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第5回・09年7月27日

「ヨーロッパ人」トミ・ウンゲラーの笑いと諧謔

息子が幼かった頃に親子で愛読した絵本の一冊に、『オットー 戦火をくぐったテディベア』(1999年)がある。第二次大戦ではなればなれになったふたりの子どもが、ぬいぐるみの熊オットーのおかげで、半世紀後、奇跡的に再会するという話だ。ユダヤ人のダヴィッドは強制収容所に送られる寸前、可愛がっていたぬいぐるみのオットーを親友のオスカーに託した。オスカーが住んでいたドイツの町は爆撃を受け、オットーは廃墟に放り出された。それを連合軍の黒人GIが見つけて胸に抱えたおかげで、GIは銃弾を受けたけれども命をとりとめる。オットーはGIと共にアメリカに渡るが、悪ガキに盗まれてゴミ箱に捨てられ、結局アンティーク屋に売られてショーウィンドーに並んだ。何十年もの時が流れて、ある日、アンティーク屋の前を通った旅行者がオットーをみとめて買い求める。旅行者は空襲を生き延びたオスカーだった。その話が新聞に載り、収容所から生還してアメリカに住んでいたダヴィッドの目にとまった。こうして、ふたりの友とぬいぐるみはめでたく再会した……。

 表紙のテディベアの哀愁をおびた不思議な表情に惹かれて、この絵本を手にとったわたしは、戦争をリアルに描いた独創的なお話と絵に心を奪われた。作者はトミ・ウンゲラー。日本ではとりわけ『すてきな三にんぐみ』(1961年作)が大ヒットして、今でも重版をつづけている。1931年にフランスのアルザス地方、ストラスブールで生まれたこの作家は、絵本にかぎらず、ヴェトナム戦争を大胆に批判した反戦ポスター、辛辣な社会諷刺画、広告、エロティック画など、多様な分野のグラフィック作品で世界的に知られるアーティストである。1950年代後半からアメリカで活躍し、カナダ時代を経て1976年以降はアイルランドに居を構え、故郷のストラスブールとのあいだを行き来しながら、現在も創作をつづけている。2007年11月には、ストラスブールに市立トミ・ウンゲラー美術館(国際イラストレーション・センター)が創設された。

 そのニュースをきいて訪ねたいと思っていたところ、昨年秋、美術雑誌『芸術新潮』の特集号のために、この美術館とウンゲラーさん本人を取材する企画が実現した。詳しくは、ぜひ雑誌を見て「トミ・ウンゲラーのおかしな世界」を味わっていただきたいが、ここでは彼がいかに「ヨーロッパ人」というアイデンティティを体現しているかについて、触れてみたい。彼自身、「自分はフランス人ではなくて、アルザス人でヨーロッパ人だ」と強調する。  トミ・ウンゲラーが生まれたアルザスはフランス北東部、ドイツとの国境に位置し、普仏戦争後はドイツ、第一次大戦後はフランスといった具合に、戦争が起きるたびに戦勝国の領地になってきた地方だ。ウンゲラーさんが8歳になる少し前に第二次大戦が勃発し、アルザスがドイツに併合された1940〜45年、この地方の人々はドイツ語を強制され、学校ではナチスによる教化が行われた。ヴィシー政権の統治下にあったフランスの他の地方と異なり、アルザス地方とローレーヌ地方のモーゼル県の若い男性はドイツ人として徴兵され、東方戦線(対ソヴィエト軍)に送られて数多くの犠牲者が出た。解放もフランスでいちばん遅れ、ドイツ軍の最後の橋頭堡となったコルマールに住んでいたウンゲラーさんは、13歳のときに空爆を体験し、戦場を目撃した。

 ところが、待ちに待った解放が実現してフランスに復帰すると、アルザス人は幻滅を味わうことになる。フランス国家は、ナチスと同様の偏狭なナショナリズムのもと、ドイツ語のみならずアルザス語も禁止し、図書館にあったゲーテやシーラーなどドイツ語の書物は焼かれた。アルザスのナチス協力者はごく稀だったにもかかわらず、戦争中ドイツ人にされたアルザス人を疑いと軽蔑の目で見るフランス人も多かった。ウンゲラーさん自身、フランス人の国粋主義者から「汚いドイツ野郎」という罵言を浴びたことがあるという。彼は1956年、アメリカのグラフィックアートやジャズへの情熱に突き動かされ、可能性を求めてニューヨークに渡るが、その陰にはおそらくフランスに対する失望もあったのだろう。

 さて、ウンゲラーさんはニューヨークでたちまち仕事のチャンスをつかんで成功した。しかし、持ち前の反逆精神で痛烈にアメリカ社会に切り込み、人種差別やヴェトナム戦争、消費文明がもたらす人間性の消失などを挑発的に諷刺するうちに、アメリカでの生活にいやけがさして、1971年にニューヨークを去る。ニューヨークを愛し、物事をシンプルで現実的な視点からみることをアメリカから学んだというウンゲラーさんだが、人々の健康や教育の面倒をみることのできない国は民主主義ではないと批判する。また、1969年にエロティック画集の『フォーニコン』を出版して以来、エロを描く絵本作家などとんでもないと、アメリカの児童書界から彼は締め出しをくったのだが、そんなピューリタリズムもヨーロッパ人には理解できないと言う。

 ウンゲラーさんは1980年代以降、アイルランドで農場を営み創作をつづけるかたわら、故郷のストラスブールにも拠点をおき、現代社会のいろいろな問題に、市民として活発にとりくむようになった。アルザス語を学校で教える権利などアルザスの文化擁護から、仏独友好、EU促進、人種差別反対、核兵器廃絶、動物愛護、環境保護にいたるさまざまな主張を推進している。これらの主張に共通する理念は、他者、他の生き物や文化の「尊重」であり、それは彼の作品にもあらわれている。ウンゲラーさんの絵本には、嫌われ者や世間の人と異なる存在を主人公にして、寛容を促す内容のものが多い。「それぞれの人間が、他の人とちがう何かをもっている。このちがいがわたしたちに固有のアイデンティティを与え、そのおかげで世界はこんなにも魅力的なのだ」と彼は言う。

 少年時代に家庭ではフランス人(フランス語)、学校ではドイツ人(ドイツ語)、友だちとはアルザス語と、複数の言語とアイデンティティを使い分け、それぞれの文化を吸収して育ち、その後アメリカと英語文化のなかで長年を生きたウンゲラーさんは、英独仏三か国語とアルザス語を自在に操るヨーロッパ人になった。その波瀾にみちた人生のなかで彼は、物事を相対的にみる姿勢を身につけた。ハリウッドやディズニー流の勧善懲悪の二元論とは、ほど遠い考え方だ。「私が興味深いと思うのは、善と悪のあいだに横たわるNo man’s land(中間地帯)。そこで善と悪は出会うことができて、無限の可能性が出てくる」とウンゲラーさんは語る。

 世界が成り立つためには、他者といっしょにやっていくしかないという考え方は、たえまない戦乱の歴史、とりわけ20世紀の二度の大戦によってほとんど自滅状態に陥ったヨーロッパで、多くの人が信じるマルチラテラリズム(多国間主義)だ。これは現実にはひどく難しく、今では27か国から成るEUは、より多くの市民を幸福にする方向になかなか進んでいかない。それでも、何世紀ものあいだ殺し合ってきたフランスとドイツのあいだに平和が実現したことを、ウンゲラーさんは「最大の歴史的奇跡」だと喜ぶ。そして、2000年から務める欧州評議会の「児童と教育の大使」として、平和にいたるためには他者を尊重することが唯一の方法なのだと、幼稚園のときから子どもたちに「尊重」を教えるように主張しつづけている。

 興味深いのは、そうした「アンガージュマン」(知識人やアーティストが社会運動に参加すること)に燃えるウンゲラーさんが、教条主義とはまったく縁のない自由な精神の持ち主で、常に笑いと諧謔を武器にしていることだ。国際会議の席や政治家と会うような機会においても、お得意のブラックユーモアを連発して、まわりをぎょっとさせる。トミ・ウンゲラーという人とその作品の魅力は、成熟したヨーロッパの文化背景に根ざした才能が、悪ガキのようなやんちゃな感性をとおして発揮されるところにあるのだろうか……この特異で、すぐれてヨーロッパ的なアーティストに出会えたことを嬉しく思いながら、ユーモアの威力をかみしめた。(参照:『芸術新潮』8月号 トミ・ウンゲラーのおかしな世界=写真) 2009.7.25 

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トミ・ウンゲラー美術館ー国際イラストセンターのページ
http://www.musees-strasbourg.org/index.php?page=musee-tomi-ungerer

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飛幡祐規(たかはたゆうき)さん略歴

文筆家、翻訳家。1956年東京都生まれ。74年渡仏。75年以降、パリ在住。パリ第5大学で文化人類学、パリ第3大学でタイ語・東南アジア文明を専攻。フランスの社会や文化を描いた記事やエッセイを雑誌、新聞に寄稿。文学作品、シナリオその他の翻訳、通訳、コーディネイトも手がける。著書:『ふだん着のパリ案内』『素顔のフランス通信』『「とってもジュテーム」にご用心!』(いずれも晶文社)『つばめが一羽でプランタン?』(白水社)『それでも住みたいフランス』(新潮社) 訳書:『泣きたい気分』(アンナ・ガヴァルダ著/新潮社)『王妃に別れをつげて』(シャンタル・トマ著/白水社)『大西洋の海草のように』(ファトゥ・ディオム著/河出書房新社)ほか多数。2005年5月〜07年4月、ウェブサイト「先見日記」でフランスやヨーロッパの時事を取り上げたコラムを発信。

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