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テレビの希望はどこに?〜東海テレビのドキュメンタリー映画『さよならテレビ』

   堀切さとみ

 今年の初映画は『さよならテレビ』だった。1月3日、「ポレポレ東中野」は1時間前から人が並び、通路に座布団が出るほどの盛況ぶり。テレビ制作者たちの現実や葛藤が伝わってきて「こういうドキュメンタリーが観たかったんだ」と叫びたい思いだ。東海テレビのドキュメンタリーは、またしても期待を裏切らなかった。

 「テレビなんて見ない。ネットがないほうが困る」。メディアに対する意識が圧倒的に変わったのは2011年頃からだろうか。「本気で『このテレビ局があって本当に良かった』と思われる番組を作らなければ、テレビは見捨てられる」。こうした焦燥感にかられて、40代の土方宏史ディレクターが自社の報道現場にカメラを入れた。テレビがどうやって番組をつくっているのか、その裏側に迫ったのがこの映画だ。

 企画書を持ち込む最初のシーン。デスクをはじめ、報道室は怪訝な顔。「いったい何が撮りたいの?」「勝手に取材対象にするな」と言われるところからカメラを回す。「まさかこれ使わないよね?」。「何のために」と聞かれても、一言で答えられないものを撮ろうとする、ディレクターの心情が手に取るように伝わってきた。

 いくつもの印象的なシーンがあるが、一貫して流れているのは「ジレンマ」だ。SNSの反応が怖くて、思った通りに伝えられないという看板キャスター。「不安だったけどオンエアしちゃえばいい」と焦る若い契約社員。視聴率をあげることがすべての社員の究極の目標であるがゆえに、致命的な失敗を重ねてしまう。

 そんな中で澤村慎太郎という記者は、若い頃に本多勝一や鎌田慧を愛読し「報道を通じて社会をよくしたい」という思いを持ち続けている。しかし、社会科見学に来た小学生たちに会社は「報道の使命とは権力を監視すること」と言いながら「共謀罪」の言葉すらテロップに出せない。それが実情だ。なぜ思いどおりにいかないのか。そのカラクリも映画を観るとよくわかる。

 大手メディアを去って独立系メディア、フリーライターなどに転身する人たちが増えている。「さよならテレビ」は「さよなら会社組織」なのだろう。だからといってテレビを見捨てていいのか。テレビに希望があるとすれば自分たちの弱さを見据えることなのだと、この映画は教えてくれるような気がする。

 2011年に「セシウムさんテロップ」問題を引き起こした東海テレビ。そうした身内の醜態をさらすこの映画は、社内の許可を得て堂々と公開された。そのことだけでも東海テレビという会社に拍手を送りたい。辞表を胸ポケットに入れて、世間を敵に回すような数々の企画を通してきた、阿武野勝彦プロデューサーの存在ぬきには語れないが。

 「表現の自由をどう守っていくか。私にとっては一本一本のドキュメンタリーをきちんと出していくことです」という阿武野さんの朝日新聞のインタビュー。心して何度でも読み返したくなる。


Created by staff01. Last modified on 2020-01-05 23:39:12 Copyright: Default

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