「大宇事態」の経緯
今回の「大宇事態」の経緯をかいつまんで説明します。
- 大宇とは
97年、韓国がIMF管理下に入り、無理な借入経営体質を持つ韓国企業の構造
改革が始められたが、金宇中氏を総帥とする大宇グループは、五大財閥に
数えられる超一流企業だったが、IMFの高金利政策の負担に耐えられず、99
年に金宇中氏が総帥の座を降りた。大宇グループは解体、経営の刷新によ
り経営再建を図ったものの、大宇グループに残された大宇自動車は経営が
振わず、膨大な赤字を生んでいた。
- 大宇車倒産
政府系の銀行を債権団の中心として経営不振に陥っていた大宇車の立て直
しが図られたが、債権団は大宇車の自力更正は困難とし、海外の自動車資
本に大宇車を売却する方針を立て、フォード、GMなどを中心に売却交渉を
行なってきた。しかし、債権団が最有力候補と見ているGMは買収に難色を
示し、それに対して債権団は大規模なリストラや、韓国企業の「問題」と
される労使関係の大胆な整理を決意、大宇車支援の前提として大幅な人員
削減を提示、労使はこれを巡って交渉を続けた。しかし、大幅な解雇を前
提とするリストラ策を労組が受け入れず、債権団は支援を停止、結局2000
年の末に不渡りを出して倒産した。
- 整理解雇について
96年の労働法改正で整理解雇が認められるまで、韓国では「終身雇用」を
前提とした雇用慣行が守られてきた。しかし、IMF管理下で終身雇用の維持
が困難になり、各分野で整理解雇が行なわれてきたが、今回の1750人とい
う大宇車の整理解雇は、現在の日本の感覚ではそれほど大量の解雇とはい
えないかもしれないが、韓国国内ではこれまでに例のない大量解雇で、労
組は強く反発している。また、労組が解雇に強く反対する理由として、韓
国では雇用の流動性が低く、解雇された労働者の受け入れ先が極めて少な
いこと、および最近の景気の低迷により、雇用そのものの数が極度に減少
していること、失業保険や生活保護などの社会的な安全網の整備が不十分
であることなどを考慮する必要がある。
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Created on 2001-02-26 04:52:52 / Last modified on 2005-09-05 08:11:28 Copyright:
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