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●宮古毎日労組FBより(2/10)

平良喜美子さん、あきらめず屈せず〜宮古新報労組闘争29日目


*元の職場に戻った平良喜美子さん。この笑顔がすべてだと思います。

新報労組の仲間、元気に働いています。

きょうは書記長便りを通して、宮古新報労組の闘士・平良喜美子さんに触れます。彼女の生きざまを、ぜひ知ってほしいと思います。

事実上ずっと一人で、ただ一人で宮古新報労組を支えてきた。

9年前の組合結成当時、彼女はすぐに加入した。これで宮古毎日労組のように会社と対等に団体交渉を重ね、社長によるパワハラやセクハラも解消されると期待していた。

だけど、その後は苦難の連続だった。頼りにしていた仲間が一人、また一人と去っていく。どうしていいか分からない彼女は、私たち宮古毎日労組と行動を共にした。

うちの組合の集まりがあると、駆け付けた。思い切り笑うことが多かったけれど、話しながら泣いてしまうこともあった。連絡がないときは怒った。「あれ? 私呼ばれてないけど!」

本当にさびしかったのだろう。定期大会、春闘・年闘の臨時大会も彼女は一人で闘い抜いた。いつか仲間が増えると信じていたに違いない。それまでは「宮古毎日さんのチビ(お尻)についていくからね」が口癖だった。

そんな彼女の夢はいま、かなったとも言える。仲間がたくさん増えたのだから。ただ、私たちは彼女が味わってきた本当の苦しみを、知ったつもりでいただけだったと自省する。

彼女はもともと販売事務の仕事をしていた。社屋1階のフロアでのびのびと働いていた。だが、組合に加入したことで社長に敵視される。「お前は出ていけ!」と、まずは畑違いの制作にとばされた。

何もできない毎日だった。与えられる仕事がないつらさは、思いのほか精神的にダメージを受けた。それでも彼女は制作の仕事を覚えようと専門書を買い、独学で勉強を続けた。持ち前の精神力で乗り越え、彼女の自主退職をもくろんだ社長の攻撃を跳ね返して見せた。

異動から半年ほどして、販売事務の担当者が辞めた。その仕事をできる人は彼女しかいなくなった。社長は手のひらを返したように、「販売事務の仕事をしてくれ」と彼女に頼んだ。「自分が悪かった。誤解していた。今までのことは水に流そう」。この謝罪に釈然としない思いはあったが、販売事務に戻った。

だが、おそれていた通りになった。再び社長の嫌がらせが始まった。他の社員がいる部屋を出て、古びた倉庫での一人業務を命じられた。窓のない暗い部屋、辺りは湿気にまみれてカビだらけ、虫も這い回っていたという。「ここ(社屋1階)から移動しません」と彼女は懇願した。

社長は聞く耳を持たなかった。それでも彼女は頑として動かなかった。すると社長は、卑劣にも社員を使った。同じフロアの社員を呼び付け、「あいつの机を移動するんだ」と迫った。社員は明らかないじめだと分かっている。だから渋った。何度言われても、断り続けたという。

だが、毎日呼び付けられて怒鳴られていると、恐怖心に良心がのみ込まれていく。くだんの社員はとうとう屈した。「喜美子さん、本当にごめん。社長の気が収まるまでの1週間、1カ月だけ耐えてくれ」。戻れる保証などないことを知る彼女は、机にしがみつき、「お願い。いやだ!」と拒み続けた。

非情な光景が広がった。彼女が押さえつけていた事務机は、やはり苦渋の選択を迫られ、良心の呵責に苛まれる複数の男性社員によって、力づくで移動させられた。彼女は、カビ臭い小さな倉庫に、閉じ込められた。ずっと、何年間もそのままだった。誰と会話することもなく、たった一人で、目の前の作業を黙々と続けた。

つらかったけど、これも彼女にとっては闘いだった。決して屈しなかった。相変わらず私たちの会合に参加しては、カラオケで歌い、軽やかに踊って高らかに笑った。内心の裏返しだったのだろう。

1月31日、ついに転機が訪れた。社長退陣という最大の要求を仲間と共にかなえた。それから1週間、事務処理を終えた彼女は、元の職場に戻った。彼女を忌み嫌い続けた社長の姿はもうない。引っ越し作業を買って出たのが、あのとき苦しみながら事務机を倉庫に運んだ男性社員だったことも、うれしかった。

自席に戻った彼女の言葉だ。「天井ってこんなに高いんだ。ここはこんなに明るいんだ。みんなのおかげだね! タンディガァタンディ(ありがとう)」。誰を恨むこともない。彼女の芯の強さが、そこにはあった。

2月8日。宮古島で開かれた組合の女子会。大阪の大学の先生である景山さん、マスコミ労協の玉城さん、うちの会計を務める神力さんは、時間の許す限り彼女の労をねぎらった。

景山さんは衝撃の過去を知った。一方、彼女が制作職場にいた苦しい時期、彼女を支え、共に泣いた労協の玉城さん、飲み会があるといつも声を掛けた神力さんの2人は、あらためて彼女の偉大さに触れた。

今の新報労組があるのは、彼女がいるからに他ならない。もし彼女があきらめていたら、社長退陣はかなわなかったのではないかと思う。新しい経営陣の下で新聞発行を継続するなどということは、誰が想像できただろうか。

平良喜美子。私たちは、彼女の闘争心に学ばなければならない。今ごろは、家で缶ビールを傾けている彼女に、宮古毎日労組は最大限の敬意を払う。

宮古毎日労組FB


Created by staff01. Last modified on 2019-02-13 00:06:17 Copyright: Default

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