米国家安全保障局(NSA)による大規模な個人情報収集を告発したエドワード・スノーデン元米CIA職員が共同通信のインタビュー(2日付中国新聞=共同)で述べたことはきわめて重大です。
スノーデン氏は「あらゆる人物の私生活の完璧な記録を作ることができる」大規模監視システム(エックスキースコア)がNSAから日本政府に供与されていたことを示す機密文書は、「米政府も本物と認めている」と断言したうえで、「共謀罪法案」についてこう指摘しました。
「(法案に)懸念を表明した国連特別報告者に同意する。…新たな監視方法を公認することになる。大量監視の始まりであり、日本はこれまで存在していなかった監視文化が日常のものになる」
「共謀罪法案」の危険性があらためて浮き彫りになっています。スノーデン会見を報じたメディアも「大量監視」に批判的なコメントを行っています。
ところが、ここで注意する必要があるのは、そのメディア自身が国家権力の「大量監視」に無批判に追随している現実があることです。
それは「監視カメラ」です。「監視カメラ」を使った事件報道です。「防犯カメラ」という名の「監視カメラ」が社会に氾濫し、警察・検察は事件の容疑者特定に「カメラ」を多用しています。そしてメディア(特にテレビメディア)は警察が流すビデオ映像を無批判に流しています。時には「独自ネタ」と称して容疑者が逮捕される前から独自に「監視カメラ」の映像を流すこともあります。
これは明らかなプライバシー侵害です。容疑者といえども人権・プライバシーがあることは言うまでもありません。最高裁が無制限の「GPS捜査」を違憲を断じたのもそのためです。
さらに、「監視カメラ」の映像は不鮮明なものであり、冤罪の原因にもなります。先に(3月10日)最高裁で無罪が確定した元中国放送アナウンサー・煙石博氏の冤罪事件もそれを示しています。
なんのルール・規制もなく社会に氾濫している「監視カメラ」は、プライバシーを侵害し、「大量監視」社会をつくるものにほかなりません。スノーデン氏は「共謀罪」法によって日本に「これまで存在しなかった監視文化」が招来されると警告しましたが、「監視カメラ」の氾濫はすでに日本に「監視文化」が浸透していることを示しています。「共謀罪法案」は「新たな監視方法」によってそれを徹底・完成させるものです。
問題はメディアだけではありません。「監視カメラ」は「一般市民」の近辺に浸透しています。町内会や商店街によるカメラの設置が広がっています。都内の眼鏡店やコンビニが「万引き犯」の映像をHPに掲載したことが問題になりました(写真右)。
犯罪捜査や抑止に「監視カメラ」が有用だという考えは一般にあります。問題はその設置・利用に関する法的・社会的規制がまったくないことです。「監視カメラ」のルール作りは急務です。
安倍政権・国家権力が「共謀罪法」で「大量監視」社会をつくりあげようとしている今、それを許す土壌が、メディア、市民の「監視カメラ」の濫用によってつくられている実態を放置することはできません。
自分は悪いことはしないから「監視カメラ」になんの問題も感じない、という意見があるかもしれません。プライバシーとは何でしょうか。スノーデン氏の言葉をかみしめたいと思います。
「プライバシーとは「隠すため」のものではない。開かれ、人々が多様でいられ、自分の考えを持つことができる社会を守ることだ。かつて自由と呼ばれていたものがプライバシーだ。
隠すことは何もないからプライバシーなどどうでもいいと言うのは「言論の自由はどうでもいい、なぜなら何も言いたいことがないから」と言うのと同じだ。反社会的で、自由に反する恥ずべき考え方だ」