韓国:イーランド秋夕集中闘争3日目 | |
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「〈私たちの素朴な夢を応援して〉を読んでとても泣きました」[現場記者席]イーランド秋夕集中闘争3日目- 2008年9月4日木曜日
パク・ビョンハク/ 2008年09月06日19時23分
指でこするときゅっと音がしそうなほど、空はなめらかできれいだった。初秋 の日差しをあびた世界を、目を細めてながめる視野に、イーランド・ワールド カップ労組のテント座込み場が入ってきた。私はワールドカップ競技場駅のエ スカレーターを出て、テントの方に行った。 テントの横ではためく旗、その横に置かれたスピーカー、そしてテントの周辺 のあちこちに置かれたピケが見えた。駅の入口に沿って立てられた鉄製の柵に は、イーランド資本を糾弾するという横断幕がかかっていた。組合員たちは、 テントの中に集まって話をしていた。ピケを整理しているイ・ギョンオク副委 員長に挨拶をした。 ホームエバー上岩店入口の横に、暗くてしめっぽい戦闘警察バスが見えた。ジー ンズにTシャツを着た、警備会社の職員なのか用役なのかの人たちは、一台ずつ 無線機を持ったまま、無表情な顔でぶらぶらと立っていた。 店の前をひと回り見た。戦闘警察バスは店の入口近くに合計三台あって、武装 していない戦闘警察が無線機を持って二三人の組みになって歩き回っていた。 他の店舗の入口にもいかめしい用役が立ち続け、通る人々を険悪な表情でにら んていた。何が恐くてあんな頑強な若者を呼び入れ、店を守っているのか、私 には分からなかった。組合員が鉄パイプでも持って飛びかかるとでもいうのか? 火炎瓶でも投げるというのか? 職場に帰らせてくれというのが全てのホームエ バーのおばさんたちは、パク・ソンス会長には誰を動員しようが、戦うべき敵 でしかなく、対話する相手にはれないのか? 公権力の子分になって、あるいは 用役業者の下手人になって、自分の若さを浪費している若者たちが残念だった。 黄色いTシャツがぱっと目に入ってきた。KTX労働者たちだった。通る人に黄色 い風船を配っていた。子供たちは喜んで風船を受け取り、げらげら笑いながら 店の周りを走っていた。私は子供たちに近寄り、風船に何と書いているのか読 んでみた。黄色い風船には『イーランドは悪い企業、買わないで下さい』と記 されていた。すぐワールドカップ分会の組合員と社会進歩連帯の人たちも、風 船を手に取り配り始めた。風船を持った人々が通りのあちこちでショッピング カートを押していた。 店舗入口の周辺に置かれたピケにはこんな文句が記されていた。 『消費者の力!不買運動参加!イーランド事態解決の近道!』 なにげなく店舗を振り返り、私は驚いてしまった。一昨日、梨花大フーアーユー 店の中でも見て、昨日、ホームエバー始興店の前でも見たあの図体の大きな人 が、今日もホームエバーワールドカップ店の前でうろついていた。用役業者の 幹部程度のようだった。何がそんなに不満なのか、眉間にしわをよせて、とて も暑そうにしきりに扇であおいでいた。 4時になり、宣伝戦が終わって集会が開かれた。組合員たちと連帯単位が集まっ て座ると、五十人ほどだった。ホン・ユンギョン事務局長が司会をして、イ・ ギョンオク副委員長が初めての発言をした。 「皆さん、私は飽きましたか? 私もこれから司会をしなければなりません。発 言ばっかりたくさんしたから(笑い)。今日は風船で幼い子供たちをオルグして、 両親がイーランドに行かないようにしたのですが、その作戦が成功したようで す。あまり店に人がいないでしょう? 子供たちがお母さんたちを行かせなかっ たのでしょうか?(笑い)......委員長が出征式の時の発言で、民主労総とサー ビス連盟に一言いったのですが、民主労総とサービス連盟が6日と10日の闘争を 私たちと一緒に闘うことになりました。これからどうするのかを見ましょう(笑 い)。(9月6日には民主労総ソウル本部主管でホームエバー上岩店で、10日には サービス連盟主管でもホームエバー上岩店で集会と文化祭が開かれる予定だ:筆 者)......ニューコアの仲間たちは、私たちが放置したのであんなことになった のだと考えます。