韓国:われわれは尾浦湾のたいまつだ | |||||||
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われわれは尾浦湾のたいまつだ[寄稿]尾浦造船で働く労働者の話
ソ・ヘシク(ルポ作家)/ 2008年11月29日10時23分
手に握ったキャンドルのぬくみでも借りたいほど冷たい夜だった。尾浦造船の 正門前に、高く上がったクレーンの上には青い星が輝いている。一つ、二つ、 三つ。背比べをするように並んで浮かぶ星。ある詩人の詩のように星がちょっ と暖かければ本当に良いのだが、なんだかこちらをながめている星は冷たく見 える。 冬の寒さが始まったばかりの11月19日の夕方、蔚山現代尾浦造船正門前でまた キャンドルが灯った。ありったけの力を使って火種を守った苦しい女性たちの ように、仕事を終えた労働者たちがまた一つずつキャンドルを持って冷たいア スファルトの地面に座り始めた。道路側には、もう戦闘警察車がぎっしりと集 会を防いでいて会社正門の前には職員のような人々が防いでいる。防いでも防 いでも防げない声、追い立てて打つ激しい風にも、あたってくる激しい抑圧に も、同志歌が空高く上がって広がった。愛、永遠の愛、君は私の同志。 『お母さん、お父さん、陳謝します。子供になった道理をつくすことも出来な いこの痛みを許して下さい。愛しています。お母さん...... 』 痛みを許してくれという、死を選ぶほかはない自分の痛みを許してくれという、 一人の男の痛切な声が闇に乗って集会場を覆う。イ・ホンウ、今年38歳になっ た若い労働者、今正門前で集会が開かれている尾浦造船で働く労働者だ。しか し彼の声がここにあるだけで、今彼はここにない。11月14日の早朝、彼は切迫 した遺言を吹き込んだ録音機を胸に抱いたまま尾浦造船工場案建物4階から首に ロープを巻いて身を投げた。首が折れて肺が裂ける致命傷を負った彼は、長い 手術を終えて今、集中治療室に入院している。 『お前、おれは子供達にとって本当に醜いお父さんになりそうだ。愛して、も うこんなことがなかったらいい。息子よ、娘よ、この良い世の中に生れて、こ のお父さんが見られなかった最後を見て、先に行くことになりそうだ。本当に、 家族を愛してます.... 労働者が抑圧されて弾圧される時、組合は何をしたのか? 組合でどうしましたか。組合ではこんなこと起きるのだと思いますか? わかり ませんか? なぜ労働者が苦しむのか、つらい現場で監視されながら働かなけれ ばならないのが現実ですか?これが労働組合がすることですか?』 彼の声は涙に詰まり、しばしば切れる。尾浦造船の正規職労働者の彼は、7月 11日に大法院から尾浦造船の労働者としての地位の確認を受けたヨンイン企業 (尾浦造船4次下請け、2003年1月業者廃業)労働者の復職要求をする宣伝戦を繰 り広げた。 『イ・ホンウ同志は現場で働いていて怪我をしたのに、社内の物理治療室も利 用させず、チーム長はお前が好きな闘争でもしろと皮肉るばかりだったそうで す。その時、イ・ホンウ同志がどんな気持だったか..... 最近、現場組織が連 帯してヨンイン企業の労働者の復職を要求する宣伝戦活動をしてきましたが、 その後、使用者側からの弾圧がとても露骨になりました。私の場合などは、こ の前停職1か月の懲戒を受けました。管理者たちは活動家の一挙手一投足を監視 して、休息時間、昼食時間が一分でも過ぎれば時間を守らないと言って弾圧し ます。そして残業と特別勤務をまったくさせないようにします。事実、活動家 にも家庭があるのに、残業特別勤務をしなければ生活は楽ではありませんよ。 だから残業特別勤務を統制されると経済的にも心理的にもとても負担を感じる のが現実です。こんな状況ですから、現場できちんと息もつけません。こうし た使用者側の露骨な弾圧がイ・ホンウ同志を最後の瞬間に追いやったのです。 現代尾浦造船『現場の声』キム・スンジン議長インタビューより(蔚山労働ニュース) [出処:蔚山労働ニュース] 10月25日、蔚山の非正規職労働者の連帯のための体育大会で、尾浦造船のもう 一人の正規職労働者に会えた。昼休みを利用してヨンイン企業労働者の復職を 要求する現場闘争をした初日からすぐ弾圧が入り、彼が属していた現場組織で は指先を切って血書を書き、現場弾圧に対抗した。