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韓国:[連続寄稿](3)セウォル号惨事2周年を迎えて
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セウォル号惨事2年、記憶と約束の力

[連続寄稿](3)セウォル号惨事2周年を迎えて

ペ・ソヨン(4・16連帯事務局長) 2016.04.15 10:11

セウォル号惨事。20140416。

全国民がスマートフォンで惨事を見物しなければならなかった衝撃的な記憶は、まだそのままだ。 2年前。せいぜいわれわれにできることは野次馬程度だったという事実に気付いた。 国家と国民。21世紀と先端の現代民主社会。そんなものは存在しなかった。 あの大きな船内に304人が、それも島に近い沿岸で、何の案内も救助もなく水葬されている間、大統領は、軍隊は、公権力はなかった。 全員救助という地上波テレビの誤報、あるいは脚本のように見える何かの誤報をそのまま信じたかった私たちがいただけだ。 言論もなかった。

惨事をめぐり殺人魔、虐殺という単語が出てきた。 問題になるという表現でもあった。 事実、殺人魔という表現は4月19日、当時不明者の家族が「青瓦台に行こう」と決心した翌日、 公権力が彼らの青瓦台デモ行進を阻止した4月20日の明け方に家族たちの口から出た。 「政府は殺人魔、息子・娘を生き返らせろ!」

虐殺。故意の水葬としか解釈できない事態の直観は、十分に虐殺という単語を連想させるものだった。 これはただ二つの目で見た光景を通して得た連想だった。 どうしてあんなことができるのか。 惨事がおきた海域の地点が、手で触れそうに近く見えること自体が苦痛な東巨次島。 そこに行けば画面の距離よりもはるかに近いことを感じ、第2の衝撃に包まれることになる。 それにしても、どうして! 人が暮らす島からとても近い、養殖場周辺なのに救えないとは。 救わなかったのと同じだと感じるほかはなかった。 しかし虐殺は相変らず議論されている。 沈没原因、救助放棄、沈没したセウォル号。 これの確認と調査は相変らず元の場所から動かない。

例のない被害者家族の団結した歴史的な闘争と献身。 多くの黄色いリボンの波と国民的共感。 しかしこの原稿を書かなければならない理由は、よく分からないと言って放送は巧妙に隠し、 その上セウォル号の疲労度の情報操作まで加えり、われわれは相変らず目の見えない者の国家から抜け出せずにいる。 わずか2年前で大惨事があったのに、われわれはインターネットを通しても正しく知ることが難しい状況に今も直面しているのだ。

政府与党の執拗な妨害

政府与党は2014年、総力で防御した。 兪炳彦(ユ・ビョンオン)のミステリーが恐らく防御の絶頂だったと信じる人は今も多い。 国家情報院と清海鎮海運の間は、上官と部下の関係のように数百の指摘事項があれやこれやとハングルファイルにゴマ粒のように収録されていた。 選挙介入も厭わない大統領の忠実な見張り役、国家情報院は、 セウォル号の実際の所有主だという致命的な疑惑から自由ではない。 政府は聖域がない調査、捜査は死力を尽くして防げという指令を実際に出したことが確認された。 海水部の指示文書がそれだ。

2014年5月、セウォル号家族は真相究明特別法制定を叫んだ。 そして千万署名を訴えた。 数百万の署名の波は一瞬のうちに広がっていった。 政府与党はまさかと思った。 補償と支援に関する特別法でもなく、捜査権と起訴権も含む真相究明特別法の聴聞が目の前に見えると、政府与党は総力をあげて妨害し始めた。 特検を代案として妥協を勧めた政府与党の圧迫に野党は屈服してしまった。 家族は特検推薦に関する家族の同意権を最後に、調査権、聴聞会権、特検要請権を持つ特別法立法を泣きながら受け入れるしかなかった。 その日がまさに14年11月7日だった。

しかし政府は非協力権を発動して、特調委の構成にブレーキをかけた。 それがまさに15年1月16日、金在原(キム・ジェウォン)当時セヌリ党院内首席副代表の 「特調委は税金泥棒」という公開的発言から始まった。 これにより特調委は、何と10か月という時間を無駄にし、昨年下半期にやっとまともに発足することができた。 特別法を無力化の絶頂は、政府施行令の奇襲的予告から始まった。 この施行令のために劉承ミン(ユ・スンミン)も捨てられた。 上位法の立法趣旨を揺さぶる政府施行令の弊害こそ違憲だから、 劉承ミンは国会法の改正を野党と合意したことで、大統領拒否権を行使されて追い出された。 いわゆるゴミ施行令と呼ばれる朴槿恵大統領「令」の要旨はこうだ。 「特調委の運営と決定の権能を中立的かつ独立的な民間人で構成された17人の特調委員に与えなければならないという特別法の条項を無力化」するということが政府施行令の要諦だ。 朴槿恵大統領「令」は、 特調委員の下に派遣する高位公務員に、指揮官である特調委員より高い業務企画行政総括権を与えろということだった。

とんでもない事態に家族と市民は怒り、昨年4月16日の1周年に施行令廃棄の戦いは一波万波広がった。 結局、家族と市民の献身的な抵抗で総括権は調整され、特調委17人の権能はかろうじて維持された。 だが朝鮮将棋の終局で王と士は取ったが、政府は車、包、馬、象、卒の相当数を奪って占有してしまった。 そして政府はセウォル号引揚げ無用論を流し始めた。 今回、またセヌリ党の公認を取った春川地方区の国会議員である金鎮台(キム・ジンテ)は「たくさん金がかかるので、セウォル号の引揚げを諦めるべき」だと話した。 金鎮台だけでなく、保守新聞、勢力は、セウォル号の引揚げ放棄論、無用論を展開し始めた。 しかしこれ以上の防御は難しく、朴槿恵は昨年4月16日、彭木港で引き揚げを発表をするほかはなかった。

1周年が経ち、2015年は本格的な政府与党によるセウォル号もみ消しの局面に入った。
政府与党は特別調査委員会の実質的な発足を遅らせた。 昨年の秋夕が過ぎると、特調委は調査申請と開始をなんとか本軌道の出発点にのせることができた。 それまで政府与党は法で15年9月30日の補償申請締め切り期限を定め、 家族を金で整理させようとした。 事実、これが昨年のセウォル号もみ消しのための政府の核心的カードだった。 しかしこの試みはばらばらに崩壊した。 セウォル号犠牲者家族342人は政府の補償を拒否し、国家を相手に訴訟をかけた。 この訴訟で、逆にきちんと補償を受けられなくなるかもしれなかったが、家族は全く揺れなかった。 本当に不思議な被害者集団だという言葉をいつも聞かされた家族。 彼らは中卒、高卒。 大部分がいつも与党に投票していた貧しい工業都市から来た地方の労働者で、それこそ家族のような人たちだった。 一生の望みは、ただそのままで暮らし、おとなしく、そこそこ運が良ければ仲睦まじい家庭を作り、子供たちが大きければ旅行にも行き、 そして結婚する時は、家の資金や家計を助けられればよく、 本当に運が良ければ齢を取って故郷に家族全員が集まることができる家がひとつあればと思うような、普通の家族。 文字通り、私たちの家族のような彼らはみんなが固く団結して、 数年、何十年かかっても諦めないとし、変わることなくいつも私たちの隣りにいた。

家族たちは恒久的な戦いのために社団法人設立を2015年1月に計画したが、政府海水部と国会の不可の方針により社団法人が設立できなかった。 何と1年近くかけて結局、朴元淳(パク・ウォンスン)市長がいるソウル市が、家族たちの社団法人組織の建設を受け入れた。 こうした過程で政府の補償をはじめとする各種の家族への工作が絶えず行われた。 家族を分断しようとする不純な工作は、いわゆる保守言論と勢力による「セウォル号疲労度」の情報操作でひときわ激しくなり始めた。 こうした中、もみ消し作業は世論作りではなく、物理的なもみ消しに転換された。

4・16連帯の押収捜索と朴来根(パク・レグン)常任運営委員の拘束事態は、真相究明運動に対する報復であり、国民に対する強迫だった。 「哀悼はまさに罪」だと宣言したのだ。 朴来根常任運営委員とキム・ヘジン常任運営委員、 そして数百人の市民への召喚状と罰金起訴。 弾圧は強く、これにより実際に真相究明運動は萎縮の危機に瀕した。

特別調査委員会のもみ消し作業も非常に露骨だった。 青瓦台の調査を決定すれば聞けば辞任も辞さないという海水部指示文書の指針がセヌリ党推薦委員に出され、 5人のセヌリ党推薦委員はしっかりと遂行した。 海水部が作成した文書はまさに鳥肌が立つものだった。 適当に協力するふりをして、限度を超えたら妨害しろというのが文書の要旨であった。 それにもかかわらず、被害者家族は屈することなく真相調査申請を強行し、 また特調委は昨年12月に1次聴聞会を開き、政府の救助責任者を証人に召喚し、聴聞会の席に座らせた。 しかし政府与党の妨害で国会の開催をはじめとする地上波生中継など、国民の知る権利は徹底的に無視された。

15年11月の大法院の判決文はきちんと伝えられなかった。 判決文は、殺人罪の適用に焦点が当てられたが、検察の沈没原因の起訴を否決する重大な内容が含まれていた。 「分からない沈没原因」が判示され、大法院も沈没の原因はきちんと明らかにせず、 救助の責任でも国家の責任を問うべきだとされたのだ。 きちんと三権分立が行われている国なら、検察の捜査と起訴には限界があることが明確にわかったので、 直ちに特検を実施しなければならなかっただろう。 しかし憲法が保障する三権分立は、教科書だけの話になってしまった。

昨年12月、民間潜水士への1審無罪の判決も、国家に救助捜索の責任があるのに、 これをまるで民間志願潜水士にあるとして起訴した検察の主張が間違っていたことを立証したのだ。 無罪嘆願署名など、国民の世論に符合する判決で、民間潜水士たちは少なくとも慰められることになった。

そして12月末、4・16連帯は弾圧の中で昨年6月28日に創立してから半年後に4160人の会員数を突破した。 4・16連帯会員になるということは、それ自体が家族を助けることであり、真相究明のために働くことだ。 家族と市民が共に指導部を構成して運営する4・16連帯を萎縮させようとした政府の意図は、結局失敗した。 今年、4・16連帯は2期総会を開き、2016年の政府与党のいわゆる「セウォル号もみ消し」に正面から対抗する準備をして、2周年の黄色いリボンの波を準備している。

2016年、そして記憶と約束の力

今年2016年、セウォル号もみ消しの絶頂は、特調委の解体と引揚げの主導権を通じてあらわれることになるだろう。 特調委はその実質的な構成と調査が保障された時点は昨年下半期であった。 これにより、特別法が保障する合計18か月の調査期間で計算すれば、特調委は少なくとも年末・年初までは調査ができるはずだ。 しかし政府は今年の6月までだと釘をさしている。 政府は昨年の1月1日が開始だと言い張っている。 ところが特調委の任命状伝授授与は昨年3月9日に行われており、 最初の予算の支払いは8月で、調査官採用はその後だった。 政府の意図は明らかだ。 7月〜8月に予定されたセウォル号引揚げの前に特調委調査を解体させることで、 引揚げ後の詳細な調査と証拠保全に関する事項を政府主導で管理することができるのだ。

現在、特調委が二回の要請権限により国会の議決を要求している特検も同じだ。 与党は政府が主張する特調委の調査期間中に特検を処理する意思がないことを今回の2月の臨時国会ではっきりと見せた。 特検の動力を失なわせる意図は明らかだ。 19代の国会で、与野は文書で合意した。 特検を行うこと、特検候補に関する推薦合意事項まで。 5月30日が19代国会の最後の期限だ。 しかし特検のための本会議が開かれるかどうかはわからない。

今年の核心政局は、引揚げをめぐるセウォル号の終結の構図かもしれない。 政府はセウォル号引揚げ後の詳細な調査で、特調委をはじめとする民間人と家族を排除したり制限した後で、 セウォル号の保存処理も政府主導で処理し、それで合同告別式をしてセウォル号の終結を宣言しようとするかもしれない。 セウォル号もみ消しの最後の王手だ。 何も明らかにならず、政府の責任者は誰も処罰されず、その上、国家情報院の通話記録、指摘事項が出てきても、その癒着は捜査もされない状態でのセウォル号の終結は有り得ず、 何年かかっても必ず真相究明と責任者の処罰がなされなければならない。 これがまさにセウォル号惨事以前には戻ることができず、 窮極的に国民がきちんと国民としての扱いを受ける安全社会に行こうとする私たちの約束だった。

私たちの記憶は生きている。 青瓦台と政府庁舎を前にした光化門416広場と安山合同焼香所、記憶保存所と檀園高校記憶教室、彭木港焼香所と東巨次島の監視テントまで、セウォル号の現場は健在だ。 惨事の現場を守り、記憶しようとする家族の涙ぐましい献身と犠牲は変わることがなく、 これを支持し、その隣で連帯する市民の行列も絶えない。

こうした記憶は惨事の現場に関係がある場所だけではない。 国内約100の拠点と世界的な拠点で、市民と海外在住韓国人の記憶は満2年になる今も消滅したり小康状態ではなく、 相変らず持続性を持つ各種の措置が試みられており、 長期にわたるための連結と方案へと深化発展することを指向している。 黄色いリボンの分け合いとピケッティング、署名をはじめ、宗教儀式、映画鑑賞、文化芸術的拡散など記憶の力は、そのままでさらに発展することを自ら要求している。 記録と研究は市民に広がっており、多様な力により真相究明を研究し拡散する努力は、 416家族協議会、特調委、4・16連帯だけでなく、市民の力で多様化、多角化している。 これらすべてがまさに4.16運動であり、4.16記憶と約束の力だ。 今回の総選挙でも4・16連帯は4項目の約束議題を提示して、記憶して、審判し、投票することを訴えた。 共に民主、国民の党など、各政党が約束し、450人ほどの候補者も約束をした。 セウォル号放言候補者の情報公開をはじめとする落選候補も選定され、 またセウォル号真相究明のための候補を支持もした。

このようにひどくて悪辣なもみ消し、隠蔽の作業はすでに歴史で経験したことがある。
80年の光州の虐殺をなくそうとするその暴圧は、今とは較べることができない。 もちろん、21世紀はさらに巧妙になって、撹乱も大変精巧に行われている。 80年代を記憶するための学生と国民のすさまじい闘争をわれわれは忘れることができない。 スライドを、ビデオをこっそりと見て、涙を飲み込みながら、忘れずに必ず審判すると約束した長い歳月の末に、二人の元大統領を審判台に立たせ、 死刑と無期懲役を求刑することができた。 われわれは、こうした歴史的な過程から学んだことがある。 だからわれわれは4・16連帯を結成し、4・16連帯の大学生部門組織も建設することを準備している。 80年の5.18がやっと2015年に真相究明、責任者の処罰ができたとすれば、 2014年の4.16セウォル号惨事はそれよりは早くなければならない。 これが歴史的使命だといえる。 繰り返してはいけない。 歴史は国民の力で発展するからだ。 セウォル号惨事を解決できなければ、われわれは地獄に行くという絶叫を絶対に忘れてはいけない。 「言われるまま、じっとしていません!」、 「最後まで真実を明らかにします!」、 「連帯します!」、 「行動します!」 これがまさに国民の叫びであり、4.16運動の綱領である。

付記
この文は釜山経済大民主同窓会のニュースレターに寄稿された文です。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-04-18 04:22:01 / Last modified on 2016-04-18 04:22:02 Copyright: Default

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