ニューコアの仲間たちを考えて、熱心に闘争しましょう。」 続いてKTX労働者が出てきて発言をした。 「〈私たちの素朴な夢を応援して〉を読んで、本当にたくさん泣きました。私 たちが闘争をして感じた恐怖心や希望、涙といったものを、本を読みながら、 とてもたくさん感じ、周辺の人々が心配するほど本当にいつまでも泣きまし た..... 私たは920日以上、3年間闘争しています。他の人々はもうこれぐらい でいい、やめろと言いますが、私たちはKTXが開通した時、一緒に仕事を始めた 乗務員で、私たちがKTXの本当の糟糠の妻だと考えています.... 私たちが3年間 闘争して、しなかった闘争は何かを考えて、しなかった闘争をしてみることに して、今ソウル駅で高空座り込みをしています。私が前に闘争をして連行され た時より、鉄塔の下で上の仲間たちを見上げる今のほうがさらにつらいです。 ソウル駅の照明塔はとても古い鉄塔です。電車が通ると激しく揺れます。風が 吹いただけでも揺れるそうです。上の五人の仲間たちの恐怖心は到底言葉にで きません。そして用便問題が最も深刻で、今その仲間たちは飲食も調節しなけ ればならない状態です..... 私たちは高空座り込みができなければ他の計画を たてても、KTXに戻って働きます。私どもが千日近く戦って、キリュンが千日を 超えても、イーランドもそれだけ戦わなければならないということはないでしょ う。イーランドの一日も早い勝利を望みます。ありがとうございます。」 KTX労働者が発言をしている間、ホン・ユンギョン事務局長が隊伍の後ろに座っ ている私の所にきて、連帯単位発言をしてくれといった。私は『ソウル西部非 正規職センター準備会』の会員だった。手で遮って、繰り返し辞退したが、横 にいたセンターの同僚は、一度も発言したことがない私は手あかがついていな いからと笑いながら話した。およそ5、6年間にこんな多くの人々の前で発言し たことがない私はあっという間に頭の中がまっ白になった。 続いて社会進歩連帯の人が出て発言をしたが、私の耳には一言も入ってこなかっ た。何の話をどうするか、考えをあっちこっちかき散らしていると、ホン・ユ ンギョン事務局長の明るく澄んだ声が聞こえてきた。 「......パク・ソンス会長がイーランド重役を集めてこんな話をしたそうです。 『2000年までは労働組合が何か知らずにやられたが、もう絶対にやられない。 あの時、労組の幹部をみんな解雇できなかったのが一生の悔いだ』。その幹部 は、多分私でしょう?(笑い)」 暫くしてついに私の名前が呼ばれた。 「ソウル西部非正規職センターから連帯にきた方がいます。昨日も、見ている と後ろで手帳に何かを書き続けていたので、私は初め記者だと思いました。発 言を聞いて、いったい何を書いていたのか話をうかがいたいとおもいます。」 ホン事務局長は恐らくうまく発言できないという私の話を聞いては、あらかじ め話題を作ってやろうと、わざわざそのように言ってくれたのだろう。私はそ の配慮が有難かった。立ち上がって出て行くと、足がフラフラした。 「えーと...... 私は本来、三人以上の人の前ではうまく話ができません(笑)。 今も胸がどきどきしているのですが、私にはうまく話ができないので、ただ思 いついたことを気楽に話します。私はご飯を食べて寝て、飯の種を稼ぐ時間を 除けば、することが2種類あります。文を書くこととタバコを吸うことです(笑)。 私は上手に文を書けませんが、文を書くのが本当に好きです。それでイーラン ドの秋夕集中闘争を1日目から追いかけて取材をして、それで文を書いているの ですが、文を書いても載せてくれる所がないのです(笑)。インターネットニュー スサイトにあっちこっち送ってみたりもしたのですが、私の文の質が低いから か、どこからも拒絶されて...... 集中闘争が終われば五十枚ぐらいの文章にな ると思うのですが、それをどうすればいいのかわかりません。とにかくイーラ ンド秋夕集中闘争が終るまで一日一日を文に書いてみるつもりです.....」 そして私はできるだけ何かぺちゃぺちゃしゃべったようだ。私の話はあまり重 要なものではないので、これぐらいでやめましょう。私は発言を終えた後、ぎ こちない足取りでまた隊伍の後方に戻り、人々はまたシュプレヒコールをあげた。 