ことばを取り返さなければいけない〜アーサー・ビナード講演を聞いて | |||||||
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六日午前八時ぞ蝉よ鳴きやむな 詩人アーサー・ビナードさんとの出会いはこの俳句だった。2010年、NHKの俳句王国という番組に出演していたビナードさんが広島の原爆投下を詠んだ句だ。句の切実なひびきに心を打たれると同時にアメリカ人のビナードさんが、このような句を作ったことに驚いた。 その後わたしは、第五福竜丸事件を描いたベン・シャーンの絵に文を添えた絵本『ここが家だ』(2006年)を読むに及び、彼の真価を実感することになる。そこには、弱い者たちへの限りない共感と、じりじりと生命を犯してゆく放射能の恐怖が語られていた。 そのビナードさんの講演を8月22日「たんぽぽ舎」で聞いた。テーマは、アメリカがなぜ原爆投下をしたのか、その隠された意図についてだった。プルトニウムを開発したアメリカは、長崎へのプルトニウム型原爆投下でその後の世界支配をもくろんだ。原爆投下は、戦争終結のためではなかった。 こうした話のなかで、特に印象深かったのは、ピカドンについて語られたことだった。当時広島で原爆を体験した人々は、原爆をピカドンと呼んだ。原爆の光と爆音をこう表現したのだ。ビナードさんは、使うことばでその人の立ち位置が決まると言った。体験者かどうかは関係なく、ピカドンを使うことは、その現場に立たされること、落とされた側に立つ覚悟が問われるのだと。 わたしは、ことばの喚起するイメージということを考えた。原子爆弾や核兵器ということばとピカドンの喚起するイメージは、まるで違う。一瞬の閃光と爆風に命をさらされた人々、その恐怖を思いつづけるためには、ピカドンを使いつづけなければならない。一方、原子爆弾や核兵器ということばは、エノラゲイに乗って落とした側のことば。きのこ雲は見えるが、その下で苦しむ犠牲者は見えない。ことばには、支配する側のことばと、民衆の側のことばがある。 ビナードさんは、最後に「ことばを取り返さなければいけない。自分たちの生活の道具(ことば)をとりかえし、相手につきつける。ことばの闘いが必要だ。日本語にはまだまだその力がある」としめくくった。大切なことに気づかせてくれた講演だった。(佐々木有美) *写真=8月22日講演会。著書サインに応じるビナードさん。 Created by staff01. Last modified on 2013-08-24 09:18:56 Copyright: Default |