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サウンドデモの不当弾圧を見る目、聞く耳
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安田(ゆ)です。ブログに書いた文章を転載します。

サウンドデモの不当弾圧を見る目、聞く耳

先日、むちゃくちゃな弾圧があったサウンド・デモの話なのだけれど、警察は、「円滑な交通」を口実にして「思想」や「表現」を取り締まる。
裁判官は、実際のデモのようすがどうだったのかを知らず、知ろうともせず、警察の言い分を鵜呑みにして、不当な逮捕を見逃し、犠牲者に無実の罪を着せる。
ぼくは日本の裁判官に、デモを見ていた市民の話を聞くことをお薦めしたい。

当日、ぼくはまったくデモに加わらず、終始一貫して歩道で取材をしていた。
異様な警備を見て、「今日、警察は何かやるつもりだな」と思い、その様子を目撃して、伝えたかったからだ。
しかし、ずっと歩道にいると、中から見ている景色とは違うものが見える。違う音が聞こえる。当日、ぼくが歩道から見たもの、聞いた音を紹介したい。

さて、なぜ、サウンド・デモが狙われるのか。サウンド・デモはうるさいから? 警察の指揮車からの放送の方がよっぽどうるさいし、客観的にも音量は大きかった。
ぼくは歩道で、私服が「宣伝カーがなければ静かなもんだな」と話しながら笑っているのを聞いた。警察は、道路交通法だとか何だとかという理由でサウンドカーを奪っていったけれど、私服の会話から推測できることは、おそらく事前の会議で「どんな口実でもいいから、何か因縁をつけてサウンドカーを奪おう」という「共同謀議」が行われたに違いない、ってことだ。そして、警察は共謀しただけでなく、それを実行に移した。

「円滑な交通を確保するためにやむを得ず部隊を使って整理する」って? その「部隊」とやらが無用な混乱を引き起こして、交通渋滞を引き起こしているのがわからないわけがない。「整理」というのは、車を通すためではなかったのかな? 手際の悪い「整理」とかのおかげで30分以上も交通がマヒした責任は、問われないのかな?
車を通すための「整理」ではなく、デモ隊の表現を弾圧するための「整理」だったことは、警察の行為が結果的に全然「整理」になっていなかったことを考えれば自明だ。

それにしても「諸君が動かないから後ろのドライバーのみなさんが迷惑している」という放送は、悪質だったなあ。これは「諸君」に語りかけているのではなく、前の状況がわからない「後ろのドライバーのみなさん」に対する「デモが悪いんだ」というデマ宣伝だ。そして状況を知らず、いらいらしているドライバーに、デモに対して悪印象を植え付けようとしていた、あるいは自分たちの不手際を隠蔽しようとしたのだ。
何しろ、その放送があったとき、デモ隊の「諸君」は動きたくても、前は警官の壁で動けなかったんだもの。卑劣というか、卑怯というのか。「こちらは原宿警察署長である」とか名乗っていたけど、原宿警察所長って、恥を知らないのだろうか。前の方で状況を見ていた人ならすぐにわかるような明白なウソの宣伝をする人なんだ。
本当にドライバーのみなさんの迷惑になっているのは、警察だった。

デモをするときには、申請が必要だ。これは、デモ隊が車道を安全に歩き、自分達の主張を人々に伝えることができるように、警官に交通整理をさせるためだ。
つまりデモの申請は、「デモをやらせてください」とお願いするためにやるのではなく、「デモをやるから、警察はしっかりわれわれの安全を確保しろ」と要求するためにやるんだ。こういう初歩的なことを、警察は忘れているんじゃないかと思う。いや、忘れている。あるいは、忘れたフリをしている。
警察の指揮車の放送で、「歩行中のみなさんは、デモに気をとられることなく…」というのがあった。これは思わず耳を疑うフレーズだった。
デモというのは、歩行中のみなさんの注意を引き、足を止めさせ、自分達の訴えたいことをアピールするために、いろんな工夫を凝らしてやるもの。
「気を取られずに」というのは、つまり「デモ隊の主張に耳を貸すな」と言っているのと同じ。こんな露骨な「表現の自由」に対する攻撃があるか? それも、公務員が「あいつらの言っていることに耳を貸すな」というのだから恐れ入る。憲法遵守義務違反で、即刻処分してもらわなければいけない。

しかし、同情の余地はある。つい口が滑ったのかもしれないのだ。
何しろ、そのときデモ隊は、警察の不当な弾圧について訴えていたのだから。そして、警察が露骨にちょっかいを出すのを通行人が怪訝な表情で見ていたのだから。
きっと、指揮車で放送をしていた警官は、あの通行人の表情をチラッと見てしまったに違いない。そして、通行人の視線に気がついて、「いや、だから、あの、われわれは交通整理をしているだけで…、デモ隊の言うことなんか聞かないで…」と言いたかったのだろう。内心の動揺が、つい口から出てしまったのではないだろうか。

つい口が滑ったのであれば、つまり、彼らは自分達の不当な弾圧に一抹の良心の呵責を感じていた…、言い替えれば弾圧の不当性を認識していたということになるのだろう。
そうじゃない? …としたら、憲法遵守義務違反だ。
どっちにしても、あのフレーズは、今回の弾圧が、いかに不当で非道なものだったのかを物語る。

ところで、警官隊がデモ隊にワラワラと襲いかかるのを見ていたとき、隣でその様子を見ていた若い女の子たちが、「えーっ、何これ! キモいよ、キモーい!」と叫びあっていた。
「キモい」という単語、本来は「気持ち悪い」という言葉。「キモい」という表現はいろいろ解釈できるのだけど、皮膚感覚的にネガティブな感情を表現するときにつかわれる。「見てはいけないもの」、「恐ろしいもの」、「あってはならないもの」、「汚いもの」…を見てしまったときに発せられる単語である。

何も抵抗していないデモ隊に襲いかかる一群の警官。威圧的な放送と、その放送の指揮で一糸乱れずにぐにゃぐにゃと形を変えながら動く一群の制服警官の群。まるでアメーバが小さな単細胞生物を取り囲んで捕食してしまうような。見るからに「キモい」光景だったと思う。
デモ隊がそれに対して反撃していれば、おそらく「キモい」という言葉は出てこなかっただろう。無抵抗で抗議を繰り返すデモ隊を取り囲み、暴力的に押さえつける警察の姿。
白昼堂々と行われる不当な弾圧を見ていた多くの人々の目に、どちらが正義で、どちらが悪なのかは明白だった。

警察官諸君、原宿の若い女の子たちに「キモい!」と言われる気分はどうだい?

Created by staff01 and Staff. Last modified on 2006-05-04 14:50:03 Copyright: Default

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