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 歴史に能動的に関わるとは どのような事か                           

2010.12.5 寺島栄宏

 きな臭くなってきた昨今、改めて歴史に働きかけ前に進めるとは、どんなことなのか、改めて幕末からの歴史を振り返って考えるのも、無駄ではありません。

 

 徳川幕府の長い鎖国の間に、日本から遠い世界は、急速に変わろうとしていた。

 アジアでもインドを植民地にし北上していた大英帝国が、更にアヘン戦争で清国を敗北させたという事実は、衝撃をもって日本の一部知識人たちにも伝わっていた頃。

 現実に、太平洋側から鎖国の日本にアメリカの黒船が現れ、単に通商なのか植民地化の危険はないのかを含み、初めて見る黒船と外国人に大騒ぎとなった。

 幕末に、憂慮する人々の対応は、分かれた。

 何れの意見も、幕府の対応に不満であり、各々が正しいと思う方向へ幕府を動かそうと動き出す。心ある武士に働きかけ、多くの人々の目指す合力の方向へと、歴史の現実を変えていった。

 尊皇か、攘夷か。

 開国か、鎖国か。

 各藩の下級武士が中心となって藩や大名を動かし、結果として倒幕と明治政府の成立となった。黒船が現れて15年である。

 

 ところが、

 明治の世になって、新政府が朝鮮の李王朝に送った挨拶の国書の表現でこじれる。

 天皇を頂点とした政権は、ケシカラン・朝鮮撃つべしの意見が強まり、新聞でも報道され征韓の世論が広がっていく。

 江華島事件。

 こうして、日本の軍艦が朝鮮の江華島要塞を攻撃し、大陸侵攻の第一歩を印します。

 いわば、日本は、黒船来航から22年、列強による植民地化の危機から脱するや否や、今度は他国の植民地化に向かって加速していく。

 多くの人々は、日本軍の戦勝の報道のたびに熱狂し、作戦行動をプッシュしました。

 現代の今、発端を冷静に振り返れば、神聖な天皇政権にとっての朝鮮ケシカランと言う情動イデオロギーが火をつけ拡大させて、江華島事件は生まれるべくして軍事衝突となった。当然、政府は前進する方向で処理する。

 それは、現代ユーゴスラビアの民族対立の戦争に似ている、差別感を煽るという点で発端は共通している。

 このような世論の中で大陸侵攻策に強く反対した一人が、幕末期に寡黙だった勝海舟でした。

 では、勝海舟は幕末にどんな態度を、歴史に能動的な態度を取っていたのでしょうか?

 

 勝海舟は、江戸幕府の下級の幕臣でしたが、国論が二分し幕府をも巻き込んだ「開国か鎖国かの論争に、決して加わろうとしなかった。」言わんや、騒ぐことは好みませんでした。

 言うなれば、意見を表明して賛同を募り、歴史を動かすであろう人々を増やす能動的な働きかけにも、幕臣である勝海舟は禁欲的でした。

 しかし、勝海舟は傍観していたのではなく、熟慮していました。

 迫り来る状況に、押され流されて右往左往するのではなく、危機の状況に主体的に向き合う必要を、確かに感じていました。

 「事の本質は、欧米列強に強制されていくのではなく、主体的に選択しうる軍事力と力量を、幕府が持てるかどうかである」と考えました。

 勝海舟は、ただ黙々と「軍艦奉行の任務をこなした。そして、日本海軍建設という課題を前面に押し出し、“強力な海軍なしに、英国に攘夷などできるのか”と説き、土佐の坂本龍馬や岡田以蔵ら多くの志士の心をとらえた。」自ら歴史が必要とするところを

実践し実を上げること、それが人々の心を結び合わせた。

 心を寄せた人に幕末に会う坂本龍馬や、明治で出会う中江兆民がいた。

 坂本龍馬は、平和の世で自ら行う交易事業の発展を夢見ました。

 勝海舟は「海軍を創設するからには、旧来の幕府のやり方を根本から変える必要があると感じていた。それは、諸藩と協力し、浪士や百姓、町人からも広く人材を登用するというものだ。」

 勝海舟は、寡黙ではあったが、欧米社会のあり方を積極的に学んでいた。

 幕府の長州征伐についても、「欧米列強に対抗するためには、国内を分裂すべきではない」と、歴史の大局的な観点を重んじ、徳川の幕臣でありながら恐れずに反対した。

 “幕府や諸藩の存続はさしたることでない。大事なことは日本の興廃である。”

 そして、大政奉還。

 勝海舟の考えによる江戸城の無血開城。

 明治の世も数年たって……。

 

