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命優先を!総被曝列島化の危機〜「おしどり」マコ&ケン講演林田英明よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する芸人ジャーナリスト、「おしどり」マコ&ケンは今日も健在。福島第1原発事故後の記者会見で東京電力を追及する2人の執念はどこから来るのか。圧倒的なパワーと要領の良さを話術で包み込み、事故の収束を取り繕うこの国の欺瞞を周囲に知らしめる。11月23日、大阪市城東区の「クレオ大阪東」で開かれた講演会「ハミガキをするように社会の事をかんがえよう!」には350人の参加者が会場を埋め、恐ろしい現実を笑いとともに聴き入った。「11・23」実行委員会主催。 ●会見場から記者とカメラが消えていく ツッコミ役のマコはとても早口だ。しかし、そこは漫才芸人。話のツボを押さえ、会場の反応を見ながら話題を進めていく。そこにケンがうまいタイミングで盛り上げ役となっていく。 この日、初めておしどりを見た聞いたという人もかなりいたため、自己紹介と東電の会見に参加するようになった経緯を最初に語ったが、2014年にドイツで開かれたIPPNW(核戦争防止国際医師会議)に招待された際の話も含めて2年前の拙文と重複する部分は省略した。未読の方は以下を参照していただきたい。 一言でいえば、日本の支配階級は国民の命など知ったことではない、と私には聞こえた。具体的にマコがぐいぐいと説明してくれる。まずは風化だ。会見場から記者とテレビカメラの姿が段々と消えていく。講演前日の会見で、ついにインターネットメディアのカメラもなくなった。世間の関心が薄れたことに比例する。マコがアイパッドで録画し、ケンが動画中継するおしどりが唯一のカメラだった。「えっ、ウチだけ? なぜ芸人のカメラが代表カメラになっているの」と笑わせながら、事故から6年半を振り返った。 大手紙の記者には異動がある。フリーランスや雑誌記者も飛び飛びの取材になる。「人事異動がない」おしどりだけの継続取材がここで生きてくる。東電の会見担当者も入れ替わるから、事故当時を知らない記者の不確かな質問に東電は自分に都合のいい回答になりがちだ。「こうやって歴史の書き換えが起こるのか」と切に感じるデータ魔のマコは黙っていない。事故当時の担当者の氏名と回答を逐一書き起こしているので、整合性をすかさず突き、事実に引き戻す。これこそ、権力と対峙する時にジャーナリストが常に身に着けておくべき姿勢ではないか。「私たちは取材しているというより、記者会見場のご意見番みたいなものです」とマコは謙遜しながら表情を緩めてみせた。最前列に座るおしどりに、東電担当者は過去の事案などでは「これでいいですよね」と同意を求めてくるほどになっている。しかし、それでもマコはため息をつく。世間の無関心が進むにつれて記事も動画も目にされなければ、広告の影響のないインターネットメディアでさえ、会見場に人を割くことをためらうのは当然だろう。会見で出てくる情報も少なくなり、記者の質問も激減した。昨日の会見で質問したのは、マコの他に赤旗と朝日の記者しかいなかった。 ●運動部員の病気の割合もプライバシー
ところが、ここに来て関心の高まっている検討会が唯一あるという。それは福島県の県民健康調査検討委員会で、原発事故後の健康調査を福島県立医科大学が行っており、子どもの甲状腺がんの超音波検査の結果や妊産婦の状況を同委員会で定期的に発表する。事故当初は少なかった取材者、一般傍聴者の数が、年数がたち、回数を重ねるにつれてどんどん増えていく。おしどりは、スクリーンにその変遷の様子を映し出しながら解説していった。初め5人程度だった傍聴者が2016年では100人近くに膨れ上がっている。 どうして、こんなに関心が高まったのか。マコが傍聴者に参加理由を尋ねると、こういうことだった。事故当初は報道や行政の言う通り何事もなく暮らしていたのに、年を経るうちに親戚や学校の子どもたちに病気が増えて何かおかしいと感じ、自分の耳で検討委員会の話を聞きたくなった――。そんな疑問と不安が突き動かしていたのだ。議会の傍聴すらしたことのない人たちの切羽詰まった行動である。 しかし、委員会は彼らの気持ちをすくい取ろうとはしない。地元だけでなく全国から、そして海外からも取材陣が押し寄せる委員会にもかかわらず、質問は1人1問。全体で30分しか質疑応答の時間はない。これでは消化不良の時間切れで、傍聴者の焦りが募る。2016年6月の委員会でマコは傍聴者3人から「これを聞いてくれ」と質問を託されたが、近所でもないのに内容がほぼ同じだったことにびっくりした。それは、甲状腺がんに占める運動部の子どもの割合を問うものだった。白血病も含めさまざまな病気が運動部に多いように感じられるためで、運動部と文化部の差異を知りたかったのだ。 マコも2011年4月に文部科学省から出された指示文書「福島県の学校の利用判断における考え方について」がずっと気になっていた。校庭が毎時3.8マイクロシーベルト未満であれば校舎、校庭とも使用は差し支えないとするものである。原発事故前の100倍ぐらいの汚染度に保護者たちは文科省に抗議したものの通達は流され、福島県では体育や部活動が再開された。ところが翌年、除染作業に伴う放射線障害防止を図るために厚生労働省が施行した改正除染電離則では、毎時2.5マイクロシーベルトを超える場所は「特定線量下業務」として内部被曝の測定や検診、特別な放射線教育を課す。それほどのレベルである。やはり校庭の数字は高すぎないかと感じていた。だから、2016年になって運動部の子どものほうが病気になりやすいのではないかとの声の高まりに胸騒ぎがして質問したのだが、検討委員会の返答は「運動部か文化部かというのはプライバシーの関係があるので調べもしませんし回答もしません」という木で鼻をくくったものだった。これは棄民政策を恥じずに自己正当化する官僚答弁である。 情報開示請求しても何も出てこない。子どもたちの卒業後の病気のデータもない。「県や教育委員会、保健所などが目的をもって大がかりに行わないと出てこないデータだと思う」とマコは調査進展を願いつつも、現実は停滞したまま県民の焦慮だけが深まっていく。3.8マイクロシーベルトに「自主対応」する動きとして野球部のヘッドスライディングを禁止したり、郡山市など1日の屋外活動を2歳までは15分、3〜5歳は30分、小中学生は部活動2時間以内を含めて3時間までと制限したりして内部被曝を抑えようとしてきた。だから、屋内で広く遊べる施設を造る方向へと傾いたのも当然かもしれない。 ●農家の体にも野菜にも異変が次々と 問題は子どもたちだけではなかった。委員会の傍聴者に多いのは農家である。外仕事だから、被曝が子どもたち以上に身近なのだ。傍聴に訪れた農家が収穫した昨年のタマネギがスクリーンに映し出される。根が二つではなく四つ。「うわー」と静かな嘆声が会場を包む。マコが詳しく農家に聞くと、1000個のうち根が四つあるのが2個、三つあるのが2個できた。今年はどうかと聞くと、そんなタマネギが13個あったという。福島市で30年以上、同じやり方で栽培していて初めての経験だったそうだ。国から避難を求められる地域ではない。同様に、他の農家でも4年前に白菜、3年前にトマトに異変が起こったと聞かされた。2015年に甲状腺がんが見つかって翌年手術をした男性は、事故の年でも山菜を摘み、山の湧き水を手ですくって飲んでいたと話す。そこに放射性ヨウ素が含まれていたことを知ったのは2013年のこと。150世帯中、男性の甲状腺がんは3人出て、親戚の女性も1人発症したという。古希を過ぎて初めて甲状腺がんという言葉を知り、周囲に散発する状況もあって疑念を捨てきれないのである。 福島県農民連が毎年2回、バスを仕立てて100人単位で東電や政府と交渉している。農家の被曝の責任と対策をどこが取るのかを常に問うものの、とても満足のいく回答は返ってこない。事故直後から肥料にカリウムが推奨されたのは、放射性セシウムと性質が似ているカリウムを植物が取り込むことでセシウムの移行を減らすためだった。なるほど、野菜は出荷できたかもしれないが、土中のセシウムが減るわけではない。農家は「仕事中、ずっと被曝しっぱなしではないか」と気づく。原発作業員や放射線技師を守る電離放射線障害防止規則(電離則)で定められている放射線管理区域より汚染されている土地で毎日農業を続けているのに、なぜ自分たちは守られないのかとぶつけたところ、先述した検討委員会の「プライバシー発言」と同じく、人を人として見ない返答が浴びせられる。 「電離則というのは事業者から労働者を守るための法律なので、自営業の農家の方々は自己責任です」 マコは「ホントに自己責任とおっしゃったんですよ。『自営業の方々には電離則で言う放射線管理区域の概念は当てはまりません』とまで言われたんです」と反芻しながら会場に語りかけた。ケンも「びっくりしましたよね。悲鳴が起こってました」と相づちを打つ。会場にも、どよめきが広がる。このデキの悪い冗談は「勝手に死ねよ」と言っているに等しい妄言である。こういう国の下に生きているのかと農家は憤まんを持ったはずだ。空間線量ではなく、土の汚染を調べてほしいと彼らは切に思っている。 ●セシウムと共存強いられ自己責任 最新の今年4月の交渉時のデータがスクリーンに現れる。福島県北部の伊達市郡の2016年の数字である。放射線管理区域は1平方メートル当たり4万ベクレル以上。162カ所中161カ所でその値を超え、17万や26万などケタ違いの数字がズラリと並ぶ。基準以下の1カ所は、どうやら菊をビニールハウスで栽培しているからだろうとマコは説明する。空間線量の数字も横に書かれている。国の除染の目安は毎時0.23マイクロシーベルト以上の地域。しかし、それ以下の空間線量の土地でも土を調べればとんでもない汚染状況が見てとれる。空間線量は地上1〜1.5メートルの地点で測定されるから、土をいじっている現実とそぐわない。ケンは「別に空中栽培をしているわけではないですからね」と笑いで念を押す。 避難解除の地区が広がっていく中で被曝をしない対策はどうなっているのか。川俣町で2016年11月、避難解除する地域で農業を再開する人たち向けの説明会が開かれた。「農作業における放射線対策」。ある農家が手を挙げて、自宅と農地の除染はなされてもそこを結ぶ山道や林の脇道が高線量なのでどうしたらよいかと訴えた。国による除染は林縁から20メートルの範囲。林や裏山が近ければ不安は隠せない。高線量の道がどれぐらいあるか把握しているか問うたところ、日本原子力研究開発機構の返答はこうだった。「確かに、通ると被曝するような高線量の土地もたくさん残っています。でも大切なのは、そのような道を通るときはできるだけ早く駆け抜けてください」 場内、この日最大の爆笑。これが、まじめな論議なのである。マコは「びっくりしたよ。聞き間違えたかと思った」と目を丸くしたのも当然だろう。機構は回答を繰り返す。 「道はただ通り抜けるだけですので、そのような高線量が予想される道は、できるだけ息を止めて小走りで駆け抜けてください」 この日の説明会では、こうした“迷答”ばかりで、おしどりも真っ青の漫才としか言いようがない。自宅住まいの心得も説いてくれる。2階は窓や雨どいが近いため線量が高くなりがちだから、食事や就寝など長時間過ごす場所は窓に面していない1階の真ん中の部屋が望ましいとのことだ。除染の諦めは帰還政策破綻の証明になるはずだが、そこへ議論の出発点を持ってはこない。そして、とどめを刺す。「最終的に放射性物質はなくなりません。皆さんはセシウムとの共存を踏まえて、工夫しながら生活していってください」とのたまうのだ。もはや狂っているとしかいえない。 説明会に参加していた6人の地元の方にマコはインタビューを試みた。避難解除されたら農業を再開したいか聞きたかったのだが、多くの方が怒気をあらわに途中で椅子やドアを乱暴に扱いながら退席してしまった。後を追いかけて2人の話をようやく聞けた。1人は一言「ムチャクチャ」と言っただけで去っていく。もう一人は丁寧に答えながらも不満をぶちまける。「あなたね、私たちは汚染がなくなるから避難解除になるんじゃなくて、息を止めろとか、小走りで駆け抜けろとか、(土ぼこりが舞い上がるから)はなをよくかめと言われて避難解除で戻されるんですよ。あなただったら農業を再開しますか」と逆質問を含んでマコの胸を締め付けるのだった。 この川俣町の説明会はおしどりのみの取材。福島県民ですら、そんな説明会があったことはほとんど知られていない。 原発事故は、なんら収束していない。今も放射性物質はメルトダウンした原発から空にまき散らされており、汚染水の凍土もうまくいっているようには見えない。汚染は福島に局限されたものでは無論なく、関東まで来ている。原子力規制委員会の上水モニタリングによれば、半減期2年のセシウム134が2016年11月段階で微量ながらも検出されたのは47都道府県中、福島(福島市)、栃木(宇都宮市)、東京都(葛飾区)である。