韓国:現代車非正規労働者、彼らの恨みが絶頂に! | |
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現代車非正規労働者、彼らの恨みが絶頂に![インタビュー]非正規支会占拠座り込み労働者
合同取材チーム 2010.11.26 08:47
「われわれは正規職になるべきです。指導部がしっかりしているので、 信じてついて行きます。」 「苦しいですが、目標がありますから最後まで行きます。」 占拠座り込み11日目になる11月26日の午後、イ・サンス支会長は組合員たちの 前で「交渉が開かれても、私たちの要求が貫徹されなければ座り込みを続ける」 とはっきり言った。その後のインタビューで、10年目になる社内下請労働者と 8年目になる社内下請労働者が言った言葉だ。 25日から金属労組と現代車支部、そして非正規3支会が交渉について議論を進め ているが、まさに現代車使用者側は正規職化も非正規支会との交渉にも背を向 けている。そして使用者側が封鎖した占拠座り込み。だが、6か月や1年単位で 契約を延長して8年、10年を現代車社内下請労働者として働いてきた二人は、 相変らず正規職という目標を強く持っていた。 10年目の社内下請労働者A氏は、夜間なら最後の金曜は5時に出勤し、土曜の朝 8時に退勤し、その日の午後5時にまた出勤して日曜の朝8時に退勤する。そして 昼間組の月曜の朝にまた出勤した。そうして10年たった今、彼は腰ディスクを 抱えているという。 「正規職のすぐ横で働いている。だが賃金の差が大きい。10年目の非正規職が 月曜から金曜まで夜昼12時間働いて、特別勤務までして、1か月一度も休まない か一日程休み、1年間働き続けて、やっと年俸3300万ウォンぐらいになる。その 上、特別勤務手当ても違い、手当ての時間も違う。正規職と時給3千ウォン程度 の違いがある上に、正規職は6時間ほど多くなる。私たちにその何万ウォンは、 大金だ。」 『正規職と違う差別はなかったのか』という質問にA氏の回答が遅れる。静かに 見ていると『何があるだろうか』と考えて遅れたのではなく、突然とても多く のことを思い出して、話そうと口を開いたのに詰まってしまったのだ。その時、 横にいた同僚が手伝った。 「ものすごい違いがあります。本当にとても悲しい。果てしなく多いので、何 か話せばいいのかわかりません。正規職が不良を出せば、元請組班長がきて、 あまり何ともいわない。ところが下請け労働者が不良を出すと、ものすごく言 われる。はなはだしくは『あの野郎クビだ』という声も聞きました。それで終 わりではなく、下請け業者の所長にまで行って抗議するのです。」 A氏は続いて元請が配るマスクの話をした。彼は使い捨てマスクを1か月に4個支 給された。一日二日で真っ黒になるマスクをかぶり一週間、ずっと働いた。そ れもまず正規職に支給してから彼の順番だった。事情は8年目の社内下請労働者 B氏も違わなかった。 「腕カバーや安全靴、マスク、手袋などを補給品と呼びますが、少ししか配ら れないので真っ黒に油がついた手袋を使い続けました。それでどうしようもな く、直ぐ前で一緒に働いている直営の先輩にもらって使いました。業者の社長 がそんなことで金を作るんです。その上遠慮なく『もらって使え』と私たちに 話します。業者にないわけでもないし、それでも乞食でもないのに… いや、 一回や二回でもなくて…本当にかなしいですよ。」 B氏は元請組班長が作業を指示する時も、直営の先輩より下請けに出す量の方が 多いが、消耗品の支給ははるかに少なかったという。社内下請労働者の悲しみ はこれだけではなかった。あるいは賃金よりもさらに悪い差別である人権侵害 の問題があった。 「直営の先輩は1か月にいくらかお金を集めて会食もしますが、私たち下請けは 会食もできません。1か月に1万ウォン程集めれば、3か月に一回ぐらい、私達で 会食しながら、酒も一杯飲めるでしょう。ところがそうしようという話が回っ ただけで業者管理者たちが大騒ぎをします。『君たち狂ったか? 労組活動しよ うとしているのではないか?』といいながら『契約の時に、みんな切るぞ』と。 それで下請けは直営の先輩が会食する時に混じって行きます。おごってもらお うと……。それでも直営の先輩たちはちゃんと用意します。計算の時「お前ら は金の心配をするな」と言って良くしてくれます。ところがいや下請けは、酒 一杯飲むのも思う存分食べられないのです。なぜ工場の外の私生活までタッチ するのでしょう。親でもないのに。そのうえ同僚が相助会を作って互いに慶弔 の用意もさせません。業者所長がたっぷり十万ウォンくれて……。」 10年をそうして働いてきたA氏は、ストライキ初日の15日を記憶していた。その 日の感じが、まだ胸が熱いのか、胸に手をやって口は開いたが、また言葉がよ く出てこない。 「ストライキ初日、私たちがシート1部の前で集会をして、本館側にデモ行進を して行きました。ところが警察の車が先に行って防ごうとして私たちの前に行 きました。その時、支会の指導部が突然道路の中間で「右に走ります」と叫び、 下請け労働者たちがシート2部の方に走ったのですが、それを感動というのか… 胸に何か…ぐっとこみ上がってくる…そんな感じを受けました。」 娘二人を持つある社内下請労働者がストライキ初日をそのように記憶していた。 だがB氏は現代車非正規職労組ができた時から加入し、2006年のストライキにも 参加していた。だが今度の二回目のストライキに参加するまでには、笑えない 曲折があった。 「初めてストライキをした時、本当に狂ったように戦いました。そして本当に 死ぬほど殴られました。その結果は本当にみじめでした。ずるずる引きずられ て、ものすごく殴られました。その時は組合員も少なく、私だけがバカだった 感じですね。ストライキが終わっても、よくやったと言ってくれる人は一人も なくて、むしろイジメのようなことをされましたよ。」 そして彼は労組を脱退し、今回の大法院判決でまた加入した。もちろん、一度 経験があったので家族の反対も激しかった。両親は『すぐ出てこい、一度やれ ばいいじゃないか、なんでまた労組活動をするのか』と大騷ぎになった。小さ な事業場で労組活動の経験がある妻も『やめた方がいいんじゃない』と言った。 「やっと説得しました。『今回だけ、やってみよう。一度だけ信じてほしい。 今回も殴られて終われば、もう労組活動しない』。今回が最後だと思っていま す。お父さんが家に来ないから子供たちが何度も『お父さんはどこへ行ったの』 と尋ねるようです。それで仕事が多くて、朝早く出て行って、夜遅く退勤する と言ったそうです。ところがどうせストライキをしなくても、普段一日12時間 働いていました。ここにいる人はみんな重労働で苦しんでいます。ストライキ で結婚式の準備もきちんとできない友人もいて、子供の満1歳の誕生日のパーティ にも行けない友人もいます。そんなことを横で見ながら『これがそれだけ重要 なのか』とも思いました。でも重要なことなんです。暮さなければならないで しょう。ほとんど家庭持ちで、生存権がかかっているのに……。」 別にインタビューをしたが、二人の労働者とも洪水のように言葉を吐き出した。 あるいは『言いたい話があっても、聞かれないので言わなかった話もある』と 思い、言いたい話を最後に薦めた。 「正規職労働者たちに連帯をお願いします。それだけです。」 「会社の社長は、何かというと法の通りしろと。何、いつも法の通りに、そう しましょう。そうしておいて、まさに私たちが法の通りしろというと、自分た ちはしないでしょう。それも大企業の現代車で…政府も知らないふりをして放 置して、会社の味方だけして……。われわれは指針に従って行きます。私たち のために負担になる人もいるでしょうが、われわれは最後まで行きます。みん な希望があります。止めた家族を考えても、正規職の名札を一度つけなければ。 ここから必ず、必ず正規職名札付けて出て行きます。」 インタビューの後、夜10時30分すぎの時間、イ・サンス支会長が組合員の前に 立った。イ支会長は「私たちがなぜここにきて、どのようにして出て行くかが 重要だ」とし、また「私たちの目的の正規職化が貫徹されなければ占拠座り込 みは続ける」と強調した。 彼らは本当に恨みが絶頂に達している! (蔚山=メディア忠清、蔚山労働ニュース、チャムセサン合同取材チーム) 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-11-27 05:01:13 / Last modified on 2010-11-27 05:01:23 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |