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追悼・佐久間忠夫さん〜労働者として人らしく生き抜く

     佐藤和之(佼成学園教職員組合)

 2016年7月10日、元国労東京闘争団の佐久間忠夫さんが逝去されました。85歳でした。私がはじめて佐久間さんとお会いしたのは2003年3月、ビデオ『人らしく生きよう−国労冬物語』の職場上映会で、講演して頂いたときだと思います。このことは、佐久間さんの著書『人らしく生きよう─国鉄運転士の戦後60年』(耕文社)にも出てきます。そして、最後にお話したのは2014年12月、前立腺癌で入院した佐久間さんをお見舞いしたときでした。ですから、必ずしも長年のお付き合いとは言えませんが、佐久間さんから学んだことは数多くあります。以下、その中から、主なものを整理してみたいと思います。

 第1に、運動は一人ひとりが主体的に活動することが肝心だという点です。自分の頭で考え判断し、主体的に行動すべきであって、マルクスやレーニンの言葉を絶対化したり、組織執行部の指令に盲従するのはナンセンスだということです。また、佐久間さんは、「俺は上に報告はするが、許可を求めたことはない」と言っていました。どういうことかというと、現場の当事者の闘いが重要であって、執行部や組織は基本的にそれを尊重し支援すべきという考えです。もし現場と執行部方針が鋭く対立した時は、その都度、話し合いで解決すればよいのです。多数派の執行部に盲従するのが「統一と団結」であり、それ以外の運動を「逸脱だ」として切り捨てるのは、正しい態度だと思えません。

 第2に、共に生きようとする平等思想です。それは例えば、電車の運転士にも駅の切符切りにも、正規労働者にも非正規労働者にも、日本人労働者にも外国人労働者にも、労働者としての権利は平等にあります。また、立場や考え方や闘いの経緯が違っても、人らしく生きる権利は平等にあります。逆に言えば、自分たちだけが救済され利益を得ようとする、不平等な運動や考えを嫌ったのが佐久間さんでした。それは、国労や地域の運動を軸にしながらも、フランスから山谷まで連帯を求めて足を運んだ実践に示されています。また、2010年「政治解決」後も佐久間さんは、「これを解決しないと死んでも死にきれない」と言って「横浜人活訴訟を最後まで支援し、さらに「放っておく訳にはいかねえよ」と言って中野勇人さんの国会アピール・ランを支援していました。

 第3に、地道に粘り強く運動を積み上げる長期戦の視点です。1945年に14歳で国鉄に入社して以来、組合の闘士だった佐久間さんは、戦後国鉄労働運動史の「生き証人」でもありました。私が印象深かったのは、1970年代の「マル生粉砕闘争」をめぐる話です。「『勝った、勝った』と油断している隙に、敵は次の攻撃を準備してるぞ、と俺は警告したんだ」と語っていました。闘いは一進一退の攻防を繰り返すもので、目先の勝利だけに囚われてはならない、ということでしょう。また、若者ワーキングプアが増えた現状は、旧来の運動の弱さに責任があると考えていたようです。それゆえ、「阿久津は俺の孫みたいなもんだ」と言いつつ支援していた、キャノン非正規労働者組合の闘争勝利解決には、誰よりも喜んでいました。

 以上、私も故人の遺志を、少しでも受け継ぎたく思います。私たちは、戦後労働運動・社会運動の優れた活動家を、また一人失いました。佐久間忠夫さんのご冥福を、心からお祈り致します。
(吉備塾『大道』8月号掲載)


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