そして最新の今年4〜6月分では東京都だけになった。事故直後の水素爆発時の影響が多大だったと推察される。おしどりが懸念するこうした事実も、よく認識しておく必要がありそうだ。 ●8000ベクレルの廃棄物は公園にも 除染の現状も対症療法の限界を見せている。放射性物質に汚染された土壌や廃棄物を詰め込んだフレコンバッグが積み上げられた茨城県東海村での写真をマコは指しながら、そばに設置された看板「ごみは持ち帰ろう。自然を大切にしよう」の文言を読み上げて現実とのギャップを映し出す。 福島県飯舘村は早くから除染作業が進んでいる地域である。しかし、「山から放射性物質が下りてくる」と表現されるように、毎年同じ地域を除染しなければならず、耐用年数3〜5年の大量のフレコンバッグは野ざらし、雨ざらしの過程で草木が突き破って穴だらけになる。そのままでは放射性物質が漏れてしまうため、黒いシートをかぶせるものの、これも野ざらしのため穴が開く。すると今度は緑のシートをかぶせるイタチゴッコを繰り返している。そこで2014年、福島県を含む5県は県内に1カ所ずつ中間貯蔵施設を造って集約することになった。他県では自治体の反発があって進展しない中、福島県では受け入れる代わりに国に五つの要望を出した。そのうちの一つが、30年後には他県に最終処分場を造って全て移してほしいというものだ。国は受け入れ、福島の場合は第1原発周辺の約16平方キロメートルという広大な敷地が充てられた。 では、最終処分場はどこになるのか。そんな広さを簡単に用意できる無人の地など他県には見つからないし、すんなり受け入れを承知するはずもない。これは空約束になる。国もそれは分かっているから、最終処分場の面積を小さくするために放射性廃棄物を再生利用していこうと発想を逆転させていく。「どんなトンチや」とマコは嘆く。2015年7月にスタートした環境省の「中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会」がそれである。2016年4月、1キログラム当たり8000ベクレル以下の放射性廃棄物は全国の自治体の公共事業で再生利用していくとの方針が決まった。議論開始時は3000ベクレル以下だったのが、傍聴者も少なく反対意見が乏しい中、緩められた。当初、工業用地や線路、堤防などだったのが「緑地」にも拡大される。具体的に何を指すかを聞くと、それを「公園」を意味していた。答えを聞いて、のけぞるマコだった。 土で土を遮蔽し、盛り土をする工程を考えると、道路や用地に雨が降れば放射性物質はそのまま地下水に流れ込む。下流に畑があり、そこで作った農作物を食べれば恐らく内部被曝をするから、その場合のリスクも考えよう、などと宣告する。堤防にしても決壊の恐れがあるのに平然と再生利用を推進していく。「安全」かどうかの判断は、2016年8月に開示請求して明らかになった。その中身に仰天させられる。「除去土壌等の再生利用に係る放射線影響に関する安全性評価検討ワーキンググループ」での議論の中身をマコがかいつまんで説明した。これまで原子炉等規制法で、コンクリートや建築資材、金属をベンチなどに再生利用する安全基準としてセシウムは1キログラム当たり100ベクレル以下と定められていたのに、汚染土壌を再生利用できる理屈をどうやってつけるのか注目していたところ、「新概念」と書き込んで正当化してきたのだ。マコは「国が法律を破る場合は『新概念』と言うんだ」と声を高めて驚きを隠さなかった。安倍晋三首相が2016年6月、消費増税を再延期すると表明した際「新しい判断」と表現したのを私は思い出す。都合のいい言葉を権力者は恥ずかしげもなく使う。そこに申し訳なさのかけらもない。 マコの報告は続く。3000ベクレルで議論していた時期は、100ベクレルに減衰するまで150年程度かかるため管理責任上、倒産などのある民間事業者ではなく自治体の公共事業に限ろうとなった。最終的に8000ベクレルまで認めたため、管理は最低200〜300年まで延びる。では、原子力大国で汚染土壌を公園や道路の下に再生利用するようなところが他にあるだろうかとマコは調べ続けていたが、なかなか見つからない。