「ホームエバーに行かないで下さい!」 五時十五分ぐらいに集会が終わった。組合員たちと連帯単位は< また宣伝戦の ためにチラシと風船を持った。テントの横の方では、進歩新党恩坪区党員たち が夕食の準備をしていた。カレーライスだという。 私は突然小便をしたくなって、ホームエバーの店に入ろうとした。するとピン ク色の上衣を着た真っ黒い用役が私を遮った。 「どこへ行きますか?」 何でだろう? 私は争いたくなかったので、静かに背を向けた。非正規職センター の同僚にたった今体験したことを話した。 「私ももう顔が売れたためか、トイレにも行かせてくれない。」 「ひどいやつら。なんで人が入るのを防ぐのか? なぜ防ぐのかとちょっと言っ てやればいいのに。今日の集会で、やつらが敏感になったのか、あるいはあい つらは警備会社の職員ではなくて、ただアルバイトで来たやつらだからかもし れません。そんなやつらは何も考えないから。」 私はこっそりと別の入口に行った。やはり用役が立っていたが、私の方は見る こともしなかった。私はゆうゆうと入って用を足し、さっきそのピンク色の上 衣を着た用役が立っていた入口から出てきた。わざわざその用役の横を通ると、 彼は不機嫌そうに横目で私をにらんだ。 宣伝戦のために組合員と連帯単位が風船とチラシを持ってあちこちに散った。 私はセンターの同僚とチラシ一束を持ってホームエバーの入口の方に行った。 組合員と共に店舗の入口直前でチラシを配ろうとすると、用役が荒々しく体で 防いで「歩道の外に出てやって下さい」とおどした。「私たちが配るのになぜ? お前たちは何だ?」組合員が抗議すると、ある用役が荒っぽく遮り、「ああ、そ れでは集会申告書を出してください。ここでの集会を申告して来てください」。 かえってけんか腰だった。私も通る人に何枚かチラシを配っていると、用役が 来て歩道の外に出ろと文句をつけた。私は聞こえないふりをした。他の組合員 たちはプラカードを持って店舗入口の前に何も言わずに立っていた。 用役たちは私たちの周囲をぶらぶらして、チラシが配れないように妨害した。 「出てやってください。出て行って」。センターの同僚が「歩道の外に出たら 誰にどうやって配るのですか?」と抗議しても、馬の耳に念仏だった。それで もセンターの同僚が用役の言葉を無視して通る人にチラシを配ろうとすると、 用役はセンター同僚を丸太のような腕で押し退けて、遠慮なく戦いを挑んだ。 それからへらへら笑いながら言った。「私もあなたたちとけんかをしたくはあ りませんから?」 どうしても店舗入口の方が人々が一番多く出入りするので、そこでチラシを配 るのを、何をしても阻止しろと用役たちも教育を受けたのだった。彼らは金を 受け取ってからだを売る人々だった。言われた通り、やれといわれるままする 人々だった。私はどこか見えない所でクスクス笑っている巨大で暗い力が勝手 に用役と私たちを戦わせているという、あの陳腐な構図を思い出した。あの人 たちも、明らかに愛する誰かがいて、小さなときにお母さんの暖かい胸を覚え ていて、好きな食べ物があって、悲しい時は涙を流すはずなのに...... こんな に険悪な顔を突きつける姿以外、私は用役たちが友人と酒を飲んだり恋人と腕 を組んで歩いたり、お母さんの肩をもんであげたりという姿を見たかった。そ んな姿を見れば、用役をこんなに嫌わずにすむのではないかと思ったからだった。 だがどうしようもなかった。われわれは人々にチラシを配らなければならず、 彼らはそんな私たちを妨害しなければならなかった。 小心な私は、用役からよく見えない隈に行ってチラシを配った。秋夕までいく らも残っていないが、店の中に入る人々はあまり多くなかった。ぽつりぽつり と近寄ってくる人々に一枚ずつチラシを握らせていると、ふと上を見るとサッ カー場に入る私の上の階段に立って私たちを見下ろしている人々が見えた。 無線機を持っていた。どうせ用役でなければ警察だ。 人が通らず、椅子に座ってしばらく休んでいると、店舗の柱に貼られていた チラシが眼に触れた。 人員募集 誰かが私の背を氷でなでたように、私は背筋が寒くなった。言うことを聞かな ければ無条件に解雇して懲戒する凄じいホームエバーに誰を招くのか? 何の感 情もないような事務的な言葉で書かれていたが、字の後ろでは労働という甘い 汁を吸った後は、捨てればそれまでだという陰険な笑い声が聞こえてきた。虎 の口のようなところに歩いて入ってくる新しい人々のとこを考えると、思わず ため息が出てきた。 六時になり、宣伝戦が終わった。カレーのにおいが漂ってきた。人々は使い捨 て容器に飯とカレーを入れ、キムチとたくあんを添えて夕方をおいしく食べた。 「ジャガイモがなんでこんなに固いんだ?」 人々はハハハと笑いながら丸くなって座り、仲良く飯を食べた。 私はご飯を食べて遠く違うところに座り、一人でタバコをスパスパ吸いながら、 空を見上げていた。薄暗くなっていた。冬の雪のような雲。また一日が暮れる。 非正規職長期闘争事業場の闘争日数がまた一日増えようとしている。人々はテ ントの前に集まって座って話をしているが、私一人だけは無駄な感傷にひたっ てしまった。 トイレに行くために店の中に入った。用を足した後、ふと店舗の中を一度よく 見たくなった。室内は明るくて清潔で快適だった。 韓国の民族衣装をきれいにきちんと着た若い販売員が秋夕贈り物セットの前で 両手をきちんとあわせて立っていた。そのそばを過ぎ去ると、販売員は私の方 に向かってしなやかな、あるいは十分に訓練された声でこう話しかけた。「お 客様、お母様お父様に差し上げると良い贈り物です」。試食コーナーでは、き のこを熱心に炒め、イワシの贈り物セットの前に立って、誰が通り過ぎ去よう ものなら反射的に「お客様」を呼び、山積みの商品を腰を曲げて整理し、レジ で金と機械とお客さんと商品に苦しめられ、その他にも飯のために汗を流しな がら働く店舗の中すべての女性労働者の共通点は、みんな椅子がなく立って働 いているということだった。 なぜそうしなければならないのだろうか? 座っていればお客様が不快に思うの だろうか? からだが楽になれば精神が緩むのだろうか? お客様は立って歩くの に、あえて労働者が座るというのは自分の力量をわきまえない分不相応な行動 なのだろうか? 分からない役割だった。多くの商品に目が疲れ、私は店舗の外 に出た。 外はいつのまにか薄暗くなっていて、いつのまにかテントの前では闘争文化祭 が開かれていた。退勤する会社員と、授業が終わった大学生が続々と来ている のか、さっきより人が増えたようだった。 イーランドワールドカップ分会のダンスチーム『神話』が初めての公演をした。 人々は一人二人とキャンドルを灯し、自分の前に置き始めた。 続いてソウル市蘆原区からきたというある市民が『オカリナ』という楽器演奏 を聞かせてくれた。どこかでよく聞いたような音楽のように思ったが、ペク・ ジヨンの『愛せなくて』だった。その市民はその後、何曲かを演奏して、歓声 を受けながら自分の席に入った。 進歩新党恩坪区委員会から年を取って落ち着いた、おばさんというよりはおば あさんに近い方が出てきて発言した。 「私はデモというのは無条件に悪いと思っていました。デモはアカがやること で、本当にこんなにデモばかりしていると北朝鮮が攻め込んで戦争が起きるか も知れないと思っていました。ところが米国産牛肉問題でキャンドル集会に出 かけてから、この歳になって新しいことを発見しました。私も放水を受けて、 入院たのですが...... 少なくとも私が役に立つ所を探して、進歩新党に加入し ました。ところが加入すると、また私が知らずにいた胸が痛いことがとても多 いのです。私は牛肉を食べたくないから集会に行ったのに、別のところではご 飯を食べるために闘争している人々がいるのです。とても胸が痛くて、とても 泣きました。私はイエスを信じています。それでお祈りをしました。神様、な ぜ貧しい人々だけがつらくて、豊かな人々はどうしてますます高いところに上 がるのですか..... 私もイーランドの仲間たちの役に立ちたくて、さっきカレー 作る時、手伝いました(笑い)。私はあとどれほど生きられるのかわかりません が、こういう場があれば必ず参加して私ができることをしたいです。ありがと うございます。」 民衆歌謡歌手、キョン・ミョンイン氏の公演があって、続いて全教組ソウル支 部初等西部支会の支会長イ・プドク先生が出てきて発言をした。 「私は学校で道徳を教えています。初め、私が道徳を教えろと言われた時、率 直に言ってとてもあわてましたが、授業をしてみると教科書の外にある道徳を 教えることになって、むしろうれしかったです。子供たちとイーランド闘争の 動画を見て、討論もして、君たちのお母さんのような方々がなぜこんなに苦労 しているのかという話もしました。子供たちも怒って興奮をしています。なん でこんなことが出来るのかと。ある日はある子供が来て私に話をしてくれたの ですが、お母さんが服を買うと言って2001アウトレット連れて行こうとするの を止め、結局市場で服を買ったと自慢しました。まだ子供たちには希望がある んだなと思いました..... 闘うとき、最も苦しいのがまさに孤独です。皆さん が孤独にならないように、私たち全教組初等支部も共に戦います。」 発言を終えたイ・プドク支会長は、イ・ギョンオク副委員長に闘争支援金百万 ウォンを渡した。拍手が大きく鳴った。後ろを振り返ると、いつのまにかさっ きよりはるかに多くの人がきていた。大体、百人ぐらいいそるようだった。 イーランド組合員たちの替歌公演があるという。徹夜で歌詞を作ったという組 合員三人が出てきて、歌詞を書いた紙を見ながら歌を歌った。 いつも私に長い間の友人のような 私が知らない歌なので、原曲が何か分からなかったが、歌詞ははっきりわかっ た。始めの曲を終わり、すぐ次の二番目の曲は幸い私が知っている『昭陽川娘』 だった。 カルフ、ホームエバーに変わって2年 人々は笑いながら手をたたいて歓声をあげた。続いて梨花大のダンスチーム 『闘魂』の公演があり、次はイ・ナムシン首席副委員長が発言をした。 「ああ、うんざりします(笑い)。もうテントもストライキもパク・ソンスも、 うんざりです。でも後で勝利して、私たちが現場に帰れば、こんなに良い天気 の夜に文化祭をしたことがとても記憶に残るでしょう。もちろん生計費を受け 取ったあとで(笑い)......われわれは今、秋夕集中闘争をしています。窮地に 追い込まれたイーランド資本とけりをつけるための闘争で、多くの連帯の仲間 と一緒にする闘争です。今回の土曜には民主労総主管で集中闘争があります。 同時多発1人デモも準備されています。キリュン電子、KTX、イーランド...... 本当に9月には勝たなければなりません。勝利できるよう切に願います。共に見 る夢は現実になるという言葉を最近よく考えます。夢が現実になる月が9月にな ると考えます。スローガンを叫びましょうか? イーランドに行かないで下さい! イ・ナムシン首席副委員長の最後のスローガンに、人々はすべて笑った。続い てキム・ソンマン氏の公演があって、その公演を最後にイーランドの秋夕集中 闘争3日目の日程はすべて終わった。 連帯単位と組合員が一緒にする後始末がテントの前であるといって席を立ち、 カバンを一つ一つ取りまとめていると、ホン・ユンギョン事務局長が私のとこ ろにきて、オ・ドヨプ詩人を紹介してくれた。私がイーランド闘争を追いかけ て書いた文をどこかにのせられるということだった。私はオ・ドヨプ詩人に連 絡先を渡し、Eメールアドレスを受け取った。どこに載っても載らなくても、一 人でも文を書くつもりで始めた作業だったが、どうしてももっと多くの人々が 読んでくれてこそ、イーランド労働者の力にもなると思った。 打ち上げのときに酒を飲む瞬間瞬間、私は私が書く文について考えた。どんな 視線でこの闘争を見るべきなのか? どんな視点から文を書くべきなのだろうか? 労働者の戦いを見物しにきた人のように文を書いてはいけない。見聞きし、感 じたことを書く紀行文のように書いてもいけない。 重要なことはただ一つだった。私が書く文はイーランド闘争の実質的な助けに ならなければならなかった。 私が文章にあまり多くのことを期待しているのだろう? 私は何の返事もできず、 ただ酒を飲むだけだった。どうなろうとも、とにかく書くしかなかった。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2008-09-11 10:21:29 / Last modified on 2008-09-11 10:21:29 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |