韓国:朴元淳、竜山惨事生計対策合意の履行を約束 | |
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朴元淳、呉世勲の時の竜山惨事生計対策合意の履行を約束惨事6年追悼式、展示会を開催...ソウル市、惨事記録博物館計画を発表
キム・ヨンウク記者 2015.01.21 09:10
2009年1月20日、警察が竜山4区域撤去民の櫓を鎮圧する過程で火災が発生し、 撤去民5人と警察1人が死亡した竜山惨事6年をむかえ、 追悼式と竜山惨事を記憶する追慕展示会が開かれた。 特に展示会の開会式には朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が参加して、 2010年に呉世勲(オ・セフン)市長の時にソウル市と竜山惨事対策委が合意した生計対策の約束を守ると述べた。 朴市長はまた、竜山惨事記録報告書と博物館建設等を通じ、 惨事の記憶をしっかり記録して都市再生パラダイムを変えるとも述べた。 1月20日正午、京畿道の磨石牡丹公園で約100人を集めて進められた6年目の追悼式には、 11日に出所したナム・ギョンナム前全国撤去民連合議長が初めて追悼式に参加した。 ナム・ギョンナム前議長は竜山惨事の時に櫓の座り込みを主導した容疑(特殊公務執行妨害致傷)等で起訴され、 懲役5年の刑を受けて満期出所した。 ナム・ギョンナム前議長は惨事の時に亡くなった5人の烈士の名前を呼びながら 「こんなに遅くきた罪人が、あえてあなたたちの名前を呼ぶ」とし 「くやしく、うらめしいあなたたちの恨と名誉を解いて、真相究明をすることがわれわれ生きている者たちの役割だが、 まだ私たちの力が足りないようだ」と残念がった。 遺族のチョン・ジェスク氏は 「私たちの気持ちは2009年1月20日のあの時間のまま留まっている」とし 「竜山惨事から6年経ったが、一つも変わっていない。 真相究明と責任者処罰のために、さらに熱心に走る」と話した。 竜山撤去反対闘争に連帯するためにきて死亡した巡和洞撤去民、ユン・ヨンホン烈士の遺族、ユ・ヨンスク氏は 「夫が亡くなり、私たち撤去地域の巡和洞は7年間空地だったが、昨年工事を始めた」とし 「今、18日にテントを張って巡和洞闘争を始めた。 私たちの夫があれほど望んだ巡和洞闘争に必ず勝利する」と連帯を訴えた。 6年目の追悼式が終わり、午後4時にはソウル市市民庁地下1階ギャラリーで 竜山参事6年追慕展示会の開会式が行われた。 開会式に参加した朴元淳ソウル市長は遺族たちを慰労して 「竜山惨事の過程にはソウル市の責任もなくはない。 過去をきちんと反省して省察し、竜山惨事のような記憶が繰返されないように、 遅くなったがソウル市が動こうと思う」とし 「何よりも後代に残す記録報告書を一つの博物館に作る考え」と明らかにした。 ソウル市は今年中に遺族、学界など多様な意見と竜山惨事前後の過程などの関連資料を集めて白書を製作し、 白書の他にもソウル市が構想している都市再生博物館の一部を竜山惨事関連の独立した博物館にする計画だ。 朴市長は続いて「竜山惨事の遺族とその当時約束したことの一つが (竜山撤去地域工事現場の)ハンバ(工事地域専用食堂)を差し上げることにしたが、 今は工事が行なわれておらず実行されていない」とし 「だがこの地域でなくても、他の地域にハンバを作って差し上げれば、 少なくとも生計保障になるのではないかと考える」と話し、合意の履行を約束した。 朴元淳市長と会った席で遺族のユ・ヨンスク氏は、 巡和洞地域の問題に関心を持ってくれとし、要求事項が入った文書を朴市長に伝えた。 今回の6年追慕展示会は、 写真家ノ・スンテク、チョン・テギョン、ドキュメンタリー監督キム・イラン、イ・ヒョクサン、版画家イ・ユニョプ、彫刻家ナ・キュファン、デザイナークォン・ジュノ、美術家チョン・ジンギョン、プランナー文化連帯シン・ユア氏が参加した。 展示会は来る25日まで開かれる。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2015-01-22 03:14:09 / Last modified on 2015-01-22 03:14:10 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |