本文の先頭へ
LNJ Logo 韓国:サンケン電気偽装廃業に反対して闘う韓国サンケン労働者の話
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1623329178863St...
Status: published
View


「われわれは負けない闘いをしています」

[ルポ]日本サンケン電気偽装廃業に反対して闘う韓国サンケン労働者の話

ヨンジョン(ルポ作家) 2021.06.04 07:33

▲慶南道昌原市の馬山自由貿易地域で帰宅宣伝戦をする韓国サンケン解雇労働者[出処:ヨンジョン] br_

300日以上空の工場を守る労働者たち

「馬山輸出自由地域の裏口、作業が終わってあふれ出る人波は何と1時間以上続く。 広いアスファルトを埋める若者の重い足音は沈む太陽とともに地面の中に染みる。 解雇の威嚇から来る不安、管理層と外国人の人格的無視、 つらい労働に対する薄い給与、判で押したように同じ単調な作業など、 数多くの問題を抱いて彼らは明日、またこの門に入る。」 (「馬山輸出自由地域の実態」、イ・チャンボク、『創作と批評』 1974年冬号)

47年経った2021年5月14日の夜、 慶尚南道昌原市両徳洞の馬山自由貿易地区(旧馬山輸出自由地域)第3工区。 工団は物寂しい。 小さな2車線道路を挟んで年式が感じられる1階建ての建物と 最新のアパート型工場がある。 ぽつぽつと飲食店や医療施設も見える。

馬山自由貿易地区(旧馬山輸出自由地域、以下輸出地域)は 輸出自由地域設置法(1970年)により、外国人投資の誘致で輸出を振興し、 雇用を増大させる目的で1973年に完工した韓国最初の自由貿易地区だ。 28万坪の敷地に3つの工区で作られた輸出地域には、 最高3万6千人(1987年)の労働者が働いていた。 輸出地域に入居した企業は所得税・法人税・財産税・取得税などの 租税免除・減免、安い賃貸料(坪当たり月60ウォン、標準工場坪当たり月580ウォン)、 輸出入営業税と関税・物品税全額免除などの恩恵を受けてきた。 彼らは電子・電気・機械金属・化学・工芸・繊維など、 労働集約的な工場に韓国の20代の女性労働者を低賃金(日本の場合、自国の6分の1水準)で雇用して莫大な利潤をあげた。 また、外国人投資企業の労働組合結成と労働争議を規制する国内法条項を利用して労働者の要求を抑圧し、 資本撤収と解雇を武器に労働強度を高めた。 日本では「韓国は企業活動の楽園」という言葉があるほどだった。

1987年に前述の労組結成制限法が廃止され、 輸出地域に民主労組が生まれて労働者の闘争が活性化すると、 外国資本の撤収が本格化する。 1990年代以後、輸出地域内の労働者数は毎年減少し、 今は87年度の5分の1にしか(2019年5400人)ならない。 外国の企業はあらゆる恩恵を受け、早ければ3〜4か月から1年以内に投資した資本金をすべて回収し(イ・チャンボク、上の文参照)、 その後も20〜30年以上利益を上げて出ていった。 韓国スミダ電気や韓国TC電子、韓国ウェスト電気、韓国山本などの事業場がその事例だ。

工団のその道の突き当りに韓国サンケンがある。 赤いバラが咲く塀、木と花が植えられた広場を想像していたが、 そんところはなかった。 ぽつりと建っている3階建てコンクリートの建物一つが、 47年になる日本サンケン電気の韓国工場、韓国サンケンだ。 ただ効率と費用削減だけを考慮して作られた建物だ。 韓国サンケンは1973年、輸出地域に日本のサンケン電気が100%出資して設立した会社で、 電源装置やトランス・CCFL(冷陰極蛍光ランプ)・LEDなどの電機電子部品を生産してきた。 韓国サンケンも他の入居企業と同じように、あらゆる恩恵を受けていた。

当社(韓国サンケン)は 2021年01月20日付で廃業しったことをおしらせします。

閉じられた建物の入口のガラス扉には、精魂を込めて書いたとは思われない 廃業公告文と廃業事実証明書が貼られている。 夕景の海風に翻る短冊に囲まれた空の工場がものさびしい。 その空の工場の前のテント座込場に306日間、人が暮らしている。

テント座込場に入ると、人のぬくみが感じられる。 きちんと整理されたミネラルウォーターとコーヒー、フライパン、鍋、即席調理食品が 真っ先に目に映る。 釜山の領事館とLG電子の昌原第1工場など、1日の闘争スケジュールを終えて戻ってきた労働者が テントの中で休んだり外で談笑する。 短くても10年、長ければ32年間、韓国サンケンで働いてきた労働者たちだ。 彼らは1月20日、親会社の日本のサンケン電気による 一方的な廃業(法人解散)で解雇され、 日本のサンケン電気の偽装廃業撤回・韓国サンケン工場正常化・解雇者復職を要求して闘争している。

清算資金100億ウォンで工場の再稼働を要求したが

午後5時、労働者が横断幕を持って4車線道路を渡り、 馬山港第3埠頭正門前に行く。 退勤宣伝戦をするためだ。 会社の前には行き来する人がなくなってきたが、 ここも時々自転車に乗って通る人と車両以外にはひとけがないのは同じだ。

▲慶南昌原市馬山自由貿易地域の韓国サンケン工場[出処:ヨンジョン]

昨年7月9日、退勤宣伝戦をしていた労働者たちは、 日本のサンケン電気のホームページで、理事会が韓国サンケンの解散を決定したという事実を知るようになる。 廃業を防ぐために工場の前にテントを張って慶南道庁と昌原市庁・釜山領事館・青瓦台・国会・サンケン電気ソウル営業所などで闘争をした。 しかし、サンケン電気は廃業を強行し、16人の生産職労働者が解雇される。 会社は十数年間続いた累積損失で、もう正常な経営は不可能だとし、 年間50億の赤字だと主張した。 韓国サンケンの人員と生産規模を考慮すれば、可能ではない金額だった。

「赤字の根拠を要求すると、 損益計算書と貸借対照表3年分はくれました。 赤字の原因を汁には詳細な内容が必要だが、 それはくれず、自分たちに有利な資料だけをくれたのでしょう。 これまで新しい製品生産が必要だと言い続けてきたのに、 会社は全く聞かなかったんです。」 (オ・ヘジン韓国サンケン支会支会長)

7月9日以後に開かれた労使交渉で、 会社は慰労金を受け取って出て行けという要求だけを続けた。 サンケン電気が清算資金として策定した金額は10億円(約100億ウォン)で、 労働者に対する慰労金、通常賃金60か月分を含む金額だ。 労働組合は、いっそその金で新しいアイテムを開発して設備を補充し、 工場を再稼働しろと要求したが、 会社は雇用に対するいかなる代案も提示しなかった。

最後まで残った民主労組韓国サンケン支会

「私が初めて入った時までは人が多かったです。 出退勤時間にはあの正門と裏門に満ち潮・引き潮のように集まりました。 信号があるところにも人がびっしりと立っていて。 その時は歩いて出退勤する人が多かったんです。 しかしいつか人が出て行って、自動車によく乗るようになって。 春にはここに桜の花がたくさん咲きます。 お昼を食べて同僚と裏門まで歩いて行ったりしました。」

▲慶南昌原市の馬山自由貿易地域にある韓国サンケン工場前のテント座込場[出処:ヨンジョン]

1994年に韓国サンケンに入社し、27年間働いて解雇されたイ・ジョンヒ氏が話す。 輸出地域の労働者数が1万5千人以上になって、 韓国サンケンには20代の女性労働者100人が働いていた時だった。 その時、ジョンヒ氏は電源供給装置SMPSの生産業務をした。 2000年代の初期、CCFL(LCDディスプレーのバックライト光源)生産工程が導入され、 男性労働者が大挙入社して多い時は500〜600人が4組3交代で勤務をする時もあった。 休み時間や昼休みには会社の売店が騒々しかった。

