派遣村声明 : 私たちが求めていたのはこんな「対策」ではない | |||||||
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090406 派遣村声明
派遣村のために別の相談者を追い返しているのだとしたら、それは私たちの要求とはまったく無縁の、弊害しかない“対策”である 派遣村実行委員会 (村長 湯浅 誠) 私たち派遣村実行委員会は、4月8日(水)9日(木)に「春の派遣村アクション」として「面接・電話相談村」を開催する。 私たちは、年越し派遣村の経験に基づき、1月下旬から一貫して、全国に緊急避難的な宿泊所の開設と総合相談窓口の設置を求めてきた。特に年度末には、年末年始を上回る人たちが居所を追われる可能性があることから、早期の対応が本人の生活再建にも、また社会的対応のコスト面からもはるかに有益であることを訴え続けてきた。 しかし行政サイドは、文字通り「喉元過ぎれば・・・」という状態で、年明け以降、国と自治体の縦割り、省庁間の縦割りの壁の前に立ち止まり、具体的な対策を打たずにきた。結果として、さまざまな施策からこぼれた人たちが、市民団体・労働組合に押し寄せ続けている(路頭に迷っている人たちが、日々どのような扱いを受けているか。その一端を【資料1】として添付する)。 追加経済対策合計何十兆円という傍らで、数十億円規模の対策さえあればつないでいける命が放り出され、無視し続けられているのがこの国の現実である。これで「自殺防止」などとは笑止千万である。 年度末危機にほとんど対応できない国・自治体の無能力が露呈したとき、私たちは「春の派遣村アクション」の開催を決め、厚労省および東京都に通告した。すると今度は、8日9日の生活保護の集団申請に向けて、東京都が現時点での新規相談者の施設入所をストップさせて施設を空けているらしい、という情報が飛び込んできた。 これまでの3ヶ月、何の有効な対策もとらず、私たちのような民間団体が小さなアクションを起こそうとすると、それにさえ対応できずに、今度はそのためにより弱い諸個人に皺寄せする・・・もし、そんな情けないことが事実だとしたら、私たちはなんと不幸な国に生まれたことか、と悲しくなる。 社員寮は都内でもがらがらで、現に「即入居可」の状態で賃貸に出されている物件がいくつもある。所有者は、借り手がつかずに困り果てている。他方には、住居なく路頭に迷い、就職活動さえできない人たちがいる。ここまで明確な需要・供給のマッチングさえできずに、雇用のミスマッチを語るなどとは片腹痛い。 私たちが望むのは、等しく困窮している人たちを押しのけて、派遣村だけに彌縫的・場当たり的に対応することなどではない。経済対策全体の0.1%でいいから、文字通り捨てられて、潰されていく人々に目を向け、人間を生かそう、社会の活力を維持しようという姿勢を国・自治体が持つことである。 もしそのような情けない対応で急場しのぎだけを考えているのならば、そのような姑息な手段でより一層人々を路頭に迷わせるようなことは即刻止め、借り手がいなくて困り果てている社員寮の大家たちに一声かけるべきである。今からでも遅くない。善処を期待する。 以上 【資料1】 Aさんの事例 沖縄県出身。母親と二人の母子家庭。16歳の時に母親と上京、千代田区に住む。母親は現在、都内で住込みの仕事をしている。新聞配達をしながら高校に通っていたが、両立が困難となり、17歳の時に高校中退。以後、18年間ずっと新聞配達の仕事をしてきた。 読売新聞の販売店を千代田区(16年間)と千葉で5〜6店舗移ってきた。ずっと寮住まいで、今まで一度もアパートで一人暮らしをした事がない。異動の理由は常に人間関係。配達・集金・営業の仕事をしてきたが、不着が一度もなく、働き始めた当初から仕事が出来すぎた事がやっかみを生み、居づらくなって店舗を移った。最後にいた千葉の販売店では、月給20万前後。この時も人間関係が悪化し、2008年10月下旬に仕事を辞めた。その時点で10万円弱の貯蓄あり。カプセルホテル・サウナ・ネットカフェに泊まりながら求職活動をしていた(ハローワーク、携帯、雑誌)。しかし所持金が尽き、11月12日に千代田区で相談、千代田寮に入る(この時点まで、自立支援事業の事も知らなかったし、相談時に生活保護の説明を受けることもなかった)。 12月25日、中央寮に移り求職活動を再開した。本年1月にはフォークリフトの免許を取得。始めの一ヶ月は通いの仕事を探したが見つからず、寮職員の就労指導が厳しかったため、後半の一ヶ月は住み込みの仕事だけを探した。結果、本人は行きたくないながらも、センター滞在期間中に唯一見つかった住み込みの仕事に入るしかなく、2月24日、中央寮を自主退寮した。 仕事は、本社を台東区洗足に置く(株)Bの建築作業。現場・会社寮は神奈川県横浜市。同会社は、飯田橋ハローワーク担当者からも「Bだけはやめた方がいい。賃金未払いの苦情が何件か来ている」と忠告されたところ。仕事は8:00〜17:00、日払いで8000円。面接の事務所に日本刀が置いてあったりと、職場の「やくざ的な雰囲気」に不安になったこと、元々希望しない職種だったことが重なり、2月27日に無断退寮した。24日からの給料四日分は支払われており、中央寮退寮時に所持していた金額と合わせて、その時点で四万円手元にあった。 その後いったん東京に戻り、サウナ等に泊まりながら、千代田区のハローワークにて仕事を探した。しかし見つからなかったため、横浜へ行ってみようと考え、3月6日に移動。ネットカフェに泊まって求職したが所持金が尽き、3月9日、横浜市役所に相談した。 9日の朝、大船駅から横浜市役所の生活福祉課に電話。「仕事・住まい・所持金すべて無いので、保護して下さい」と相談したところ、「大船からだったら、戸塚区に電話して」と言われた。戸塚区に電話して同じ相談をすると「大船は鎌倉市になるので、鎌倉に行って」との返答。そこで鎌倉市役所に電話し、生活福祉課の相談員(?)の田中・山田両氏から「藤沢のハローワークに行きなさい。住居がないと言えば、ハローワークで用意してくれる」との説明を受けた。 所持金をほとんど使い切って(残金40円)、電車で藤沢市のハローワークへ向かう。「住宅がなくて困っている」と相談したところ、「派遣切りでないと入居できない」との返答。鎌倉市役所まで二時間かけて歩き、15時に到着。「緊急保護施設に入りたい」と生活福祉課で相談したところ、上記の山田さんから「施設が空いていないので、横浜とか大きいところだったら空いてるかもしれないので、横浜市に行って下さい」「大船の行政センターに行けば切符をもらえるので、センターに行って横浜まで行って下さい」と言われる。 鎌倉市役所から大船まで歩き、行政センターにて切符をもらって横浜駅に到着。既に役所が閉まった時間だったため、9日夜は横浜駅近くの公園や雑居ビルの非常階段で休みつつ、寒さをしのぐ為にほとんど夜中歩いていた。「とりあえず留置所に入れば寒さもしのげるし、食事も付いてくる」と、犯罪を犯すことも考えたが、思いとどまる。 3月10日、もやいに電話した。折り返し連絡するはずだったが、もやいから返答が無いまま、13時に中区役所の生活保護課にて相談、「保護して下さい」と求めた。受付カウンターで対応に出たのは、川尻相談員。 川尻:「以前居住していたところの役所に行って下さい」 A:「鎌倉市役所の人にここ(横浜)に行って下さいと言われた」 川尻:「では鎌倉市に責任があるので、鎌倉市役所に行って下さい」 このやり取りの最中に、再度もやいへ電話した。Aさん本人は「申請とか手続きとかどうでもいいんです。とにかく体を横にしたいんです」と切羽詰まった様子だったが、「保護を受けたい。でも受けさせてくれない」と繰り返していた。電話を代わってもらい、もやいスタッフから川尻氏へ、鎌倉市で保護を求めたが対応してもらえなかった事、Aさんが生活保護を求めている事を伝えたところ、「こちらでは鎌倉市のような対応はしませんから」との返事。川尻氏に申請書をAさんに渡すよう伝え、Aさんにも申請書を提出すること、そして今夜の宿泊場所・生活費を用意してもらうよう話した。 しかしその後も受付でのやり取りが続き、川尻氏は「今日お金を出すことは出来ない。鎌倉に行って下さい」の一点張り。中区役所をいったん離れ、横浜市役所本庁から厚生労働省の保護課に相談する(担当・小野さん)。川尻氏の名前と所属も出して、生活保護の申請を拒否された旨相談すると、「違法対応なので申請できます。指導の電話を入れておきます」とのこと。厚労省から中区役所へ直接指導することは出来ないそうで、小野さんから横浜市本庁に電話が入り、本庁から中区役所へ指導が行った。小野さんから携帯に「川尻さんに伝えましたので、宿泊費用と食事代を受け取って下さい」との連絡を受け、再び中区役所へ向かった。 中区役所では再度川尻相談員が対応。「申請をしたいんですけど」と求めたが、「帰って下さい。今日はお金を出せない。明後日なら施設があるかもしれません」「申請出来ません。Aさんの面倒を見るのは向こうに責任があるので、鎌倉に行って下さい」との返答だった。17時まで受付で粘ったが、最後には水とクッキーを渡されて「これで帰って下さい」と言われた。 10日夜も横浜駅近くの公園で休んだり、歩いたりして過ごした。もやいスタッフと再度電話がつながったのは20時過ぎ。自販機に残ったお釣りをかき集めて、翌日11日の水曜相談に辿り着いた。3月11日、大田区にて生活保護申請、受理される。大田区には今まで住んだ事はないが、今後フォークリフトの仕事を希望しており、その分野の仕事は大田・川崎・江東区に集中しているため、申請場所に選んだ。 Aさんは今回の神奈川(特に中区役所)での対応に対し、「一矢報いたい。謝罪してもらい。第二第三の被害者が出る前に、ちゃんと指導してもらいたい」と話している。 (09年3月13日、本人からの聞き取りによる) ○NPO法人自立生活サポートセンター・もやい www.moyai.net 03-3266-5744(火曜11〜21時、金曜11〜17時) ○反貧困ネットワーク www.k5.dion.ne.jp/~hinky/ Created by staff01. Last modified on 2009-04-07 11:03:08 Copyright: Default |