迫力あったコッタジの歌声 | |||||||
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今年のレイバーフェスタ。時間がなく、午後の部のみ参加いたしました。
コッタジの歌声、迫力ありましたね。力強く美しいハーモニー 。圧倒的な存在感。日本の労働運動や社会運動が失くした熱気がそこにはありました。(以前は、日本にも少しはあった気がします) 政治を熱く語る社会がまだ韓国にはあるのだと思うと、なんだが、まぶしく、うらやましい気がいたしました。 「集会文化」という概念も面白く聞きました。(日本でも、共産党や社会党系の労働組合で歌や演劇が行われていたと思いますが、今はどうなっているのでしょう?) コッタジの活動ビデオも良かった。国民性や国情の違いもあるのかもしれませんが、韓国ではあんなに大規模に労働者の集会が行われているなんて! それに比べると、今回の会場は彼等には小さかったでしょうに、力いっぱい歌ってくれたことに感謝すると同時に、満員とはいえない場に日本の労働運動の低迷も感じたのでした。(2万枚のビラまきというのには驚きました) もっと多くの人に聞かせたい歌声ですね。 ーーーーーーーーーーー以下、連想したことーーーーーー 私の前の席には韓国から来た人たちが肩を組み、腕を上げ、身体を大きく動かしながら、歌っていました。日本人はせいぜい小さくリズムをとり手拍子をするくらい。 それを見ながら、かつて沖縄に行ったときのことを思いだしました。島の人たちは、若者も老人も蛇皮線を弾き、民謡を唄い、口笛をふきつつ独特の手ぶりで踊って、私たち一行を歓迎してくれました。「内地」から行った私たちの返礼の歌はフォークソング。なんと存在感の薄かったことか。歯がゆい思いをしているとき、唯一、岩手から参加した若者が「南部馬追い唄」をろうろうと唄ってくれて、ようやく面目を保ったのでした。 そのとき感じたのは、土着を忘れ、日常の生活から歌や踊りを壊失した東京の文化でした。あったとしても、閉ざされたビルの1室で、ライトの下に身体をうねる、ひよわなディスコダンスしかもたない自分たちの影の薄さ、淋しさでした。 それは、韓国に旅行した際、野遊びの婦人たちのおおらかな踊りを見たときにも感じたことです。 喜びや哀しみや怒り、共感などを身体表現として表す手段を、私たちは、いつ失くしてしまったのだろう? それを、今回も感じました。 コッタジの歌声は人間の存在感をはっきり示していました。生命力を感じさせるエネルギーが、声を発し、身体を動かすことから立ち上ってきます。小さく、おとなしくまとまり、感情さへたたみこんでしまった日本の私たち。そういう感情表現、身体表現を、まず取り戻すことが必要なのかな、そこから「連帯」も「共感」も生まれるのかなあなどと、とりとめのないことを思いながら会場を出ました。久しぶりに忘れていた熱気にあたった思いで・・。 (コッタジや3分間ビデオに出会わせてくださったレイバーフェスタの皆様に感謝いたします。) K・M 民衆のメディアメーリングリストより Created by staff01. Last modified on 2005-12-15 22:09:30 Copyright: Default |