太田昌国のコラム「サザンクロス」 : 或る妄想――チェ・ゲバラが死刑囚だったら | |||||||
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或る妄想――チェ・ゲバラが死刑囚だったら去る10月7日、私も運営会に関わる「死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金」が主催する「死刑囚表現展」は13回目を迎えた。公開シンポジウムの司会を務めながら、ああ、今日は、チェ・ゲバラがボリビア政府軍との戦いで負傷して捕らえられてから50年目の日だな、と思った。そして、唐突にも、こうも思った――捕らえられたチェ・ゲバラが2日後の10月9日に銃殺されずに、起訴され、裁判に掛けられたならば、死刑囚になっていただろうか。そして、ボリビアの司法当局があるとき、チェ・ゲバラの死刑執行が近いと示唆したならば、国際的にどんな反響が起こっただろうか、と。 ゲバラの『ボリビア日記』の1967年3月21日には、次の記述がある。「私はサルトルとバートランド・ラッセルに手紙を書いて、ボリビア解放運動支援の国際基金を創設してくれるよう頼まなければならない」。想像するに、「死刑囚」チェ・ゲバラをめぐって、国際的に大変な議論が沸き起こったに違いない。或る国の政府を打倒するために、外国人が密かに入国し、同国の若者たちを扇動し、共に武器を取ってゲリラ戦争を展開する。その過程で、対峙した政府軍兵士を死傷させる――裁判での争点はいくつも浮かび上がる。1930年代後半、フランコが指揮するファシスト軍と戦うために世界各地から「国際旅団」が駆け付けたスペイン戦争が参照されるかもしれない。1950年代、朝鮮戦争において共和国側に加担して参戦した中国人民解放軍の例も挙げられるかもしれない。加えて、チェ・ゲバラは、論理の構築に長け、しかも文章家である。獄中から発する手紙やメッセージは、大きな反響を呼んだことだろう。 こう考えると、ボリビア政府が大統領の指令で、裁判なしでチェ・ゲバラを処刑したことは、彼らにしてみれば「合理的な」判断だったのだろう。チェ・ゲバラの「捕獲作戦」に関わった元CIAのスパイで、キューバ人のフェリックス・ロドリゲス(マイアミ在住)は、「CIAはチェを生かしておいて尋問することを希望したが、ボリビア政府がこれを退けて処刑した」と語っている(スペイン紙「エル・パイース」2017年10月8日)。 さて、現実には起こり得なかった50年前のことを、敢えて想像をたくましゅうしてみたというのも、「死刑囚の表現」がもち得る力が、私の頭から離れないからである。死刑囚の多くは、冤罪の場合であってすら、人間関係をほぼ絶たれることが多い。面会や文通ができる相手は、「恵まれた」場合でも弁護人を含めて6〜7人である。人間関係、つまり精神的な交通を断ち切られたところで、自らが犯した事件を悔い、内省の歩みを記すこと、冤罪の場合には、自らが強いられている理不尽な境遇を訴えること、事件を離れて、想世界にあそぶこと――それは、いずれも難しい。「死刑囚表現展」はそこに楔を打ち込みたいと思って創設した。
去る5月に獄死した確定死刑囚・大道寺将司君の母親、幸子さんは2004年に亡くなった。いくばくかのお金が遺った。晩年、死刑制度の廃止を願って、多くの死刑囚との交流を続けた幸子さんの遺志を汲み、それを死刑制度廃止の運動に役立てようと考えて、「基金」は生まれた。死刑囚表現展は、その一活動である。死刑囚が詩作する。短歌や俳句を詠む。自らが関わった事件を振り返る。極端に限られた素材で、絵を描く。貧しかった子ども時代には叶わなかった願いを、画面いっぱいに描く。着古した作務衣を出品する。「コム・デ・ギャルソンみたい」と言った人がいた。 13回の歴史を積み重ねて、死刑囚の表現は、次第に社会に露出してきた。罪と罰をめぐって、償いと赦しをめぐって、悔悟と新生をめぐって、秘密のベールに覆い隠されている死刑という制度をめぐって――さまざまな対話が始まっている。 Created by staff01. Last modified on 2017-10-10 11:27:58 Copyright: Default |