 一等国になる夢を描いていたマスコミの先導者(扇動者)福沢諭吉は、戦勝のために論陣を張っている。

 政府内では、勝海舟という海軍を創設した人物が、大陸侵攻策に公然と反対した。

 勝海舟と会った中江兆民は、その識見に打たれ共鳴する。

 だが、福澤諭吉は終生勝海舟を批判し続けた。

 勝海舟にとって、創設した海軍とは、日本の植民地化を防ぐ列強からの自衛の道具であって、他国の侵略の為に使う戦力ではなかった。

 信念をもって、勝海舟は明治政府の役職を辞任する。

 報じられる日本軍の戦勝に、危機の度ごとに国民の多くは熱狂するようになり、同時に中国や朝鮮を卑下する福沢諭吉の新聞を含め、各新聞社はドンドン部数を伸ばし、影響を拡大していった。

 勝海舟は、日清戦争に始終反対し続けた。なにより、日本の連合艦隊司令官や、清国の北洋艦隊司令官は、勝海舟の親しい知古だった。

 勝海舟にとって清国とは、卑下したり争う相手ではなく、むしろ共闘して欧米に対抗すべきだとの考えを主張した。

 福沢諭吉が脱亜入欧して一等国になるのだと戦功を煽ったのとは逆に、勝海舟は戦勝気運に盛り上がる人々に対し、安直な欧米の植民地政策に追従する愚かさを説いた。

 福沢諭吉は、当時の文明社会の未開・野蛮・文明という西洋中心主義の歴史観に潜んでいる、西洋以外の人々を見下す差別の見方を、無批判に受け入れている自分の思想上の弱点を分からなかった。だから晩年、福翁自伝で一生を振り返ったとき、大陸での戦勝で夢が実現したと喜ぶのである。

 

 軍需物資・銅鉱山の増産で、足尾の山と渡良瀬川下流域で広範な鉱毒被害が起こり、軍靴が響き村々から男手が奪われ戦場へ出征していく。

 そんな頃、人命と農作物を奪われた農民たちの救援を組織していた田中正造が訪れて、勝海舟に会っている。

 明治政府が気にくわぬと見てとって、田中正造に“何になりたい”と声をかけ、新政府の“総理大臣か”と、つぶやく勝海舟。

 人々の熱狂と隣国への侵攻と植民地化。

 西欧の圧力に対して“アジアは共に生きる”と考えていた勝海舟の考えとは逆に、日本は隣国で殺戮作戦を行っていた。

 勝海舟にとって、明治政府が日本とアジアの民衆の不幸を招くことに、強い無念の思いが、胸中をよぎったに違いない。

 その思いの声を聞いてみよう。

“出所進退は自分が決める。評価は他人が勝手にすればいい”

“鉱毒はドウダイ。山を掘ることは旧幕時代からやって居たが、手の先でチョイチョイ掘って居れば毒は流れやしまい。…今日は文明だそうだ。元が間違っているんだ。”

“文明、文明、というが、お前ら自分の子供に西欧の学問をやらせて、それでそいつらが、親の言うことを聞くかぇ?ほら、聞かないだろう。”

 今の政府は“上に行くほど馬鹿だ。” (以上、明治の勝海舟の言葉)

〈 真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし〉

〈 天の監督を仰がざれば、凡人堕落。国民、監督を怠れば、治者は盗みを為す〉

〈 陸海軍備全廃すべし〉(以上、明治の田中正造の言葉)

 

 勝海舟や田中正造の生きた時代。

 それは平和を求める市民社会や、闘う組織された労働者が、日本社会に生まれようとする前の時期だった。

 

 そして、百数十年後の今。

 「在日」の人権を含め、戦前の植民地の傷跡が未だ癒されずに戦後補償問題が放置されたままで、今また、新たな軍事的な対立方向へと向かうのか。

 憲法九条のもと民主主義社会である事を無視するかのように、自衛隊戦力を中国シフトに配備させ対立を煽ろうとする。

 これは、危機を生み対立を拡大して国益支持の世論を獲得する方法になり得る。

 対立と戦争の不安をあおり持続させる戦略が実現すれば、民主主義の名で何でも法制化が可能になる。

 主権者が行動しなければ……。

 

注、文中の“”印内は勝海舟及びの言葉。

     「」印内は東京大学名誉教授・宮下正人の言葉

年表

 1840年 アヘン戦争 

 1853年 黒船来航  

 1868年 明治政府成立

 1871年〜岩倉使節団19ヶ月の欧米12カ国視察

 1875年 朝鮮・江華島要塞攻撃事件

 1876年 日朝修好条規。開港以後、日本人が多く朝鮮に来る。

 1883年〜朝鮮各地で農民の蜂起(民乱)。

 18846月 日本、朝鮮に出兵。

      8月 日清両国宣戦布告

        10月 朝鮮の東学農民軍、日本軍の虐殺。および政府軍と戦う。

 18854月 日清講和条約

 1889年 帝国憲法発布・大日本帝国

 1894年 民乱が甲午農民戦争に発展。日本軍の虐殺。

 1895年 朝鮮・王妃殺害

 1897年 労働組合期成会結成

 1901年 社会民主党結成、即解散。

 1903年 週刊平民新聞創刊

 19042月 日露戦争勃発

 


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