韓国:竜山惨事10年、都市開発と不動産の欲望(2) | |
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都市開発の脱出口、都市再生[ワーカーズ連載]竜山惨事10年、都市開発と不動産の欲望(2)
イ・ウォノ(竜山惨事真相究明委員会事務局長) 2018.12.05 13:12
都市開発の脱出口「元市長の時のことだが、ソウル市長として、行政の責任者として、 真心から謝罪します」。 就任から2か月ほど経った2012年1月。 朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が竜山惨事3周期追慕イベントに参加して遺族と被害撤去民に謝罪して頭を下げた。 謝罪とともに 「ニュータウン・再開発事業の人権的転換と解決」の意志を明らかにした。 その後、ソウル市は「ニュータウン・整備事業新政策構想」を発表して開発事業の政策方向を「所有者中心から居住者中心に」、 「全面撤去中心から共同体、村作り中心に」へと転換すると宣言した。 同時に「ニュータウン・再開発収拾方案」で実態調査を行い、 整備事業の推進と解除の進路を決めると発表した。 それと共に解除地域などを都市再生事業の一つである住居環境管理事業などの代案事業に転換できるようにした。 そして翌2013年6月、「都市再生特別法」が裁定され、都市再生の時代が開かれた。 [出処:キム・ヨンウク] 一連の過程を見ると朴元淳市政のソウル市が先導する都市再生の誕生は、 竜山惨事の反省と省察を契機として30〜40年続いてきた開発パラダイムの転換を始めたと評価できる。 竜山惨事が韓国社会開発主義の欲望の頂点で発生した惨事であり、 苛酷だが惨事を経て反省と代案提示が始まったという点でだ。 しかしもっとしっかる見るべき地点がある。 それは「都市再生」も資本主義の開発主義路線とからんでいるという点だ。 当初2008年の金融危機とともに不動産景気が鈍化し、 所々の開発事業が停滞することになった。 仮想の計画だけで資金を動員したプロジェクト・ファイナンシング(PF:Project Financing)融資が資金の圧迫で詰まったためだ。 金融商品により資金を動員する開発が難しくなり、 小規模整備という形式でこれを政治的・政策的にまとめたのが都市再生だ。 すなわち、もはや既存の大規模開発方式が資本の利益を無制限に保障できない経済危機の条件で、 開発の新しい脱出口として「都市再生」が登場したのだ。 不幸な惨事と善良な行政家の登場という韓国的な状況だけで都市再生の登場を説明できないのは、 これが私たちだけのことでもないためだ。 都市再生はすでに西欧の発展主義都市化の過程でも 都市空間に対する資本の新しい抱き込みの過程として登場した。 幽霊村2016年4月12日午後1時20分頃、火炎に包まれて倒れたある男性が病院に運ばれたが、 翌朝死亡した。 民主労総の反対側、敦義門ニュータウン地域の撤去民が用役に取り囲まれ、 強制執行に抗議して焼身したのだ。 それから1年ほど経った2017年9月、そこは「敦義門博物館村」に改装した。 「古い都市組織、人生と記憶、歴史的な要素がよく保存されていて、 再生した国内最初の村単位都市再生事例」と説明されていた。 しかし「古い都市組織、人生と記憶、歴史的な要素がよく保全されていて、再生した」というそこに、 うらめしい撤去民たちの人生と記憶、そして死は保存されることもなく、 再生されることもなく消された。 敦義門博物館村は全面撤去方式ではなく「国内初の村単位の都市再生」で「保存」する事例だとし、 ソウル市は都市再生の成功事例として紹介した。 都市再生事例のここは、厳密に言えばニュータウン開発による都市環境整備事業地域だ。 ニュータウン整備事業組合が2533世代のマンモス級「慶喜宮寝」アパート団地と住宅商店複合団地を作り、 近隣に公園を造成するために寄付された土地でソウル市が既存の建物をリモデルして展示および文化空間で造成したところが敦義門博物館村だ。 全面撤去の大規模アパート団地を作る名分で受け取った片隅のある空間に 建築物だけを保存して人は保存しない村を造成したのが、敦義門博物館村の都市再生事例だ。 だからここは人が暮らしていない「幽霊村」だという冷笑も聞く。 殺され削除されたうらめしい霊魂の叫びが残っているという点で、 間違った比喩でもないだろう。 博物館村の事例が他の都市再生と違いめずらしいケースなのかもしれないが、 「都市再生」の現位置を象徴的に示している。 しばしば全面撤去のニュータウン・再開発整備事業の代案だと称する都市再生は、 新しい時代の始発ではなく旧時代の終電に乗っていることを見せる。 開発主義のパラダイム転換の始まりではなく、循環を待つ開発の終わりに不安に乗っている。 土建の連続、都市再生「ニューディール」既存の都市開発は、大規模速度戦の撤去方式で暴力的に行われた。 「都市再生」がこれとは異なる価値を提示しているということは否めない。 利益だけを目標として居住民の大規模な追放と交替を伴う再開発を防ぎ、 地域で住民の生活環境を改善するために献身する都市再生活動家が存在しているのも事実だ。 都市再生が都市空間に対する資本の新しい抱き込み戦略でもあるが、 「ニュータウン反対」という叫びを保守的に取り込んだ点も看過できないだろう。 しかし文在寅政府が核心的に公約して推進し始めた「都市再生ニューディール」は、 開発の循環列車に乗った都市再生の土建事業属性を示す。 公約として発表された「5年間で500か所50兆」という規模と速度の提示は、 都市再生がパラダイム転換ではなく連続だという疑問を確証させる。 既存の都市開発の大規模、速度戦、資本中心という反省から出発した代案として都市再生が語られる時、 小規模、漸進的(ゆっくり)、住民主導(参加)という価値が強調されていた。 しかし政府主導の都市再生ニューディールは、表面的な価値に反する規模と速度のビジョンを提示している。 地方自治体の公募方式とされるニューディール事業は、 地方自治体の中央政府の金食い虫に変質する憂慮が高い。 すでに都市再生活動家の口から文在寅式4大河川事業になるかもしれないという憂慮が上がっている。 ゆっくり拡張される住民の参加は失敗と見なされ、 短期的成果を表面化するのに集中し、 住民参加は所有者中心の動員と管理の脈絡に転落しかねない。 再生よりもニューディールに傍点を打つ事業は、 官主導の成果第一主義と短期間に同時多発的な推進により、 「民間活力促進」という名の小規模民間開発を触発する憂慮が強い。 政府が進める都市再生ニューディール事業地と指定されたところを開発好材料地域と認識し、その認識の下で不動産投機勢力が新しい餌に飛びかかっている。 既存の全面撤去による集団的強制退去は、都市再生でジェントリフィケーションという名前で隠蔽され、 意図せぬ付随的現象に置き換えられている。 物理的空間が変わったり人生ではなく人が変わるだけの都市再生は、 規模と方式が違うだけの土建事業でしかない。 衰退する都市と成長戦略事実、このような都市再生の土建の本質はすでに「都市再生特別法」に表われている。 特別法が定義する都市再生は 「人口の減少、産業構造の変化、都市の無分別な拡張、住居環境の老朽化などで 『衰退する都市』を 地域力量の強化、新しい機能の導入・創出および地域資源の活用を通じ、 経済的・社会的・物理的・環境的に活性化させること」と定義している。 そして特別法による都市再生事業は、 都市再生活性化計画により施行されるすべての開発事業を通称する。 壁画を描いたり家の修繕程度ではなく、既存の全面撤去型住宅再開発事業や、 ニュータウン事業、都市開発事業、駅勢圏開発事業、産業団地開発事業、市場整備事業なども すべて都市再生特別法が規定する都市再生事業だ。 結局、都市再生事業も都市の保存や持続の可能性より成長に目標をおいている。 特に都市空間を「衰退する都市」と規定し、それに対応する戦略として提示しているが、 特別法では衰退の基準として人口減少、事業体離脱、建築物老朽度を提示して、 このうち2種類以上を満たす地域を都市再生活性化地域に指定できるようにした。 ソウル市はこの基準により、ソウルの2/3にあたる地域を衰退地域と見ている。 昨年の夏、朴元淳市長が江北区三養洞の屋根裏部屋で1か月暮らした後に発表した「江北優先投資戦略」は、 こうした衰退都市戦略から出た。 「均衡発展のための不均衡投資」と説明した江北有線投資戦略は 「江北を江南のようにしてやる」とし、 均衡発展戦略としてニュータウン開発を発表した李明博(イ・ミョンバク)の構想と同じだ。 「江北を江南のように」高級アパート村で埋めるという李明博式の構想とは違い、 ソウル市も「江南とは違う江北」だけの「差別化された競争力」を強化する地域再生に集中するという。 しかし江北は競争力がない、あるいは衰退したと診断することが果たして妥当なのか。 江北の競争力は、低層住居地を中心とする安い住居地から中高級住居地が多様に共存して、 住民たちが階層別に多様化されていることにある。 こうした競争力は現在存在する競争力であって、 新しく創出すべき競争力ではない。 都市再生事業が江北地域を「競争力なし、落後、衰退」と診断して競争力を上げる成長主義に集中すれば、 既存の競争力であった低価格住居地の存続は崩れる。 都市成長の結果は多様にではなく差別的に分配される。 ここにも人がいる結局、竜山惨事を通じて問い直されることになった「誰のための開発か?」が 「誰のための再生か?」という質問で繰り返される。 都市再生事業で最も不安に思う人々は、そこの賃借人、貧しい人々、排除された人々だ。 開発で削除された彼らが再生から削除された瞬間、 われわれはもうひとつの竜山を繰り返すことになる。 竜山で叫んだ「ここに人がいる」という絶叫が剥製にならない理由がここにある。 誰もが都市再生を語る時代に、 存在しない過去の事件のように孤立した開発地域と代案で話される都市再生事業地にも、 蘇生する人々が住んでいる。 建物は衰退したかもしれないが、人は、人生は生きて呼吸している。 ここにも人がいる。(ワーカーズ49号) ▲時事月刊誌 〈ワーカーズ〉
翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-11-26 21:19:04 / Last modified on 2018-12-14 02:48:34 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |