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非戦・非核の思いを伝えたい〜原爆ドームの初公開写真 | ||||||
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8月6日早朝、東京在住の大角純一さんから、広島原爆ドームを撮影した写真カード(上)が、レイバーネット編集部に寄せられました。1963年に内部から撮った貴重なものです。以下、大角さんの文章と併せて当時の写真(今回初公開)を紹介します。(編集部) ―――――――――――――――――――――― 非戦、非核の思いを伝えたい大角純一(文と写真) 毎年、この日が来ると、非戦、非核を心に刻み続けて参りました。然しながら、昨今の政府の「平和」への逆行に心を砕かれ、何かせねばと過去に撮影した写真を基にカードを作成し、知人達にメール、郵送を致しました。 ご存知のように、「原爆ドーム」は1996年に世界遺産に登録されております。 本映像は、1963年にヒロシマに行き撮影したものですが、前年(1962年)より崩落、落下の為周囲に金網が張られ、立ち入り禁止になりました。何とかドームの天井を見上げた映像を撮りたく、金網が一箇所だけ破けていた場所を見つけて、内部に入り撮影しました。 ほんの数分でしたので、ドームの天井の写真はたった2カット、あと数カットを撮っただけでした。 当時は、「原爆ドーム」は既に1953年に広島市に譲与され、市の管理下になっておりました。本来ならば、市に赴き撮影許可を得なければ為らないのですが、危険の為立ち入り禁止になった経緯からしても、恐らく許可は得られなかったと思われます。 上記の事柄が理由で、これまで未発表なまま今日に至りました。 その後、1966年7月、広島市議会はドームの保存を決議し、保存工事の為の募金運動を行い、1967年、第一回保存工事を行ないました。 そして20年後の1987年7月、長期保存の為の補修工事が決定、1989年、再び募金運動を行い、同年10月から、翌年3月に掛けて第2回保存工事が行なわれました。 その後、2002年10月から翌年3月にかけ第3回保存工事が行なわれております。 そうした保存工事の過程で、ドームの天井は、補強の為の鉄骨が張り巡らされ、現在は、当時撮影した画像は望めなくなりました。http://ww2panorama.org/panoramas/hiroshima-dome 62回目の、あの夏のあつい日を迎え、改めて犠牲者の方々の鎮魂と、非戦、非核を心に誓います。 なお、今回のカードをお送りした方の中に、 『写真、どうも有難うございます。原爆ドームは外観はよく写真で見ますが、中から上の方を見たものは初めてです。戦争体験の無い自分にも臨場感が伝わって頭の中で様々なものを想像します。』 と言う返事を頂きました。 戦後生まれの若い人に少しでも、非戦、非核の思いを伝える事が出来たと思っております。 ―――――――――――――――――――――― Created by staff01. Last modified on 2007-08-06 17:32:20 Copyright: Default |