彼の中からも指先を押せば 赤い血がすぐぽたぽたと落ちる程、傷はなおっていない状態だった。 結婚して五年で、わずかな退職金から五千万ウォンを借りて家を用意したとい う彼は、昼食時間の宣伝戦に参加して会社に押され、特別勤務、延長勤務まで 全てできなくなったという。残業ができないので130万ウォン程度の給与だけで はローンの利子を払い、子供の養育費を差し引くと、当面の生活費にするのも 苦しそうだ。しかし彼が新聞配達をしても生活費に充てて、闘争を続けたため、 今回は会社は同じ班の労働者にも残業、特別勤務などの延長勤務をさせるなと 言った。休み時間も1-2秒間隔に強化し、同じ班の人々を困らせるので、彼は正 しいことをしているのに周囲に度々申し訳なく感じるという。イバラの畑のよう な彼の職場、彼はすでにこの道の上で多くの傷を負っていた。 「課長、部長、チーム長が自分の仕事ではないと言いながら、なぜヨンイン企 業で働くのか、みんな自分で適当に判断して暮すものだと言って懐柔します。 私も前にヨンイン企業のおじさんたちの顔もよく知りませんでした。しかし彼 らが解雇されて五年間、ゴミを拾い、アパートでビラ配りをして働いて、暮ら しに苦労して働いているのを私はすべて見ました。そんなことを見ると不利益 を受けても私が助けたいと思いました。私が部長さんにこう言いました。もし 部長さんが解雇されても私は同じようにしてあげますと。私が16の時から社会 生活をしていて、この尾浦造船は入社六年目ですが本当にうんざりで大変です。 外から見ると、尾浦造船は大企業で、中にはエリートだけがいるものと思って いたが、やってみると中小企業より悪いです。会社がそうしています。話をよ く聞く人が必要で、ちゃんと仕事ができる人は必要ない、君一人ぐらいいなく てもいいという考えが、いつの間にかそんな考えをときどき労働者に注入しま す。管理者たちがなぜそんなに労働者が稼いだ金で労働者をそう洗脳するのか、 とても苦しいです。」 その日、非正規職労働者連帯体育大会には尾浦造船正規職労働者がヨンイン企 業の労働者と一緒に参加した。正規職労働者たちが非正規職労働者たちを雇用 の防壁の盾とすることも公然と行われている現実の中で、尾浦造船労働者の連 帯闘争は格別だ。他の大企業と比べ、尾浦造船正規職労働者の処遇は悪く、労 働組合が現場の労働者を無視しているという現実も一役買っているが、尾浦造 船現場の労働者と会うと、彼らには人への真摯な愛があった。正規職、非正規 職を別として、苦しい同僚への切ない人情が生きていた。見掛けはしっかりし ているが、私たちの労働運動が失ったもの、尾浦造船の労働者たちにはその心 が生きていた。 昨年夏、尾浦造船の下請けだったヨンイン企業が尾浦造船労働者地位確認上告 審で勝訴判決が下された数日後、私はヨンイン企業のクォン・オギュン支会長 と会うためパンオジンに行った。知っている人が運営する会社で働いていると いう彼は、インタビューの要請が多く簡単に時間をあけるのは難しいといった。 私たちが会った時間も彼がちょうど仕事を終えた、夜10時を過ぎた遅い時間だっ た。生業のために時間をあけるのが難しい彼の要請で地域の新聞社の記者と 同行した道だった。 七月中旬の蒸し暑い夏の夜だったが、パンオジンの海辺には結構すがすがしい 風が吹いていた。その日、私たちに会いに来る道に野外用のシートを持ってこ ようとしたという彼の話がその後もしばしば思い出された。コーヒー代さえ重 い彼の人生はあまりにも貧しかった。その日、いっそシートを敷いて海辺に座っ て焼酎を飲みながらインタビューをしていれば、もっと気は楽だったのだろう か? 大法院の判決で復職の希望が見えたが、すでに2003年の解雇以後、この五 年間の人生はとても多くの人々の人生を破壊した後だった。かろうじて耐えた 三十人余りのヨンイン企業労働者の人生は、すでに何も慰労にならない程深い 傷を負っていた。 [出処:蔚山労働ニュース] 「ヨンイン企業の労働者は平均勤続年数が現在までおよそ20年以上です。草創 期の尾浦造船創社とともにヨンイン企業も成長してきました。その当時は労組 がなかった時で、直営も下請けも公平性は皆同じ時でした。今私の場合などは、 三十年になるまで長いこと働いて、本当によく苦労もしました。働いているう ちに尾浦造船労組が設立されても、わたしたちは労組に加入できませんでした。 それでも着実に仕事を続けてきて私たちが働いた修理ラインが斜陽になりまし た。なぜなら修理は国内では3D業種だというのでベトナムに行って、尾浦造船 は新規事業部に転換する過程で、私たちがその犠牲になったのです。 前は内注下請けは元請がほとんどすべて吸収をして、われわれは会社の必要に よって下請けをし続けましたが、外注に転換しろと言うので私たちも元請に吸 収してくれ、最後まで苦労して直営ができない仕事をみんな私たちがしたのだ から尾浦造船に吸収をしてくれと、社長に会おうとしても会わせず、会社の要 求は私たちに内注から外注下請けに転換しろと言っても、われわれはその言葉 を聞きませんでした。われわれは直営に転換しなければならない、長い間尾浦 造船と一緒だったのだから直営に転換してくれと言うと、1年6か月ほど仕事を くれませんでした。出てきて苦労したのが5年6か月で、会社で抑圧された時期 も合わせればおよそ7、8年は苦労したようです。結局新しい社長が赴任して、 私たちを解雇しました。物量を与えなかったりもして、どうしても言うことを 聞かないから自主的に廃業するというように誘導しました。 その当時、私たちが法的資料を準備しました。私たちがこうして退くことはで きず、だから私たちはその当時、そんな事例について大法院の判例も見て存続 関係が何かも調べて、会社に長いので中間管理者もよく知っているので対話も してみました。それでも会社統治権者がそんな方針を立てるので何も言えませ ん。組織社会だから。ヨンイン企業はたくさん表彰もされ本当に熱心に働く会 社でしたが捨てる時はこんな冷静にするのか、仲間たちがみんな歳を取って、 耳も遠く、からだも悪く、子供たちも育てなければいけないのに、会社は冷静 にそうした時は、前がまっ暗でした。最大限、社長と面談をしようと群れを作っ て、それでも機会が与えられず、2003年1月付けで解雇されましたよ。解雇され ても会社の前で熱心に闘争をしました。鄭夢準の事務室、会社正門前でも闘争 して、パク・イルス烈士闘争の時もよくしました。私は壇に上がってマイクを 持って、仮処分申請を受けてない渦中で罰金まで払って...... [出処:蔚山労働ニュース] 幸い、大法院の判決はこうなったが、その当時の書類を見ると、人事権問題だ とか、誰が見ても証拠が多いのに、地方裁判所も高裁も、その上労働委でも認 めくれなかった時、大韓民国の法は本当に持てる者の法なのか、その上、中央 労働委に行っても判決文を会社には一日前に出し、私たちには当日に出して、 法がとても持てる者の立場に立っているのでとても苦労をしました。私たちが 不法派遣でなければ偽装請負ですが、初めは労働部も認めなかったんですよ。 後で再調査をして、不法派遣と判定されました。そういうものが大法院までき て、こうして明らかになる六年という歳月がとてもつらかったです。これまで 私たちの班員たちがどんなに苦労したか、家庭の破綻で離婚した家もあって、 アル中になって憂鬱症になり、今も薬の治療を受けていてようなことを見れば 一家庭が企業の横暴で完全に崩れるのは一瞬です。その上に私たちは三十人が みんな固く団結して、今まできたのですが良い結果になって幸いです」 鍵販売、建設工事現場労働、ビラ配りなど、やらみなかったことがないほど苦 労して生きてきた同僚の話をするクォン・オギュン支会長もまた、長男が通っ ていた大学を中退し、下の息子は高校を卒業して大学進学をあきらめて軍に入 隊していた。彼はこのすべての苦痛の責任を尾浦造船元請に問うといった。 「会社の前にこんな文があります。私がうまくいけば家庭がうまくいって家庭 がうまくいけば企業がうまくいって企業がうまくいけば国がうまくいくのです が、世の中は逆に回っています。私が悪くなれば企業がうまくいく世の中です から....... 」 10月25日、非正規職連帯体育大会が開かれている運動場で、またクォン・オギュ ン支会長と会うことができた。サッカーが行なわれている競技場まん中で彼は 審判をしていた。夏よりずっと安らかに見えた。彼とヨンイン企業の労働者は 以前の仕事を整理して、今は復職闘争に専念しているという。 「大法院判決から三か月がすぎました。高等法院に差し戻された後、同僚は全 部仕事を止めました。今25人程が参加していますが、会社の意図は破棄還送さ れた裁判の時間を長引かせることです。