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投稿 : YS

インドネシアの元日本軍「慰安婦」被害者の貴重な証言をぜひお聞きください。

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一日も早く「慰安婦」問題の解決をのぞむ市民と議員の集い
インドネシアの「慰安婦」被害者 スハルティさんの証言
日時:2009年11月30日(月)11:00〜12:30
    (★時間変更しましたので、ご注意ください)
場所:衆議院第2議員会館 第4会議室

内容:スハルティさんの証言

インドネシアの「慰安婦」被害者をめぐる状況
(報告:エカ・ヒンドゥラティ)
インドネシアから9年ぶりに「慰安婦」被害者が来日します。私たちは、この機に今年最後の「一日も早く「慰安婦」問題の解決をのぞむ市民と議員の集い」をスハルティさんの証言を聞く集いにしました。

諸外国でも、公・非公式の公聴会が議員たちの心を動かして「慰安婦」決議が採択されてきたといいます。この証言集会をきっかけに、ぜひ、2010年の通常国会には、慰安婦」問題解決の一歩を踏み出して頂きたいと願っています。

インドネシアは3年以上にわたる日本の支配のもとで多くの慰安所が作られた地域 ですが、いまだに真相究明は十分とはいえず、被害を受けた女性たちは次々と亡くなっています。同行するジャーナリストのエカ・ヒンドゥラティさんからは、「慰安婦」問題に関する最新の調査結果やインドネシアの政府の新たな取り組みも報告していただきます。

●スハルティ(Suharti)

1944年、15歳のときに東ジャワ州からボルネオ(現・カリマンタン島)に連行さ れ、バリクパパンの慰安所に入れられる。6ヶ月間後、連合国の空襲が激しくなったために逃げ出し、50日以上歩いてバンジャルマシンに到着。しかし、そこで も再び慰安所に入れられ、日本の敗戦まで解放されるこ
とはなかった。スハルティさんが「慰安婦」被害を受けたバリクパパンは、中曽根康弘元総理大臣が慰安所を作った地域としても知られている。戦後も差別に苦しんで生きてきたスハルティさんは、正義と人権を取り戻すため、9年ぶりに来日する。

●エカ・ヒンドゥラティ(Eka Hindrati、ジャーナリスト・女性人権活動家)

1975年生まれ。ラジオ局で記者などをしながら1999年から「慰安婦」問題の調査 に取り組む。2002年、インドネシアの「慰安婦」被害者の1人、マルディエムさんを追った『モモエ―彼らは私をそう呼んだ』を共著で出版。フリー・ジャーナリストとして「慰安婦」問題を提起、数々の国際会議に出席する。現在はインドネシア全体における「慰安婦」調査の結果を出版するための準備を進めている。
                                            
 主催・連絡先: 戦時性暴力問題連絡協議会

 〒169-0055 新宿区西早稲田2-3-18-24 
    日本キリスト教協議会女性委員会気付
   Email: lippo.forCW@gmai

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