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LNJ Logo 韓国: #25: われわれは今、抗争と革命の岐路に立っている
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デモ、抗争、革命

[25号 天然徳]われわれは今、抗争と革命の岐路に立っている

ホン・ソンマン編集長 2016.11.06 19:05

2008年、キャンドルデモの真っ最中の時であった。 明博山城と呼ばれた警察車壁に誰かがかけたロープを熱心に引っ張り、 車壁を越えるために発泡スチロールの箱を段々に積みあげているのを見て、 ふとこんなことを思った。歴史は今日をどのように記録するのだろうか?

デモ、抗争、革命。 歴史はこれを区分する。 政府や政府の政策に反対して抗議するデモを反政府デモという。 街頭でよくある抗議の表示がデモだ。 では抗争はデモとどのように違うのだろうか? 荒々しい語感のように、単にデモの激烈さをもって抗争という名前を付けるのではない。 抗争は、政府の重要な政策や計画を国民大衆のデモによって変えること、または事件を意味する。 抗争と呼ばれるものもそれほど多くはない。 1987年に独裁打倒護憲撤廃を叫んで通りに飛び出した6月抗争がある。 公式な名称ではないが、1980年5月の光州をわれわれは光州民衆抗争として記憶する。 では革命は? 革命は統治者を引き下ろす時に始まる。 韓国の現代史ではたった一回存在した、李承晩(イ・スンマン)を引き下ろした4.19革命がそれだ。 選挙で政権を変えることも、いわゆる選挙革命と表現されるように、為政者を引き下ろす行為がまさに革命の出発だ。

21世紀に入っても世界のあちこちで革命が発生した。 オレンジ革命(ウクライナ、2004)、チューリップ革命(カザフスタン、2005)、ピンクタイド革命(中南米、2002年以後)、ジャスミン革命(チュニジア、2010)、コシャリ革命(エジプト、2011)、 そして権力の交代には成功しなかったが、それに次ぐ影響を与えた雨傘革命(香港、2014)がある。 米国のウォールストリート占拠運動は、大統領選挙でバーニー・サンダースを登場させ、政治革命(米国、2016)の風を呼んだ。

だが歴史は「失敗した革命」ばかりだ。 4・19革命はすぐ5・16クーデターにつながって朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁になり、 最近のアラブと北アフリカの革命で見られるように、独裁者を倒した後に新しい独裁権力が登場することも多く存在する。 選挙革命と言われた金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)の執権にもかかわらず、 韓国社会は進歩したのではなく新自由主義体制ができ、新しく非正規職が生まれ、公企業が売られた。 だから為政者を変える革命から一歩進んで旧体制、旧秩序を押し倒し、新しい秩序と体制を作り出すこと、 一つの国を越えてさまざまな国に革命の理念が広がることを「大革命」と呼ぶ。 フランス大革命、ロシア大革命のようなものだ。

そうして見れば、2008年のキャンドルデモはキャンドル抗争と呼ばなければならない。 2007年の大統領選挙で記録的な差により李明博(イ・ミョンバク)候補が当選した時、 韓国社会の民主主義に対する期待と希望を破ろうとした時、 入試制度と教育不平等の中で犠牲になった学生たちを追慕するために、 学生たち自らがキャンドルを灯した。 そうして集まったキャンドルは、いつのまにか教育の不平等が経済の不平等に起因するというところまで進み、 結局はこの差が自分の未来と運命を決めるという認識に到達した。 狂った牛(狂牛病)の議論、民営化の議論は不平等の差異を端的に見せる一つの媒介に過ぎなかった。 2007年末に始まった学生たちのキャンドルは、進化を繰り返して2008年5月、 10代の女子学生たちの手にまた握られ、その年、キャンドルはたいまつのように燃え上がった。

このキャンドル抗争で李明博政権の露骨な民営化政策にブレーキをかけ、米国産牛肉輸入を(しばらく)中断させ、韓半島大運河事業を4大河川事業に縮小させることに成功した。 だが大統領を引き下ろすことはできなかったし、さらに重要な私たちの生活の実質的な問題に対しては、何も変えることができなかった。 そのようにして歳月は流れ、われわれは恋愛、出産、結婚、就職、住宅、人間関係と希望まで、すべてを放棄して生きる多放棄世代として、「ヘル朝鮮」で相変らず生きている。

国民の大多数が朴槿恵大統領の退陣を望むのは、単に大統領と側近の国政壟断と個人不正のためだけではない。 必死に努力しても得ることが難しいものを、力のある親を持ったため、遊びながら学校に通っても得ることができたという剥奪感、 泥の匙はずっと泥の匙として暮らしていかなければならないという変わらない現実、 財閥-政府-大統領府がグルになってもてあそばれたことに対する怒りと背信が作用した結果だ。 挙国内閣をするとかどうとか、責任総理がいいとか悪いとか、早期大統領選挙をするとかしないとか、 政界の工作はただ事態を収拾して大統領の顔を変えただけで、ヘル朝鮮で暮らし続けろという声と同じだ。

われわれは今、抗争と革命の岐路に立っている。 朴槿恵大統領の退陣なく、挙国内閣、責任総理を信じる人が誰なのだろうか。 自ら退陣しなければ、歴史で選ぶことは一つだけだ。 11月12日、歴史はこの日をまたどのように記録するだろうか。 まさに私たちの手にかかっている。(ワーカーズ25号)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-11-07 13:20:46 / Last modified on 2016-11-07 13:20:47 Copyright: Default

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