そして2016年4月の開発戦略の指針に「世界的にも前例のないプロジェクト」と記されているのを見て脱力するのだった。「やはり、世界初か……」。議事録には「再生利用という名前にしているけれども、実際には全国の自治体で処分していく一形態」との趣旨が明記されているところに本音が出ている。 議論当初はセシウム濃度の薄いものを再生利用しようと話し合われていたが、それでは量があまり減らない。そこで濃いものも混ぜて希釈し、全国にバラまこうとなった。ケンも「(意図的な希釈は)ドイツでは法律違反ですね」と思わず口を挟む。マコも、検討会がメディアや市民の注目が薄いのをいいことに議論が劣化して総被曝列島化に邁進している焦燥感をにじませた。 ●ドイツの廃棄物処分場の道筋問えば 2014年からドイツに呼ばれるおしどりは、会議の合間に取材を重ねる。放射性廃棄物の処分場を2カ所、見学に訪れた。アッセとコンラッドである。連邦放射線防護庁の広報がそれぞれ対応してくれたが、コンラッドのほうは極度に原子力推進の人で、マコが次々と質問すると「あなたの質問の前に、どれだけたばこに被害があるか聞いてくれる?」と本筋をそらしてきたため意欲がなえてしまった。 しかし、アッセのほうのドクター・インゲ氏の話には中身があった。インゲ氏によれば、脱原発が決まっているドイツは廃炉を控え、大型で近代的なコンラッドを造る必要があったという。一方、1960年代にできたアッセは古い岩塩鉱山を後利用した処分場。岩盤が丈夫で地下水が入ってこない利点を生かして地下750メートルから500メートルの空洞にキャスクは運び込まれた。しかし、適当に投げ込む荒っぽい処分だったため壊れるものもあった。地層が動いた2000年代には地下水の流入が確認され、やがて舟でなければ行けない区域も生まれるほどに。すると、山のふもとからプルトニウムが含まれた地下水が出てくるようになり、何も知らなかったアッセの付近住民に白血病やさまざまながんが増えて、脱原発にかじを切る大きな問題の一つになったと話した。アッセの住民たちは廃棄物をすぐに移転してほしいと願うが、どこにも持っていきようがない。汚染水が出ればポンプでくみだし、より深い地下に送り込み、岩塩の壁にひび割れが見つかればコンクリートで埋めるその場しのぎの対応に明け暮れている。処分場自体は1994年に閉鎖されたが、これが世界初の最終処分場になるはずだったアッセの成れの果てである。 マコはインゲ氏に尋ねた。「今後、アッセにはどういう道筋があるんですか」。インゲ氏は「それはいい質問ですね」と、一瞬持ち上げたかに見えて実はそうではなかった。「あなたは民主主義を知っていますか」と続ける。日独とも民主主義を採用しているが、それは最良のシステムではない。なぜなら、ドイツはナチスを民主主義の選挙で生み出したからだと自省する。「愚かな市民であれば愚かな代表を選ぶ、それが民主主義の選挙」と学んだ。もし民主主義を選択するなら、愚かな市民ではダメで、一人一人が勉強して知って考えて自分で発言することが大変重要だと強調した。原子力も同様で、政治家や研究者など高名な人の発言をうのみにするのではなく、市民自らが議論に参加し方向を考えていくのが大切だと説いたうえで「だから、あなたのように今後どうなるのかと質問していてはダメなんですよ」と締めくくられてギャフンである。 逆に質問されたのは、福島の避難解除の基準だ。年に20ミリシーベルト以下は避難解除になると伝えたところ、「年に20? ウソだろ! 2とか3じゃないのか。子どもも妊婦も20ミリか」と全く信じてもらえなかった。原発作業員と同レベルであり、これは小学校に原発を造ることと同じ意味になってドイツでは全く受け入れられない数字だと勢い込んで「日本の国民はそれを受け入れたのか」と心配でならない表情のまま問いかけてきた。 その言葉を聞いて、数値の高さに反対し取材を続けてきたつもりのマコ自身、受け入れた側の一人だったと気づかされた。20ミリの数字が出されたとき、単に反対していただけで、自分から議論に参加したり具体的に提言したりしたわけではない。政策に向けた行動が伴っておらず、ただ関わっていただけの「遠くで文句を言っていた国民」だと思い知ったというのだ。つまり、ポーズに過ぎなかったと自責の念にかられたようだが、会場の参加者におしどりをそう見る人など一人もいない。むしろ、その言葉は会場参加者一人一人に向けられた遠回しの刃に感じたのではなかろうか。集会にただ参加しただけで反対した気分になる。免罪符のような自己満足。少なくとも私はマコにそのあたりを射抜かれた。ご本人は、多彩な活動をおしどり以上に息長く続ける人たちがたくさんいることを踏まえて「いやー、そんなつもりないっす」と頭をかいていたが……。 ●生活の中に社会を変える「1票」が 先述したコンラッドでの広報との質疑応答で面白い話が一つあったとマコは最後に紹介した。放射性廃棄物を運ぶドイツのトラックの丈夫な外観が公開されていることにである。安全を広めるためのようだが、日本ではテロリスト対策で輸送ルートはもちろん、外観すら非公開だとマコが告げると、広報は輸送ルートの非公開は共通すると答えた。ただ、その理由は、テロリスト対策ではなく市民団体対策だった。「ドイツの市民団体がどれぐらい今までイヤがらせをし続けているか知ってるか」と吐き捨てるように言い、「テロリストはもしかしたら来るかもしれないが、市民団体は100%来る」と嘆いてみせた。道に何カ月も寝そべる。処分場や原発に入れないようにしたり、団体でトラックを引っ繰り返そうとしたりする。とにかく手ごわい抵抗勢力なのである。 ドイツの脱原発の市民団体は今、三つの活動をしている。一つは、脱原発の期限を前倒しするよう求めるもの。もう一つは、放射性廃棄物が適切に処分されるかどうか輸送も含めて廃炉を監視するもの。最後は、隣の国の原発を止めようとするもの。この最後の三つ目が異色であろう。ベルギー国境に近いアーヘンの街を歩けば、そこかしこに「ティアンジュ止めろ」のステッカーが張り出されている。アーヘンから西方70キロ足らずのティアンジュ2号機が“標的”だ。原発事故に国境の意味はない。ベルギー北方のドール3号機も稼働から30年以上経過し、ともに原子炉に多数のひび割れが見つかっている。民意の高まりを受けて2016年4月、ドイツのヘンドリクス環境相がベルギー政府に対して両原発の運転停止と詳細な検査を求める事態に発展、ルクセンブルク政府も同調している。こうした動きは、日本での距離感なら韓国の古里原発の稼働停止を対馬市(長崎県)が求めるようなものだろうか。原発輸出をもくろむような現在の日本政府には全く期待できないアクションである。 ドイツを取材していくと、日本同様、警察もメディアも政治家も企業も市民のほうを向いていないとグチられる。しかし、日本とドイツの一番の違いは、市民が怒ることだと言われ、マコも納得する。のど元過ぎれば熱さを忘れる、権威に弱い国民性に為政者はつけこむ。社会に対する真剣な怒りの表出をおしどりは主張する。社会を変えることは難しいことと思いがちだ。いろいろな芸人が集まるよしもとでも、政治的な話をしたり考えたりすると「あいつはイロがついた」と距離を置かれがちになるという。だが、マコは話を締めくくるように述懐する。「原発事故で日本がひどい世の中になったのではなくて、私たちが物知らずで不勉強だったから失敗したなとメチャメチャ思った。原発事故の前からひどい状況だったわけで、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱい。自分が住んでいる社会のことを考えるのは特別なことではなくて、ハミガキをサボると虫歯になるみたいに、社会のことを考えるのをサボると自分の人生にしっぺ返しがくる。世の中を変えるには、選挙の時の1票も大切だが、それだけではなくて何にお金を使うか、何に時間を使うか、どこに足を運ぶかとか、生活の中に社会を変える1票があると思う」。なるほど、そうか。「1票」は日常の中にあるのだ。マコは文房具店でペンを買う際、試し書きには「脱ひばく」と書く。次にペンを取る人がそれを目にすることになる。書店に右派論客の書籍が平積みされていれば、護憲の本をその上にさりげなく重ね置きする。うまくいけば1週間ぐらいそのままだ。 講演の最後の最後まで笑わせながら、まずは足元の小さなレジスタンスを提唱するマコ。そしてマコを公私ともパートナーとして絶妙に支えるケン。おしどりは、日本の民主主義の先頭を行く、芸人の衣をまとった真のジャーナリストである。 Created by staff01. Last modified on 2017-12-07 20:49:28 Copyright: Default |