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韓国:私たちを特別な人にしてくれた貨物労働者パク・ジョンテ | ||||||
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私たちを特別な人にしてくれた貨物労働者パク・ジョンテ「いってらっしゃい。あなたの仲間だったことに恥じないように暮します」
メディア忠清
cmedia.or.kr / 2009年06月22日7時31分
彼を送る日もやはり雨が降った
パク・ジョンテ烈士を追慕する文化祭が開かれた週末には、やはり大田に雨が 降った。6月20日、52日ぶりにパク・ジョンテ烈士を送る宅配労働者たちと、彼 を記憶する多くの人々は、雨に降られながら涙で彼を送った。 6月20日午前9時、遺体安置所が設置された大田中央病院の葬儀場で出棺式を終 えた『労働烈士故パク・ジョンテ全国労働者葬・葬儀委員会』は大田市大徳区 の大韓通運大田支社前で告別式を開いた。この場に集まった労働者、市民、政 党関係者約千人は、パク・ジョンテ支会長を故パク・ジョンテ烈士にしたとい う自責と後悔で頭を上げられなかった。誰も拍手しない告別式が進められた。 送る家族は、委員会が配ったチラシの中の故パク・ジョンテ支会長の顔をいつ までもながめて泣いた。ただお母さんの手をとり、絵を描いていた二人の子供 は多くの人たちがお父さんの名を呼んだとき、その時始めて泣きはじめた。
「宅配にどれほど汗が染みているのかを知っていればパク・ジョンテ同志は死ななかったのではないでしょうか」 キム・ジンスク民主労総釜山本部指導委員は調査で「労働組合でよく聞くのは、 つらくはないが、あまり子供たちと遊んでやれないのが一番申し訳ないという 言葉。ばかみたいに聞こえるだろうが、子供たちが本当に怖いほどかわいいと いう話。その子供たちをおいてどうして行かれたのですか。お父さんがこの世 で最高に好きだというその子供たちをおいて、どうして行かれたのですか」と 泣き叫び、多くの人々を泣かせた。 また「これまで座って宅配を送ったり受け取り、そこにどれほど汗が染みてい るのか、しりませんでした。920ウォンの命の重さだということも知りませんで した。私たちが支払う宅配費何千ウォンのうち、あなた方の取り分が920ウォン だということも知りませんでした。その金で税金を払い、燃料代を払い、子供 を育てて、足がふらふらするまで駆け回らなければ生存が維持できないことも 知りませんでした。それを知っていれば、パク・ジョンテ同志は死ななかった のではないでしょうか。それを知っていれば、惜しい人があんな死にかたをし なかったのではないでしょうか」と号泣した。 朴支会長の夫人ハ・スジン氏は「最後の道を一緒に歩いてくれた仲間のみなさん、 同志が送った愛と義理を永遠に忘れません」と話した。しかし「夫が真に望ん だ世の中に変えない限り、夫の死は胸につかえ続ける」と付け加えた。
運輸労組貨物連帯のキム・ダルシク本部長は「この席に一緒にいる方々が非正 規職、特殊雇用職のない世の中、特別ではない人がもうこれ以上死なずにすむ 世の中を作るために闘おう」と要請した。イム・ソンギュ民主労総委員長は、 「ソ・チュンハン同志一人も守れなかった醜い人々、私たち皆は、特殊雇用労 働者の労働基本権を勝ち取ろうという希望も、戦い抜いて勝ってくれという要 請も、すべてを成し遂げるまでは限りなく醜い人々だ」と自ら叱責した。続い て「戦い抜いて勝ってくれという同志の魂が、残された者の叫び声に、生きて いる者の闘争につながるようにして、その時また同志の霊前に勝利を捧げる」 と約束した。 また民主労働党の姜基甲代表は、「あなたはすでに私たちすべての胸に残る特 別な人」とし「生前、一緒に闘えなく申し訳ないという思いと、同志を死に追 いやった悪らつな資本と政権に対して生きている者として、道理をつくす」と 述べた。 一部の組合員が指導部の献花を阻止し、責任を問う
生前、パク・ジョンテ烈士が最後に歌ったタンポポのようにを歌った民衆歌手 のチ・ミンジュ氏は、故パク・ジョンテ支会長の遺影を見て嗚咽した。チ氏は 「夢の中で入棺した故人が涙を流した。その涙の意味は皆さんがよく知ってい るだろう」と話した。静かで低い歌声が、次第に参加者のすすり泣きに変わっ ていった。 この日の告別式の後、参加者の献花が続いた。一部の貨物連帯組合員は指導部 の献花を阻止して故パク・ジョンテ支会長の死の責任と、大韓通運との合意の 他に方法がなかったのかと抗議した。組合員たちは「指導部が宅配労働者の闘 争に速かに対処していれば、パク・ジョンテ烈士は今も私たちと共に闘ってい た」と批判した。また「全面ストライキはできないと判断して、急いで大韓通 運と合意したのではないのか」と述べた。 パク・ジョンテ烈士は光州望月洞墓地で52日ぶりに永眠に入った。
貨物連帯光州支部第1支会長のパク・ジョンテ烈士は、3月16日に大韓通運光州 支社の宅配ドライバー78人が、大韓通運を相手に1件当たりの配達手数料を30ウォ ン上げる約束を履行するよう要求したところ解雇され、復職闘争を率いた。し かし5月3日に「最後まで戦って必ず勝とう」という遺書とともに大韓通運大田 支社の向いの山で冷たい遺体になって発見された。 一方、この日午前、大韓通運大田支社は告別式の舞台が「会社の方向はだめだ」 と話し、主催側との軽い小競合になった。これについて、舞台を準備した主催 側の関係者は「なぜ最後までこんなことが」とし「故人への礼を尽くすことを 望むのは無理だったのか」と嘆いた。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2009-06-25 23:25:44 / Last modified on 2009-06-25 23:25:47 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |