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日本で最も美しい村を追われた人々〜映画『飯舘村の母ちゃんたち』を観て
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日本で最も美しい村を追われた人々〜映画『飯舘村の母ちゃんたち』を観て

     堀切さとみ(『原発の町を追われて』制作者)


 *古居監督(左)と主人公の 菅野榮子さん(上映後のトーク)

 ドキュメンタリー映画『飯舘村の母ちゃんたち〜土とともに』を観た。監督は古居みずえさん。長年、パレスチナの女性や子どもたちを撮り続けた彼女が描く「ふくしま」を、ずっと観てみたいと思っていた。

 2010年に日本で最も美しい村に指定された飯舘村。「までい」(手間暇惜しまず、心をこめる)という精神が大切にされ、厳しい環境の中でも自然と共生し、原発に依存することなく自立した村おこしをしていた。女性の自立を促し海外に視察に行かせるなど、封建的な村社会とはチョット違うんだよね・・という話を耳にしたこともある。そんな村が2011年4月22日、全村避難を余儀なくされる。5年に及ぶ避難生活。憤りや悲しさ、喪失感はどれほどのものか。

 古居さんが最初に飯舘村を訪れたのは2011年5月。紆余曲折を経て、福島県内の仮設住宅で独り暮らす菅野榮子さん(79)と出会う。豪快さと繊細さを併せ持つ彼女は、土とともに生きてきた農民だ。仮設のお隣に暮らす親友・菅野芳子さん(78)と喜怒哀楽をともにする日々。畑をやり、料理をつくり、漫才をやり、お互いの心配をしながら、突然変わってしまった世界をどう生きていくのか模索する。

 大きな事件があるわけではない。一時帰宅するたび、庭の木や花に「ごめんね」と詫びる。亡き両親や夫の写真に話しかける。そんな何気ない榮子さんの優しい声としぐさに魅了された。「この山並みを仰いで一生を終えていきたいと思ってた」と彼女が言うとき、ああ、私もそういう言葉を双葉町の人から沢山聞いてきたなと思う。同時に、故郷を思う人々の心情は、国や県の一方的な政策に利 用されることもある。

 菅野典雄・飯舘村長は、2013年5月の町政懇談会で「1ミリ㏜以下という基準を守っていたら、村には何十年も帰れない。5ミリ以下になれば帰れることにした」と発言。しかし、それは拍手喝さいで受け入れられたのではない。榮子さんは言う。「村長はこっち(村民)の立場でモノをいうべきだ」と。


 *郷土食「凍みもち」を劇場前でふるまう

 帰還を急ぐ村長に対し、榮子さんはあくまでも「までい」を実践する。飯舘の自然や風土が育んできた郷土料理を絶やさないために、事故前のまだ汚染されて いない種味噌を仕込みに用いることで、もとの味を全国で引き継がせようとする 『味噌の里親プロジェクト』。また『凍みもち』という郷土食は、飯館と気候が似ている地域を探しだし、長野県の小海村で引き継いでもらっている。「里親に出す」とは見事な発想だと思う。榮子さんは飯舘村と違う場所にいても、村そのものを体現しているのだ。

 上映後のトークで榮子さんは、「映画に出ようと思って、土とともに生きてきたわけではないのよ」と言って会場を沸かせた。古居さんから「映画を撮らせてほしい」と言われた時、「こんなただの年寄りが映画になるのか」と驚いたという。子どもや孫、ひ孫のため、そして何百年か後になって飯舘村に帰って来られるようにと、記録を残すことに合意する。映画になったことを喜ぶ一方で、どれだけ首都圏の人たちに伝わるのかなという思いもあるという。

 「人の生き方はそれぞれ。生きたいように生きるのがいい。でも、人が幸せに生きるためには共通点を持たないといけない。3・11後にそう考えるようになった」。こんな素敵な母ちゃんに、ぜひ会いに行ってほしいと思う。

*東京『ポレポレ東中野』で上映中。映画公式サイト


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