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●エマヌエーレ・クリアレーゼ監督『海と大陸』
グローバル化した世界の歪みに翻弄される人々

 いま世界はどうなっているか――イタリアン・ネオレアリスモの伝統をひくエマヌエーレ・クリアレーゼ監督『海と大陸』は、それを象徴的な二つのシーンで表している。

 一つは、暗い夜の海に浮かぶ小型船の明かりめがけて殺到して泳いでくる黒人たち―彼らの無数の手が船べりにしがみつくシーン。もう一つは、太陽が降りそそぐ船上で踊っている水着姿の白人たちが一斉に海にとびこむシーン。前者は一縷の希望にすがってアフリカから渡ってきた漂着難民、後者は涼を求めて本土からやってきた観光客だ。この隔絶した二つの場面が小さな島で繰り広げられるが、そこは漁師の生活する島でもある。

 舞台は、イタリア南部。シチリアと北アフリカのリビアとの中間にある「地球儀にのっていない」リノーサ島であるが、夏の季節には北部からバカンス客が押しよせてくる観光地でもある。

 主人公の20歳になるフィリッポは、海で亡くなった父の跡を継いで漁師になろうと祖父と漁船にのっている。が、魚は昔のように獲れない。若い母は、廃船にしてその助成金で本土での生活を望んでいる。彼はどうしていいかわからない。その上、祖父が漂着難民を“海の掟”に従って救助すると、「不法入国幇助」で警察に船まで差し押さえられる。どうしたらいい――。

 戦後のイタリア映画で、漁師の生活を描いたものにルキノ・ヴィスコンティの『揺れる大地』やジッロ・ポンテコルヴォの『青い大きな海』(主人公の漁師をイブ・モンタンが演じていた)があった。そこから工業化による豊かな北部と貧しい南部のいびつな歴史背景もうかがい知れたが、この映画にはそれだけでなく、グローバル化した世界の変化に翻弄される人々の現実――それを、必死に生きる子ども連れの臨月の女性難民を通して描いている。

 臨月の難民を演じた女性は実際に難民ボートにのっていた。しかも、80人中生き残ったのは3人で、そのうちの1人というから驚く。世界の歪みは大きい。

(木下昌明/『サンデー毎日』 2013年4月21日号)

*東京・岩波ホール、他にて公開中。

〔付 記〕ラスト、追いつめられたフィリッポの行動にあぜんとするが、考えてみれば出口なしの現実を突破するには、やはり思いきった行動が必要なのかも……。


Created by staff01. Last modified on 2013-04-15 15:38:25 Copyright: Default

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