iPod工場訴訟−中国の特色ある解決方法 | |||||||
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会員の稲垣です。
iPodを生産している中国の工場(台湾系企業)のひどい労働条件をスクープしたメディアを、その工場が訴えて3000万元(約4億円)の損害賠償を請求し、その後世論の圧力で賠償額を1元に引き下げたというニュースを以前お流ししましたが、結局いかにも中国的な結末を迎えたようです。「お互い悪かったね。今後は尊重しあいましょう」という共同声明を出して提訴を取り下げたということです。 ▼iPod工場訴訟:和解成立、ネット賛否両論 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060904-00000002-scn-cn そしてそれだけでなく、和解に当たって中国共産党の中央宣伝部がつよく関与していた、という読売新聞の報道がありました。 ▼台湾企業と中国紙和解、中台関係懸念の共産党が指示 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060909-00000501-yom-int これで約3ヶ月断続的に続いたiPodの超搾取工場を代表とした中国の劣悪な環境問題への追及は強制終了させられてしまいました。これが中国の特色ある社会主義市場経済でしょうか。工場で働く労働者達の境遇はほとんど変わらないでしょう。 中国の労働問題を追っている「中国工人ネット」に掲載された中国国内のインターネットに掲示された文書を訳出してみました。 いながき ---------------- 中国工人編集部 中国語版「インターナショナル」の歌詞には「救世主などというものはいない」というフレーズがあるが、今この歌詞がぴったりと当てはまる。労働者の権利にメディアの注目を集め、資本家に譲歩させようと思うのならば、労働者階級を組織し、隊列を固め、闘争を行うことによってはじめて可能になる。だから今回のドラマチックな結果はなんら驚くことではない。その意義を積極的に捉えようとするなら、幻想を打ち破り、自立しなければならないということを労働者階級に気がつかせたということである。 ■労働者の権利を裏切った「共同声明」 作者:舒愉 2006年9月5日 人々の予想通り、「第一財経日報」と富士康の和解は、思ったよりも早く、9月3日の夜遅くに双方が五点の共同声明を発表する結末となった(9月3日付第一財経日報ウェブサイト)。 この声明は、富士康が第一財経日報に対する告訴を取り下げるという内容以外に、互いに褒め称え、今後互いに尊重し合い、良好な意思疎通を行い、協力していくという内容を多分に含んだものとなった。読めば読むほど興味深いのは、声明の第五点である。「両者は今回の事件に対して双方が被った迷惑に対して謝罪する。両者は調和の取れた社会のために手を取り合って協力し、労働者の権利向上のために努力することに合意する。」 富士康鴻富錦精密工業(深セン)有限公司は10万の従業員を雇用する大企業にもかかわらず、これまで労働組合がなく、労働者の権利を守る枠組みさえもない。そんななかで富士康が労働者の権利向上のためにどのような「努力」をするというのだろうか。第一財経日報は、富士康の過酷な残業の実態をスクープしたが、たったそれだけだ。にもかかわらず富士康は怒り心頭に達し、法外な損害賠償を請求することを通して恫喝している。これが労働者の権利を向上させるために「努力」しているとでもいうのか。 声明では、今回の事件で両者が双方に対して「迷惑」をかけたと述べている。まるでどっちもどっちのような言い方である。だが本当にそうなのか。富士康が第一財経日報の二人の記者に対して行った経済的テロリズムは突然の衝撃であり、新聞社やメディア全体に対して突如困惑を与えたものであり、和解では第一財経日報社に対して謝罪することは極めて当然のことである。しかし理解できないことに、財経日報社も自らの報道が富士康に対して「迷惑」をかけたとしている。財経日報社はこれまでの声明の中で自らの報道に何ら誤ったところはないと述べてきた。確かに富士康に対して迷惑をかけただろう。しかしその迷惑とは、労働者の権利を守る中で発生したものであり、そもそも謝罪する必要などはないのだ。いま第一財経日報社は意外にもこの問題において公然と富士康に対して謝罪し、自らの報道が真実であっても不適切なものであり、誤った行動であったことを認めてしまっている。では君達第一経済日報社は、これまでもそして今後どのようにして労働者の権利を守り、そして向上させていこうというのか。諸君らの遺憾の意は、その神聖な職責を放棄することにはなりはし, ないか。 この5点にわたる共同声明の欺瞞性は想像に難くない。声明の第3点は言う。「両者は、メディアは企業の正当な権利を尊重し、企業はメディアの正当で合理的な社会監督職務を尊重しなければならないということに関して、共同の認識を持つ」。第一財経日報社の報道は富士康に「迷惑」をかけ、「企業の正当な権利」を尊重しなかった。ではメディアは富士康に対して褒め称えることしかできないのか。では一体どのようにして「正当で合理的な社会監督職務」を遂行することができるのか。声明の中で述べられている、今後の両者の「良好な意思疎通」「手を携えて協力する」などは、互いに「迷惑」をかけないことを前提としたものであり、このような意思疎通と協力が労働者の権利を守り向上させるために共同で努力を促すことができるだろうか。それには巨大な疑問符がつけられるだろう。もしこのような意思疎通と協力が、労働者の権利の犠牲という代償をもたらすのであれば、功を急いで出されたこの共同声明の欺瞞性はあきらかではないか。 提訴を取り下げ和解すること自体を非難することはできない。しかしそれは人々が最も関心を持ってきた富士康事件の焦点ではない。焦点は労働者の権利を守ることが必要かどうか、そしてどのように守るのかということである。もしメディアが労働者のひどい境遇をスクープすることで悪意ある提訴を覚悟し、資本のテロリズムを受けなければならないのであれば、メディアはそのような仕打ちには太刀打ちできないであろうし、あっという間に正義の最前線から退却しなければならないだろう。それは最も悲しむべきことである。共同声明のなかの「迷惑」と「謝罪」はさまざまな事を想像させ、労働者の権利に対する裏切りというある種の心理的重圧をもたらす。富士康では結局、労働者へのひどい待遇があったのか。もしすべてが声明の言う通りであれば、一体どのメディアが今後このような問題に関わろうとするだろうか。現地の党、政府、そして労働組合、行政機関よ、諸君らはいったいどこへ行ってしまったのか。 (華岳論壇より) Created by staff01 and Staff. Last modified on 2006-09-17 00:08:44 Copyright: Default |