もう六年間、十分に50回ほど準備書面 が行き来して攻防をしてきましたし、結局高等法院に差し戻されたものをまた 初期化させるため、そんな形で会社で時間稼ぎをしています。裁判がまた釜山 高等法院に来れば、会社はまた人脈と資本を動員して釜山で有名な弁護団を設 け、高裁にいろいろな方法を提示しながらそんなことをしています。 [出処:蔚山労働ニュース] 会社であいつらが要求するのがこんな調子で、少なくとも高裁裁判で賃金でも 削ろうと、そして私たちのヨンインの同志たちの定年は当時55歳だったので、 時間をかけて定年を過ぎる人員を十人程減らそうと、少なくともその程度を得 ようと血眼になっています。私たちの仲間が生計を放棄して朝夕門前の三叉路 で出勤闘争を続け、地域社会にこの事実を知らせようとしています。今、会社 は準備書面を出しますが、それが何かというと証人になってくれということで、 前ヨンイン企業で、後で今、尾浦で外注下請け業をしている人々がいます。二 人まではそんな人がいましたが1次、2 次、3次まで打ち出しながら、この人た ちを会社側の証人になってくれと主張しています。その人たちは二回まで書面 でこうしてくれましたが、今はまったく証人に立てようとするのですからとて も困惑しています。 しかも一つはプレゼンテーションで、映像物でまた全てを初期化して回答する と言い、また一つはまた現場調査をしようといいます。すでに現場がなくなっ たのに、そんな形でたびたび時間稼ぎをします。高等法院で3次審理が10月31日 に開かれます。それで仲間たちが来週から1人デモを計画しています。そしてあ との人々は3次審理を見て、ソウル側に、現代グループは事実鄭夢準にみんな属 していますね。尾浦の現社長、実力者としても私たちのヨンイン企業に責任を 負えません。事件がとても大きいから。それでソウルに行って鄭夢準事務室と 国会前での一人デモを計画しています。 現場の中では今三つの現場組織がヨンインのために動いてくれています。現場 の声のキム・スンジン同志がこの問題を現場に知らせて、数日前に懲戒委員会 に回付されました。色々な現場組織を弾圧をしてヨンイン企業事態に出るなと、 われわれは金属労組とともに今この問題を知らせて今、また党、民主労働党も この問題に乗り出す準備をしていて、この戦いは最高裁判決がでたのに長く続 くのではないか、とにかくわれわれはキャンドル文化祭も開いて闘争もして社 会にこの問題を知らせ、高裁でこの問題を一日も早く終わらせることを望みま す。仲間の家族の荷がとても重いです。生計問題が心配でまた妻が癌で闘病中 の仲間もいて、憂鬱症、アルコール中毒、またお嬢さんが塾に通いながら生計 費を稼いでお父さんをちょっと助けようとして火傷をしました。 何か、とんでもなく難しい環境に私たちが置かれていて、これをはやく終わら せたいので地域社会がこれを受けてとめてちょっと手伝ってくれればと思いま す。最高裁の判決が下されたのに会社は最後まで自分たちの意図のとおり引っ 張っていこうとする、そんな意図を事前に防ぐ方法を見つけましたが、金属や 地域本部もこの問題をヨンインの問題とだけ見ず、これを非正規職闘争の代表 的事例として共に防ぐような摸索をすべきではないかと思いますね」 予想通り、高等法院の判決は12月から、また来年へと、ますます先送りされて いる。その間、尾浦造船の労働者たちが停職を受け、弾圧を受け、ついにある 若い労働者が生活の崖っぷちで身を投げた。彼の胸の中には会社に向かって 『上がってくるな』という最後の絶叫が入った録音機があった。命をかけた最 後の絶叫も無視され、彼は滝のように血を吐きながら倒れた。1次、2次手術を 終えて3次手術を前にしている彼に、労働組合は、労組委員長は、たった一度も 見舞いにこなかった。労働者たちははっきり記憶するだろう。この背信を、こ の怒りを忘れないだろう。尾浦湾の風が冷たい。とても寒い冬だ。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2008-12-14 15:38:30 / Last modified on 2008-12-14 15:38:31 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |