わたしは19人のひとりだ!〜大阪で「相模原施設障碍者大虐殺追悼アクション」 | |||||||
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わたしは19人のひとりだ!〜大阪で「相模原施設障碍者大虐殺追悼アクション」レイバーネット関西報道部→動画(14分) *下段に映像に関するコメントあり 9月12日(月)夕刻、梅田ヨドバシカメラ前で「相模原施設障碍者大虐殺追悼アクション」が開催されました。「身体障碍者にしか演じられない身体表現を追究するパフォーマンスグループ」劇団態変と有志たちが呼びかけ人となり、亡くなられた19人の四十九日にあたるこの日に開催されました。 追悼の場には、約160名の人々が集まりました。最初に、呼びかけ人の1人であり、劇団態変の主宰者である金滿里さんが、今回のあまりに残酷かつ卑劣な事件に対する思いと、このアクションを企画した思いを語りました。 その後、集まった人々によるリレートークが始まりました。誰に話してもらうか、事前に一切決めていませんでしたが、それぞれの思いを語る人々は途切れることがありませんでした。障害のある当事者、地域で暮らしている人、施設で暮らした経験のある人、障害のある家族がいる人々、社会福祉を学んでいる学生など、それぞれの立場から、この事件に対する思いを語り、参加者だけでなく沿道を行き交う人々も立ち止まってその言葉に耳を傾けていました。 呼びかけ人の1人である、大阪教育合同労働組合の大椿執行委員長は、幼い頃、全盲の祖父と暮らした経験や、大学で障害のある学生の就学支援に携わって来た経験を語りながら、「まず、障害のある人、障害がある家族がいる人たちに伝えたい。みなさんは、この社会で安心して生きていい。今回の事件を通じて、不安になったり、恐怖を感じているならば、その気持ちに私は寄り添いたい。この事件を通じて怒りを感じているならば、みなさんと一緒に怒りたい」と伝えました。そして、「私自身が内面化している優生思想にも向き合っていきたい」「今回、殺された方々は障害のある方々でした。しかし、もしかしてそれは、子どもや女性、セクシュアルマイノリティや非正規労働者だったかもしれない。最大限の想像力を持って、今回の事件を自分の事として考えたい」と訴えました。 横断幕に書かれた「わたしは7月26日に殺された19人のひとりだ」という言葉に込められた思いは、今回の事件を受け、障害のある人々が抱いた率直な思いであるとともに、障害がない人々も、この事件を人ごととして受け流すのではなく、最大限の想像力を働かせ、亡くなられた19人の人生に思いを馳せ、自分の事としてこの事件を受け止めようという思いが込められています。リレートークの最後は、全員で黙祷の時間を持ち、LEDのキャンドルライトを片手に持ちながら、扇町公園へと移動しました。 扇町公園でも、小さな追悼の場が持たれました。障害のある人、セクシュアルマイノリティの人、在日韓国・朝鮮人の青年、大学で障碍者福祉を教えている講師、高校の先生、DVを受けた女性たちの支援に携わる職員、障害のある家族がいる人、静かに思いが語られる時間が続きました。高校の先生が、「かつて自分が勤めていた高校には、ストレッチャーに寝たままの重度の障害をもつ生徒が通っていた。障害があっても高校に通える、大阪のインクルーシブ教育は全国でもかなり進んでいた。しかし今の大阪は、障害のある子どもたちも通えた高校が、3年間定員割れだったことを理由に廃校にさせられる状況になっている」と訴えました。今回の事件を通して感じたそれぞれの思いを語り、そこにいた人々と共有する時間を持ちました。多くの人々から、「このような機会を作ってくれてありがとう」との言葉が発せられ、それぞれが整理の付かない思いを抱えながら、その思いを共有する時間と、匿名扱いにされた亡くなられた19人の人生に思いを馳せる時間を必要としていたことが伝わってきました。 この事件を風化させてはいけません。亡くなられた19人の死を心からいたみ、このようなヘイトクライムが起きる社会の状況に、私たちは毅然と立ち向かっていかなければなりません。 <当日配布された呼びかけ人からのメッセージ> わたしは7月26日に殺された19人のひとりだ 去る2016年7月26日、神奈川県相模原市にある障碍者(しょうがいしゃ)施設に一人の男が押し入り46人の無抵抗の人たちを殺傷しました。 本日9月12日は、理不尽に生命を奪われた19名の四十九日に当たります。 この19人がどんな顔の人でどんな風に生きていたか、泣いたり笑ったり辛かったこと嬉しかったこと、ぜったいに色々あったはずなのに… 山奥の施設でその存在を隠され、生命を奪われ、そのうえに匿名扱いでこの世に生きた個人としての痕跡さえかき消されようとしている。この19人のことを最大の想像力でわがこととして想う時間を、これを読んでいるみなさんと共に持ちたいと思います。そして、障碍者に施設での暮らしを強い、彼らを匿名扱いにする、この社会の在り方を、問い直したいと思います。 わたしたちは、あの許すまじき事件のことを風化させず、わたしたち自身の問題として、しっかりと捉えていきたいと考えます。 7月26日に「なにか悲惨な事件があった」ですませてはなりません。多様性ある個人が共に生きることの基盤に重大な攻撃が加えられた日、この日を境に共生の社会が壊れていくのか / 再構築へのたたかいに立ち上がるのか、2016年7月26日は、その分岐点として永く記憶されるべき日付だと考えます。 この事件は、誤った思想にもとづくヘイトクライム(憎悪犯罪)です。この事件を「精神を病んだ個人が起した異常で例外的な犯罪」として捉えることは間違いだと考えます。 虐殺犯人である植松聖は、障碍者への差別感情を憎悪にまで増長させ、ついに実行に及びました。これはまぎれもなくヘイトクライム(憎悪犯罪)です。 彼は犯行直前に「Beautiful Japan!!!!」なるツイッター投稿をしています。障碍者のいない日本が「美しい国」だとでも言いたいのでしょうか。植松がその差別感情を虐殺という行為にまで発展させた要因として、世間に存在する『優生思想/eugenic ideology』が占める位置は大きいと考えられます。優生思想とは、人類全体の品種改良という着想から、ある属性を持つ人たちの生存を否定するに至る思潮です。それをさらに掘り下げると、どの個人もある目的に従属しており、その目的のために「有用な生命」と「不要な生命」がある、そういう考え方が知らず知らずの内に私たちに刷り込まれているようです。 優生思想の根っこに在る人間観は、障碍者にかぎらず全ての人間を侮蔑し抑圧するものであることを、私たちは伝えたい。 「一人ひとりの人間の誕生は世界の誕生」と言ったのはドイツ系ユダヤ人の哲学者、ハンナ・アーレントでした。一つの「正しさ」一つの「目的」が主張され人びとを束ねはじめるとき、ある命は存在を否定され、その命を生き抜くことで拓かれるはずだった豊かに多様な世界が閉ざされてしまう。「なんてもったいない!」と思いませんか? もしあなたが「殺してもよい生命がある」という信念を持ったとします。さて、あなた自身の生命は誰が保障するのでしょうか。あなたの生命が否定されないためには、あなたはなにか或る基準を満たすように生きていかねばならない。不自由ですね。それはけっきょく誰かの奴隷に成ることになっていきませんか? 労働力とならない生命を否定する人は、自分の労働力をフル稼働させなきゃならなくなる。その先には過労死を容認する社会が待ちうけます。人に迷惑をかける生命を否定することは、お互いに迷惑をかけ合って生きていくことの豊かさを捨てることであり、いざというときに「助けて」とすがる道を自ら閉ざすことでしょう。このような状態を、人間が侮蔑され抑圧された状態だと云うのではないですか? 全体がひとつの目的に向かっていて個人はそれに従属するという傾向が強まってくるなかで、「役立たない者には価値がない」「価値がない者は切り捨てろ」という風潮が拡がっています。「役立つ」の中味がちゃんと吟味されないままに…。 その流れの中でやまゆり園の障碍者たちは「値打ちのない生命」と勝手に決め付けられ殺戮されたのだとも言えます。今回そうやって排除の対象となったのは障碍者でしたが、その対象となり得るのはセクシャル・マイノリティであったり、非正規労働者であったり、高齢者であったり、在日外国人や難民や女であったりするわけです。貧困の苦しさを表明した女子高生がバッシングを受けるようなこの社会のありようもまた、底のところで繋がっているのです。 7月26日を忘れず、勝手な理屈で人の生命を奪う行為を決して許さず、奪われてしまった生命のことを消されてしまった世界の豊かさとして捉え心底もったいないと想うこと。 それを、上述のような人間への侮蔑と抑圧の社会を是正し、共に生きる社会を守っていく出発点としましょう。考え続け、語り合っていきましょう。 補足。 植松聖は虐殺を実行する4ヶ月前に衆議院議長に犯行の趣旨と実行計画を記載した手紙を届けています。要するにこれは、政府に対してこの虐殺の許可を求めていたものだと考えられます。にもかかわらず「政府は障碍者の殺傷を許さない。植松聖の考え方は間違っている」との声明を出すこともなく、中立的な立場を維持している姿勢は、国際的に見ても異様でしかありません。安倍政権のこの態度をわれわれは心底恥じ入ります。この事件に対して、現代世界の常識に照らして正常な姿勢、つまりヘイトクライムは絶対に許さないという表明をおこなうことを、安倍政権に対し要求したい。 呼びかけ人 相模原施設障碍者大虐殺追悼アクション 有志 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ●映像の注釈として、このアクションを企画した有志の言葉を添付します。・・・ 映像を提供してくださった方は、ついつい障碍者のアピールばかりにカメラを向けてしまったとのことですが、このアクションは、障碍者と未障碍者(たまたま未だ障碍を持っていない、通称・健常者)とが一緒に企画し準備してきたアクションで、未障碍者からも渾身のアピールが沢山なされたことを付記しておきます。このアクションの趣旨は、この許すべからざる事件が、障碍者にとってのみの攻撃ではなく、人間みんなに対する攻撃であり、人間の尊厳じたいを引き落とすものだという認識に基づき、すべての人間が受け止め、考えていかねばならない、という点にもあったことを強調しておきたいです。 Created by staff01. Last modified on 2016-09-16 18:58:09 Copyright: Default |