「いろいろあってほとんど寝ていない」という答えだった。*写真=停職出勤をした根津公子さん

 その朝、手作りのプラカードを持った根津さんの「門前(停職)出勤」が始まった。生徒たちは、登下校に根津さんに話しかけ、保護者の中にも応援者が現れた。この後、根津さんは、停職3カ月、停職6カ月の処分を3回受けることになる。その都度彼女は、ほとんど1年ごとに異動させられた学校の門前で停職出勤を続けた。雨が降ればカッパを着て、日差しが強ければ日傘をさした。

 根津さんは、単に卒業式、入学式で不起立していただけではない。「日の丸・君が代」について全く教えない学校教育に抗して、自分の家庭科の授業で、様々な歴史資料や文部省・都教委の文書まで示して、生徒たちに「日の丸・君が代」について考えさせた。90年代の石川中(八王子市)時代には、毎年の卒業式前に、「日の丸」に反対する20〜30人の生徒が、校長室に掲揚しないよう要請にいったという。

 根津さんは授業で、「従軍慰安婦」や「同性愛」問題も取り上げた。多摩中(多摩市)時代、都教委はそれを理由に根津さんを指導力不足教員に仕立て上げようとした。連日、市教委・校長が根津さんの授業を監視した。この攻撃も多くの市民の応援で覆されたが、さすがの根津さんもこの時ほど辛かったことはなかったという。途中で挫けそうになったとき、根津さんを支えたのは「ここで自分を裏切ったら一生後悔する」という思いだった。いまでも多摩中のある聖跡桜ケ丘の駅を通るたびに当時がよみがえり胸が苦しくなるという。

 かつての根津さんの教え子に身体の不自由なNさんがいる。当時大学生だった彼女にインタビューしたとき、根津さんから学んだことを聞いた。「自分の正当な権利はきちんと主張していいんだと。一人でもそうやって主張すれば、いつかはこのひどい状況を変えられるかもしれない。変えられるんだと言う希望を根津さんにもらいました」。根津さんの精神は、かつての生徒や周囲の人間を励まし続けている。

*なお5月8日(土)の「あるくラジオ」に根津公子さんが登場します。詳細情報(後日)
*参考 : ビデオプレス作品「君が代不起立」


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