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『芝寛 ある時代の上海・東京』は謎解きの物語 | ||||||
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『芝寛 ある時代の上海・東京』は謎解きの物語佐々木有美志真斗美恵著『芝寛 ある時代の上海・東京』(績文堂出版)は、謎解きの物語である。著者は、戦前・戦後を通じて労働運動や共産党の活動に献身した(共産党からは後に除名)芝寛から、遺言ともいえる遺稿を託される。それは、戦前の豊多摩刑務所で出会った伊藤律についての記録だった。 伊藤律は、共産主義者で、尾崎・ゾルゲ事件発覚の発端となった 情報を特高に与えたといわれ、権力のスパイというのが通説となっ ていた。戦後長い間消息不明だったが1980年、突如中国から帰国。 当時日本では、スパイ説否定の論調が広がった。芝は、この論調に 危機感を覚え、豊多摩刑務所で出会った伊藤の言動を克明に記し、 著者に託した。そして自分の生きている間には公表せず、死後どう するかは志真に任せると言い置いた。 2010年に芝が亡くなる。芝はなぜ志真に遺稿を託したのか。志真 は芝が青春時代を過ごした東亜同文書院のある上海を訪ねるとともに、戦前の芝の反戦活動を文献を通して丹念に調べあげていく。それは4年にわたる歳月を要する仕事だった。思想を確立した上海時代。その上海時代を基礎に、芝は共産党壊滅後の日本で、仲間たちと果敢な反戦活動を行っていた。そして志真がたどりついた結論は…。謎解きの答えを出すのは、ルール違反かもしれないが、やはりこのことにふれずにはいられない。 「尾崎・ゾルゲ事件が引き起こされ、東亜同文書院の先輩たちが とらえられ、…次つぎと獄死していく。かれらはなぜ非業の死をと げなかればならなかったのか…」「ところが、伊藤律が帰国すると、かれが『スパイであったか、なかったか』の議論がまきおこるのと反対に、尾崎、ゾルゲたちの反戦活動の歴史的意味はすっかり後景にしりぞいてしまった。芝はいたたまれない気持ちだったにちがいない。このような主客転倒の事態を芝が許容するはずはなかった。芝は遺稿の冒頭に『わたしのはらわたは怒りに煮えくり返った』と記している。それが『遺稿』を書き、託す真意だったと思う」と志真は結論づけた。 芝が学んだ上海の東亜同文書院では、魯迅の講演会も行われてい た。魯迅は、国民党による左翼作家の弾圧・虐殺を非難した。その 時の様子を、学生の一人は次のように書いている。「…ことに魯迅 の愛する五人の若い同志たちが、生き埋めにされたことにふれた時 の魯迅のまなざし、きらりと光った涙、そして力強く書かれた『活 埋』(生き埋め)の文字の鮮烈な印象は、今も忘れることができな い」 芝の先輩たちへの思いは、この魯迅の思いと同じだったのではな いか。 Created by staff01. Last modified on 2015-06-22 13:58:50 Copyright: Default |