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韓国:セウォル号、2014年5月8日の夜から9日の朝まで
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セウォル号、2014年5月8日の夜から9日の朝まで

[パク・ビョンハクの文を書く、生を書く]われわれは人間だ、道路で悩もう

パク・ビョンハク 2014.05.09 18:31

この文を書くためにコンピュータの前に座った今の時間は朝の五時五十八分だ。 夜中ずっと起きていたが、どこかに横になって眠らず、あえて文を書くためにこうしている理由が何なのか、私にもよくわからない。 この文をすべて書いたらわかるかもしれないが。

昨日、つまり5月8日の晩、私は光化門にいて、汝矣島のKBS本館前に立ち寄って、また光化門に戻り、結局、青瓦台に通じる町角で朝の太陽がのぼるのを見た。 初めから文を書こうとしたのではなく、手帳を出すこともなく、カメラを向けることもしなかったので、私が見たり聞いたりしたこと、本当にあったことと、すべて合っていないかもしれない。 それで、混乱したりよくわからないことは、すべて除いて書くことにした。(写真はカラーTVの活動家が撮影したものを借りてきた。)

光化門に着いたのは、夜八時半ぐらいだった。 腐り切った人間どもの手で殺されたも同然の子供たちのために、私たちができることは何か、過ちを犯した人々がいるのなら、彼らとはどう戦うべきかを話す場だった。 イベントを準備した人々が掲げた「万民共同会」という名前にふさわしく、さまざまな人々が舞台にあがり、自分が言いたい話を多くの人々の前でさらけ出した。 資本主義を打倒しなければならないという人もいたし、労働党も進歩党もみんな途中で止めて、新しい組織を作るべきだという人もいた。 しかしそこに集まった人々は皆、朴槿恵(パク・クネ)大統領を引き下ろすために青瓦台に行こうと同意を集めた。

青瓦台の話が出てくると、近くに並んでいた警官たちがどっと押しかけてきて、少しずつ人々を取り巻き始めた。 セウォル号の遺族らが安山からソウルにきているという知らせが聞こえてきた。 ソン・ギョンドン詩人が青瓦台に行こうと声を高め、万民共同会は終わり、壁のように立ち続けた警官と対抗しようとする人々がシュプレヒコールをあげながら、前に飛びかかった。 残りの人々は青瓦台に通じる別の道を探し、そこを離れた。 私は人々について景福宮駅側に歩き始めた。

もちろん、景福宮駅側は警官たちが針一本刺す隙もないほどに立っていた。 怒りに勝てなかった人々が警官たちに激しい言葉を浴びせながら指差して講義すると、少し長くいたような警察一人がまばたきもせず他の道に回れと仕返しした。 その頃、私は遺族らが来ているという汝矣島KBSに向かった。

バスからおりると十一時頃だった。 先週の金曜、私はKBS前でキャンドルを持って官製放送は退けと叫んだ人々の一人だった。 水曜にはMBC前で同じシュプレヒコールをあげた。 あまりにも明らかな嘘が、あまりにも当たり前のように行われていた。 公営放送という言葉ははるかに遠い昔の神話の中にでも出てくる、何か優しい神の名前のように感じられた。 一言で最悪の状態だった。 大統領を持ち上げて、大統領の表情だけを見て、大統領のための報道だけを送りだす人間どもが放送局をすっかり掌握していた。

そんな渦中で、KBSのキム・シゴン報道局長は、交通事故で死ぬ人と較べればセウォル号事故で死んだ人は大したことではないと無駄口をたたいた。 遺族らは直ちにキム・シゴンは安山にきて謝罪しろと言ったが、報道局長はKBSの中に閉じこもり、びくともせず、結局遺族らが高速バスを借りて汝矣島にまで来ることになった。 そうでなくてもKBSの偽りの報道で傷つくだけ傷ついた遺族だった。 私が先週の金曜にKBS前で叫んだスローガンの一つはこんな調子だった。 「官製放送が子供たちを殺した。」

KBS前に行ってみるのと、すでに本館は警察バスがぐるっと取り巻いて、壁になっていて、 遺族の1人がそのバスに上がってシュプレヒコールをあげていた。

「報道局長は出てこい!」
「お前たちは、それで言論か!」

冷たい夜風の中、毛布をかぶった遺族たちが群がって座り、大学生と思われる若い人たちも眼についた。 そして残りは記者たちだった。 遺族らは、偽りの報道ばかり続ける報道機関の記者を一人二人とその場から追い出した。 TV朝鮮、チャンネルA、YTN、聯合ニュース、MBC、SBSの記者は、遺族があらゆる放言を浴びせられても、何の返事もできないまま、一人一人荷物をまとめて逃げた。 しかしJTBCの記者が現れると、人々は手を打って歓迎した。 ニュース打破とファクトTV、国民TV、オーマイTVの記者も遺族の間に困難なく混ざった。

遺族らは、遺影写真一枚をしっかり胸に抱きしめていた。 それぞれの額縁には制服を着たあどけない顔が一つずつ入っていた。 遺影を実際に見ると、突然息がつまった。 私は学校で数年間、教師をしていたので、あの年頃の子供たちが放つ明るくさわやかな気勢がどんなものか少しわかる。 ところがあの額縁の中の子供たちは、もうこの世の中にいない。 騒乱の中で額縁を失ったある遺族がやっと額縁を取り戻すとすぐ、子供の顔に口をつけ、胸に抱く姿を見た。 まともに息ができなかった。

遺族代表団がKBSの中に入り、報道局長と社長に会うといった。 警察バスが少し退き、石膏になったように身じろぎもしなかった警官たちが、人が通れる暇間を見つけてくれた。 遺族が警察側に大声をあげた。

「私たちが安山からここにくるまでに一時間しかかからなかった!
それなのにもうこうしていっぱいになっている!
お前たちが珍島でこうしていれば、子供たちを全員助けられた!」

その言葉に他の遺族も正面から受けて大声をあげた。 あちこちから悪態があがった。 何人かの記者がたっぷり悪口を言われて現場から追い出された。 私はこれほど悲しい悪態を今まで聞いたことがない。 自分の命よりも愛する子供たちを失った遺族らは、子供たちが死のうが生きようが、ただ政権を保護することだけに気を遣う報道機関に歯ぎしりしていた。 それは明らかに悪態だったが、なぜ私たちを助けなかったのか、なぜ子供たちを助けられなかったのかという壮絶な叫びでもあった。

遺族代表団がKBS本館に入ったが、しばらく待っても出てこなかった。 遺族が望んでいたのはたった一つのことだった。 報道局長と社長が遺族の前で謝罪して、二度とそうした放言と歪曲報道をしないと約束すること。 しかし二時間ほど後で、疲れたようすで本館から出てきた遺族らは、そんな話を聞かせてくれた。

報道局長と社長会いに行くと言うと、出入証が必要だと言われた。 またいちいち出入者リストを作成しなければならないといった。 それで、私たちはKBSに見学にきたのではないと言うと、とにかくそれが手続きだといった。 それでロビーに座っているから、その人たちが降りてこいといったが、実際に降りてきたのは報道本部長とスポーツ局長、解説局長といった人たちだった。 あなたたちとする話ではない、どうせあなたたちは私たちが何を話しても上に報告するというのではないか、今すぐ社長と報道局長が降りてこいと言うと、分かったと言って待つように言われた。 それで待っていた。しかし降りてこなかった。 報道本部長は報道局長の電話番号も知らなかった。 報道本部長が社長の電話番号も知らなかった。 秘書室を通さなければ連絡できないといった。 これで話になるか。 報道本部長にキム・シゴン報道局長の妄言の責任が取れるのかと聞くと、本当にそんな発言をしたのか真偽を把握すると言う。 今になって何が真偽の把握か。

他の遺族が前に出てきてこんな話を聞かせてくれた。

明らかだ。 こうして時間稼ぎをすれば、私たちがますます興奮することを、そして興奮に勝てず、乱暴なことをするのを望んでいるのだろう。 そして私たちが青瓦台に行くかもしれないという話が今頃広まっているので、政権によく思われたいKBSは、ここで時間を稼いで私たちが青瓦台に行く時間を遅らせているのかも知らない。

いつのまにか午前二時を越えた。 社長と報道局長が本当にKBS本館のどこかにいるのかどうかも分からなかった。 ある遺族が前に出てきて話した。

「なぜ私たちがこんな接待を受けなければならないのですか? 子供たちの遺影を持ってここにデモをしにきたのですか? われわれはただ真摯な謝罪を受けたいだけです。 ところが私たちを待っていたのは警官たちでした。 KBSの社長は私たちを国民とは見ていないようです。 一度聞いてみたいです。私たちは国民ですか?」

遺族らはKBSに向かって泣き叫んだ。 私たちが国民ですか? その涙混じりの叫びを聞いていると、足もとが深い虚空の下に消えたように足がふらついた。 ある遺族が抱いていた遺影をぼんやりと見下ろしながら、額縁の中の顔をやさしく撫でていた。 私は泣くまいとぐっと唾を飲み込んだ。

ついにKBS側から報道局長は謝罪をしないことにしたという便りがあった。 遺族の顔が冷たく凍りついた。 すぐ遺族代表団が出てきてこう話した。

「私たちの要求事項を変更します。 KBS社長は公開謝罪をして、その謝罪内容を報道して下さい。 そしてキム・シゴン報道局長を即時罷免して下さい。 しかしこうした要求はここでは全く受け入れられません。 ですから私たちは今から青瓦台に行きます。 そこに行って朴槿恵大統領様と話します。 大統領様ならきっと私たちのことを聞いて下さることと信じます。」