「同年代が多くておもしろかったです。 誰が祭事で食べ物を包んでくれば休み時間に集まって食べて、 昼休みに現場でチェギ(訳注:韓国の蹴鞠のような遊びで使うシャトル)を蹴ったり。 ご飯を食べたら労働組合の事務室のソファに座ってしゃべったりしました。 労働組合の懇談会をする時もあって、 とても疲れると少し眠ったり。 本当に青春をすべて捧げた工場なのに。 一方ではさびしくて、一方では胸が痛みます。 私にとって韓国サンケンはそんな存在なのです。 どうせ他のところに行って働かなければならないのなら、 サンケンで働きたくて闘争を選択しました。 サンケンには労働組合もあるから。 以前よりも大変かもしれませんが、最後まで闘争するつもりです。」 (イ・ジョンヒ)

イ・ジョンヒ氏の韓国サンケンの歴史で大きな一つの軸には労働組合がある。 ジョンヒ氏が入社した時は、義務的に残業をしなければならず、 遅刻や早退もありえなかった。 労働組合(韓国労総所属)に建議したが反映されなかった。 労働組合の事務室に組合員が気楽に出入りすることもできなかった。 1995年、韓国サンケンに民主労組が生まれ、 上級団体を韓国労総から民主労総に変更した。 それからミョンヒ氏はもう強制残業をしなかった。 労働組合の承認がない残業はありえないからだ。 韓国サンケンの労働者は1997年にインドネシアに移転しようとする会社に対抗して、 300日以上闘争して勝利する。 団体協約に整理解雇をする時は必ず労働組合と合意することはもちろん、 2年間の雇用維持義務を明示して、 女性労働者が結婚や妊娠とは無関係に定年まで勤務できる職場を作った。 また、産前・産後休暇を作り、妊娠した労働者の夜間労働禁止、 授乳中の労働者のための別途ラインの新設と授乳時間保障など、 今でも想像できないような労働条件を争奪し遂げた。 韓国サンケン支会は輸出地域で一番最後まで残った民主労組だ。

「昔、私が支会の事務長をしていた時ですが。 昼休みにお姉さんたち25人が座って話すのですが、本当に騒々しいのです。 私はいつもご飯を食べて外に出て行きます。 その記憶がとても長く残っています。 その時が懐かしいです。」 (ヤン・ソンモ)

ヤン・ソンモ氏は、2003年にCCFL生産をはじめようとする時、 機械を管理して補修するオペレーターとして入社した。 新入男性労働者が「お姉さんたちの前で、あえて話もできない」時だった。 民主労組を作って大きな勝利を経験した女性労働者は恐ろしいものがなかった。 ヤン・ソンモ氏は日本のサンケン電気がLEDの登場で斜陽産業になるCCFL事業を拡大し、 大規模な赤字になったと言う。 会社は全盛期の時、すべての利益を持っていき、 事業が振るわなくなると、すべての責任を労働者たちに転嫁した。

和解勧告に対するサンケン電気の返事

47年間、サンケン電気は韓国サンケンで7回の希望退職を公告して、 3回生産事業部撤収を試みた。 サンケン電気は2016年にも経営悪化を理由に生産部門を廃止して、 生産職労働者69人を解雇した。 そして地方・中央労働委員会の不当解雇判定と1年間の日本遠征闘争の末に 希望退職者を除く16人が復職する。 会社は復職にあたり、労働組合と工場の正常化のための諸般措置をすると合意をしたが、 これまでたった1%も機械生産設備に投資しなかった。 日本のサンケン電気は意図的に「金にならない」事業を韓国工場に配置して赤字を作った。 そして新型コロナで労働者の日本遠征闘争が難しくなると、 突然計画にはなかった韓国サンケンの廃業を決定した。 日本のサンケン電気は本当にきれいに韓国から出ていったとすれば、 労働者たちは他の選択をしたのだろうか?

▲退勤宣伝戦をするために道を渡る韓国サンケンの労働者[出処:ヨンジョン]

サンケン電気はソウル市麻谷洞のソウル営業所をずっと維持して、 同じビルにLGとサンケン電気の合弁会社(サンケン電気51%、LG 49%)、 アドバンスパワーデバイステクノロジーを作り、研究開発をしている。 2018年にサンケン電気は私募ファンド(IBKSセミコンPEF)を通じて 具本俊(ク・ボンジュン)氏(LGグループ副会長の息子)が所有していた 天安の(株)EK(旧ジホン)を160億ウォンで買収し、韓国での生産を継続している。 労働者はEKから出荷される商品ボックスに 「サンケンエレクトリック・コリア」の商号を発見した。 偽装廃業が疑われる情況は一つや二つではない。 最近、韓国サンケンの建物が市価の半分程度の9億で売却された。 買収者は具氏の姓を持つ人と関係がある31歳の製造業者だというが、 9億のうち7億の融資を受けたという。

こうした偽装廃業の情況にもかかわらず、 5月13日、慶南地方労働委員会は韓国サンケン労働者が出した不当解雇救済申請を棄却した。 判定に先立ち、慶南地労委は判定を留保して1週間の和解勧告期間を与えたが、 サンケン電気は何の努力もしなかった。 労働者たちはサンケン電気ソウル営業所に交渉要請文書を持って訪問したが門前払いされる。

「和解勧告の期間に日本のサンケン電気本社前で私たちの闘争に連帯する日本の市民が連行されました。 和解勧告に対するサンケン電気の返事ではないでしょうか? 私たちを諦めさせようとしてそんなアクションを取ったのでしょう。 地労委の結果は予想していました。 一度に判決を出すのは心苦しくて、悪口を聞くのも嫌なので責任を回避したのでしょう。 金を受け取って整理する機会を与えるということでしょう。 廃業したのだから普通、どうしようもないというでしょう。 偽装廃業の正確な証拠の確保が難しいので、 天安EKのような場合も関係ない会社だと言えば終わりだから。」 (ペク・ウンジュ)

20歳で韓国サンケンに入社して、 20年間働いてきたペク・ウンジュ氏は、 日本であのように連帯する人たちがいるから必ず勝つ戦いだと言い、 最後まで戦ってまた工場に戻りたいといった。

彼らに私たちを見せてやりたい

ウンジュ氏は朝晩毎日二時間ずつ海風に吹かれて横断幕を持っているので、 とても腕が痛くなるといった。 風を避けるために後に回って立っていたりもする。 腰のディスクで苦労する労働者もいて、ガンの治療を受けながら闘争している労働者もいる。

人々は言う。 会社がなくなるのに、もうそろそろ生きる道を探すべきではないかと。 民主労総も、金属労組も、答がない闘争だという。 だが、16人の労働者は今日も明日も、海風に吹かれて、横断幕を持つだろう。

▲韓国サンケン工場の前で韓国酸鉛の労働者[出処:ヨンジョン]

「20代で入ってきて、本当に献身して働いたし、 家族と過ごした時間よりも工場で過ごした時間のほうが長いのです。 そうして工場を大きくしたのに、利益は彼らがすべて持っていって、 彼らの問題で出た赤字の責任を労働者に負わせて、 500人を越える人員が全て追い出されました。 会社は希望退職で出て行ったというけれど、 労働者が選択したのでないでしょう。 謝罪の一言も聞いていません。 私たち残った16人は全て、今の状況はとても良くありません。 生計問題と年齢もあって、以前、戦ってきた時間のおかげで からだがきちんと動く人はあまりいません。 それでも闘争の手綱を離したくありません。 彼らに私たちを見せてやりたい気持ちがあります。 工場で30年働いた労働者を一日で路上で追い出してそれを受け入れろと言いますが、 闘争は私たちが選択できることです。 私は負けない闘いをしていると思います。 われわれはわれわれができる闘争をするから、彼らが選択しろと言いたいのです。 その時まで、われわれは戦いを続けるでしょう。」 (ヤン・ソンモ)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2021-06-10 21:46:18 / Last modified on 2021-06-10 21:46:21 Copyright: Default

関連記事キーワード



世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について