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われわれは深い井戸だったのか?

[寄稿]尾浦造船闘争、煙突の下に降りてきたロープ

ソ・ヘシク(ルポ作家)/ 2009年01月19日16時36分

私たちが道を行き来する間

午後六時、現代重工業警備員たちが撃ちまくった激しい水の流れで暴雨があふ れたかのようにすっかりぬれた土地を踏み、ぬれた体で車に乗る人々がいた。 ソウルから、慶州から、大邱から乗用車で、あるいは大型バスを貸りて、嶺南 労働者大会に参加した人々が、また彼らがきた都市に戻る道だった。水の攻撃 に、それでもぬくみを与えてくれたたき火も消えて、同調断食団の路上宿舎も 壊れてしまった。時々燃え上がったタバコの火のほかはぬくみはない暗い煙突 の下で、人々が別れながら挨拶を交わしている。他の地域から参加した人々に インタビューをする間、また現代重工業の警備員が水を撃ちまくっている。取 材手帳がすっかりぬれてしまった。まだぬれていない他の紙を取り出して記録 しようとしたが、水性ペンなので書くとすぐ広がって消える。録音機もカメラ もすでにとてもぬれてしまった。だめだ。これ以上ぬれない唯一の記録手段は、 私の脳だけだった。違う、集会参加の感じを聞く私の言葉にただ詰まった感じ でよく聞こえないとだけ言った労働者の話のように、私もとても詰まった感じ でよく聞こえない。詰まって感じでよく聞こえない脳、何かを記録して記憶で きるだろうか?

▲私たちは暖かい寝床でゆっくり寝つけるだろうか

この文を書いている今、ソウルに帰った人々は無事に到着したのだろうか? 集 会を終え、車でせいぜい三十分程度の家に来る間、私は車の中でどれほど寒気 に震えたのか。厚い綿のパーカはすっかり水を吸い、下着もぐっしょりぬれて いた。ソウルまで帰るには、ずいぶん長い時間がかかるが、ぬれた服で体温が 急激に下がるだろう。何日か、厳しく風邪をひくのは明らかだ。警備隊が投げ た鉄片でこわれてしまったカメラのレンズを残念そうにながめていたある記者 の顔が目に焼きついている。顔に当らなかったのが幸いだといった周辺の人々 の慰労は、彼にとって慰労になったのだろうか? 周辺の慰労にもかかわらず、 こわれたカメラを触り続けていた彼の気持が残念だ。警備隊に殴られ、頭から 血を流しながら護送車にのせられて、病院に行った労働者の血は止まったのだ ろうか? 水爆弾でぬれ、あちこちが乱闘場になってしまった路上で、今夜はど うして同調徹夜断食を続けていくのだろうか? 路上は地面も濡れて、周辺はすっ かり海だ。またどれくらい寒い夜が続くのだろうか。

私たちが家に帰り、濡れたからだを暖めて、こわれたカメラを修理する間、歳 月は流れるだろう。病院に通って頭を治療して薬を飲む間に傷はいえて気持も 少しずつしっかりするだろう。私たちが煙突の前を回っていく時、遥かな煙突 の上では鳥のように翼をふる人々がいた。高く手をあげてふる四つの翼。鳥な ら飛べるのに..... 26日間が過ぎた。私たちが道を行って車に乗って食事をす る間、餌のように小さなチョコレートと水を分けて飲みながら身動きできない 空間で丸く丸くぐるぐる回る人たち。彼らは今日もそこから降りれなかった。

私はつらい

熱いラーメンの汁を飲んでタバコ一本吸えれば良いという、煙突からのイ・ヨ ンド前首席本部長の手紙を読んだ後、私はラーメンが食べられない。お父さん に送ってくれと長男が小包にして送ったラーメン一箱が、煙突の前の路上宿舎 に置かれているのを見てしまった。長い間ラーメンも食べられないようだ。臨 月の妻。少し離れた場所からも、夫に会うために膨らんだ腹を抱いて集会にき たという労働者キム・スンジンの妻の話を聞いた。私はつらい。丈夫な私のか らだの具合が悪くてお母さん、お父さんにだだをこねられない子供たちがつら く、暖かい寝床がつらい。

▲イ・ヨンド前首席本部長があれほど食べたかったラーメン一杯、長男が小包でお父さんに送ったラーメンは結局煙突に届かなかった

嶺南労働者大会に参加した年を取って落ち着いたある女性労働者がおっしゃる。 『今あそこにいる労働者の年はどのくらいか、服は暖かく着ているか、とても 高い。100メートルと言うが.... 』。煙突から目を離せないその方がまたひと こと言う。『あの家の両親は子供がああしているのに、どうして暖かく寝られ るだろうか』

彼らが煙突に上がった後、限りない自己検閲が始まっている。私が享受する自 由は、幸福は、本当に自由なのか、幸福なのか。なぜ同じ時間、同じような空 間で生きる間、ある人は煙突の上で死闘を続け、ある人は熱い飯を食べ暖かく 寝るのか。ある人は家族を煙突の上に置いて涙もかわいてしまった味気ない人 生を耐えている間、私は子供たちとごろごろしながら幸せな一日を送っていて もいいのか。私の人生は果たして正当なのか。今日一日を生き延びた私の人生 は果たして何か。この苦痛の検閲が過ぎれば浄化されるのか。きれいな顔で世 の中を透明に凝視できるのか。限りない問いの連続だ。より大きなことをはね 除ける前に、自分の中の敵と戦うこと。私を壊して私をたてなおすこと。生活 の永遠の宿題だ。

井戸の記憶

午後五時、嶺南労働者大会本大会を終えて東区現代重工業までデモ行進をした デモ隊列が煙突の前に集まっている。煙突の下に集まった人々がいっぱいになっ た時、突然現代重工業警備隊の動きが速まり、防いで立つ人々に向かって、足 蹴りと棒が飛んでくる。わずかの間だ。人々が地面に倒れ、倒れた人々に向かっ てまた飛び込む足蹴り。ヘルメットで隠されたその顔はどんな目を含んでいる のだろうか? 人々が倒れている間、反対側では数本をまとめて縛った長いロー プが地面に向かって降りてきている。倒れながらも、警備員から守ろうとした ロープ。煙突の上の二人がおろしたものが地面に近づいている。誰かがひもを 引き、あわてて物品が入った封筒をひもに縛っている。またひもが上に引かれ ている。

小さな時、町には井戸が一つあった。幼い子供が落ちて死んで、夜になるとそ の悲しい霊魂が吐きだす泣き声が、井戸を覆う板から漏れてくるという深い井 戸。井戸の闇にもかかわらず、水の味は甘く、すがすがしかった。井戸にさがっ た木桶は手まで戻る機会がなかった。太陽が沈む瞬間まで、この手からあの手 に通いながら、こまめに水を上げた桶。丈夫なロープをぶら下げたその桶のロー プが、ある日、深い井戸の中に流れて行ってしまった。桶は井戸と一体になった。

その後、私はお父さんがあき缶の双方に穴をあけ、ロープをかけて作った桶を 井戸の中におろし始めた。あき缶が井戸につくと、その摩擦力と見えない井戸 の中の缶にぎっしり水を入れた時の充満感が忘れられない。思わず、するする とロープが井戸の中に流れて、何度もまた桶をなくしたが、そのたびに新しい 桶を作って、また井戸を吸い上げた。井戸の中に沈んだ多くの桶、一時は希望 を汲み上げたあの光る延長が、ある瞬間にひもが解けて深い水の中に沈んだが、 また誰かので取り出されたりもした。なくしたと思っていた桶を井戸の中から また取り出した日、井戸の中には本当に小さな命が住んでいて、この桶を私た ちに返してくれたのではないかという気もした。

▲ばらばらに破ろうとするかのように激しく流れ込む水

重工業の警備員たちが撃つ狂ったような水の流れが、必死にロープに物品を縛 る人々をばらばらに破ろうとするかのように降り注ぐ。物品を無事に煙突の上 に送るために、人々が何重にも囲んでいる。物品供給のロープを保護しようと 何重にも取り囲んだ人々に、警備員たちが刃のような水爆弾を降り注ぐ。下で ロープをつかみ、上から引いて、3回も物を上げて送った。中間に警備員が振り 回す釣糸にロープがひっかかったが、しっかりしたロープはすぐ釣糸を切って しまった。ロープが空に昇る間、私は煙突を見上げた。その昔、深い井戸の中 から水を汲み上げた、桶を取り戻した人々がそこにいた。われわれは深い井戸 の中の水だったか? 煙突の上の彼らが引いているのはロープではなく、私たち の切実な希望なのかもしれない。

*▲ロープで物品が上がる写真の下の文は「彼らが汲み上げたのは私たちの切実な希望なのかもしれない[出処:蔚山労働ニュース]」

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2009-01-25 02:20:36 / Last modified on 2009-01-25 02:20:40 Copyright: Default

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