渡部通信〜江戸時代の朱子学批判と三浦梅園の『敢語』(その1) | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバーフェスタ2024(12/25) ・レイバーネットTV(11/13) ・映画アンケート募集中 ・あるくラジオ(10/10) ・川柳班(フェスタ投句先) ・ブッククラブ(10/12) ・シネクラブ(9/1) ・ねりまの会(10/12) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第96回(2024/11/15) ●〔週刊 本の発見〕第368回(2024/11/21) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/11/28) ●川柳「笑い茸」NO.158(2024/10/26) ●フランス発・グローバルニュース第14回(2024/10/20) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第95回(2024/9/10) ●「美術館めぐり」第5回(2024/11/25) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
・「都教委包囲首都圏ネットワーク」、・「新芽ML」
・「ひのきみ全国ネット」の渡部です。 ================== 【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎) ================== 東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし) =================== 対米従属で「世界征服」を夢想する デマゴギー政治家安倍首相を倒そう! =================== (このメールはご迷惑を承知で多くの方々に発信します。 ご迷惑な方は止めますのでご連絡ください。) 名著『中国哲学史』(岩波書店、1953年)の著者・狩野直喜(1868〜1947)は、 わたしの尊敬する人物です。 その狩野氏について【ウィキペディア】には次のようなことが述べてあります。 <朱子学を嫌い、考証学や徂徠学を尊んだ。 後年臨終の床で、(教え子の)細川(護貞)より 「なぜ日本がこのような馬鹿な負け方をしたのでしょう」と問われ、 (朱子学が基にある)「水戸学のせいだ」と答えるほどであったという。> その朱子学は中国の宋の時代に確立された儒学の一派で、 「理気二元論」を基本的な世界観とします。 つまり、「理」(観念的なもので「イデア」のようなものです)を先にし、 「気」(物質的なもの)を後にする考え方です。 そして、江戸時代初期に徳川家康がそれを取り入れ、 江戸時代の支配思想になったものです。 それが、明治以降も次第に復活し、 戦前の日本の「修身科」の基本思想になりました。 それを狩野氏は批判しているわけです。 ところで、江戸時代にも朱子学を批判する学者たちはいました。 それは例えば、<伊藤仁斎>や<貝原益軒>、<安藤昌益>や<三浦梅園>、 さらには<皆川淇園><鎌田柳泓><山片蟠桃>らです。 その中で、<伊藤仁斎>(1623〜1705)について狩野氏は、 『中国哲学史』において、「戴震」(1723〜1777、中国における有名な唯物論者)を紹介する中で、 次のようなことを述べています。(少し読みにくいかもしれませんがご容赦ください) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 余は疏証(戴震の『孟子字義疏証』のこと)と仁斎の語孟字義とを比較して、 其の相似の甚だしきに驚かざるを得ない。蓋(けだ)し仁斎は古義を以て宋儒を正し、 震も亦た同様なる態度なりし為め、共に同一の結果を得しものと思はれるのではあるけれども、 両者が符節を合するが如きは実に奇といふべきである。 (中略) 第四、仁斎は、仁義礼智の四者を道徳の名にして性の名にあらずとし、 『道徳は天下に於いて徧(あまね)く達するを以て言う。 一人の有する所に非ず也。性は専ら己に於いて有するを以て言う。 天下の該(がい)する(関係する)所に非ず也。 此の性は道徳と之を弁ずる(分ける)なり。』と云った。 ・・・・而して仁斎は、震より遥か以前にあって此の如き著あるは、 我国儒林の誇となすに足るものである。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 要するに狩野は、 仁斎の古義学は、中国の戴震と同じことを言っていると述べ、 それはともに「宋儒」を批判し、 「仁義礼智」を「道徳の名」(渡部注:現在風に言えば「徳目」でしょうか) として重視している「宋儒」を批判している、 と述べているのです。 そうして、仁斎は戴震より遥か以前の人物であるから、 「我国儒林の誇となすに足るものである」とまで述べています。 ちなみに、仁斎は朱子学の「理気二元論」を批判し、次のように「気一元論」を唱えました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー けだし天地の間は、一元気のみ。あるいは陰となり、あるいは陽となり、両(ふた)つの者 ひたすらに両間に盈虚(えいきょ)消長往来感応して、いまだかつて止息せず。 これ即ち是れ天道の全体、自然の気機(自然界における重要な変化)、万化これより出でて、 品彙(ひんい、諸種の生物)これに由って生まる。(『語孟字義』) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー また、朱子学者の言う、教条的、禁欲的な道徳を批判し、同じ書に次のように述べています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 己を持すること甚だ堅く、人を責むること甚だ深うして、肺腑に浸淫し、骨髄に透浹(とうしょう)、 卒(つい)に刻薄の流(情け容赦ない流儀)と為る。 専(もっぱ)ら理の字を主張するの弊に至る。悲しいかな。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行う、 何の知り難く行い難きことか之(これ)有らん・・・故に道を知る者は、 必ず之を近きに求む。 其の道を以て高しと為(し)、企て及ぶべからずと為(す)る者は、 皆道の本然に非(あ)らず、自ら惑うの致す所なり。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここで仁斎は、朱子学の道徳を批判し、 「専(もっぱ)ら理の字を主張するの弊に至る」 と述べています。 また、道というのは遠くにあるのではなく、 近くにあるのだと述べています。 一般大衆の生活の中にあるという事でしょう。 少し読みにくい引用文が続きましたので、 今回はここまでとします。 次回は<貝原益軒>と<安藤昌益>を取り扱いたいと思います。 (このシリーズは基本的には<三浦梅園>までです) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『卒業式ビラまき報告集会』(実行委員会主催)のお知らせ <日時>2016年4月30日(土)18:30〜21:00 <場所>阿佐ヶ谷地域区民センター、第五集会室 <内容>・卒業式ビラまきの特徴と教訓について ・今後の運動の発展について <資料代>300円 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ************************************************** 「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス http://houinet.blogspot.jp/ 「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ http://homepage3.nifty.com/hinokimi 「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト http://hinokimi.web.fc2.com/ Created by sasaki. Last modified on 2016-04-16 11:51:02 Copyright: Default |