遺族らが手をたたいた。 共に集まっていた人々も遺族たちに頑張れと、最後まで応援すると大声で叫んだ。 道端に止まっていた高速バスにまず遺族が乗って、残り人々が後で乗った。 高速バスに乗ることができた私も青瓦台まで行くことにした。 バスの中でこう考えた。 KBSの偉い人たちは、遺族らも、そこに一緒にいた他のすべての人々も、国民とは見なかった。 いや、人だとも見なかった。 だから私もあいつらを人とは見ない。 人の仮面をかぶった他の何かだと感じる。 赤い血ではなく、冷たく湿っぽい何かが血管を流れる、人間ではない存在、いや、決して人間とはいえない存在だと断言する。

バスは光化門で止まった。 遺族らは光化門から三列から四列に並び、清雲洞住民センターまで行進していった。 あちことに走る警官たちの姿が見えた。 私は一度も青瓦台に行ったことがなくて知らなかったが、清雲洞住民センターの前がすぐ青瓦台の目の前だという。 路地ごとに互いにしっかり腕を組んだ警官たちが一列に並んでいて、住民センターの前は完全に警察バスで封鎖されていた。 バスで塞げない狭い町角には、やはり警官たちがマスクをつけたまま立っていた。 遺族らはこれ以上進めず、遺影を胸に抱いたままその場に座った。 記者が休む暇もなくパシャッとフラッシュをたいて、私はこんなに多くの記者が世の中にいたことをその時初めて知った。 子供を失い、今すぐにでも倒れそうな人々に、平然とカメラを突きつけることができる記者こそ本当にすごいと思った。

反対側の道も警察バスで塞がれていたが、バスの向こう側で、誰かが人々がシュプレヒコールをあげていた。 さっき光化門でずっと警官たちと対峙していた人々だった。 バスの反対側で警官たちに取り巻かれて足止めをくっているという。情けなかった。

青瓦台に通じる角がまた騒がしくなったので、そちらに行ってみた。 そして私は死ぬまで忘れられない光景を見ることになった。

お母さんたちが警官たちの前でひざまずいて座っていた。 警官たちに遺影が見えるように両手で真っ直ぐに立てて持つお母さんたちは、悲しそうに泣いていた。 私たちが悪うございました。お願いですから道を開けて下さい。 私たちは何も力がありません。 お願いですから道を開けて下さい。 大統領様と会ってさし上げたい言葉があります。 他のお母さん1人が怒った。 なぜ私たちが悪かったというのですか? 私たちが何か悪いことをしましたか? すると警官たちに赦しを請うていたお母さんが話した。 警官たちは何も悪いことをしていないから、このようにここに立っていられるのでしょう。 私たちはとても悪かったから、子供たちを先に死なせてしまったから、こうしてお願いしなければならないのでしょう。 私たちが悪いことをしたから、私たちがこうしなければならないのでしょう。

私は泣くまいとぐっと唾を飲み込んだ。 いったいこれが何か? 私が今、何を見ているのだろう? すると怒ったお母さんが今度は警官たちに叫んだ。

「自分の子供が死んで帰ってくることを望む気持ちがどんなものだか分かりますか? 事故の後、最初の何日間はそれでも希望がありました。 ところが一日、二日、三日と経ち、そんな希望はすべて消えてしまいました。 まだ子供が見つからない両親は、子供が死んでも帰ってきた親を羨んでいます。 分かりますか? 子供が死んで帰ってきた親をうらやんでいるのですよ! とても申し訳なくて、子供は見つかったかと聞くこともできない! 私たちは死んだ子供を捕まえて泣きながら、すまないと思わなければならないんです! そんな気持ちが分かりますか? 私たちがいったいなぜ、すまないと思わなければならないのですか?」

警官たちを見た。マスクをしたまま目だけを出している顔が少しぴくぴくさせていたような気がした。 赤くなった瞳に水のようなものが溜まっていたような気がした。 私が見間違えたのかも知れない。 確実なことは、警官たちの前で子供を失ったお母さんたちがひざをついて道を開けてくれと拝んでいたことだ。 遺影が入った額縁の裏に子供たちの名前が見えた。 今はこの世の中に生きていない彼らの名前が。 私ができることは、反対側の道端に行ってとめどなくたて続けにタバコを吸うことしかなかった。

そばで長々と道を塞いでいる警察バスの前に映写幕が立てられた。 子供たちが携帯電話で撮影した動画を見せるという。 そこに集まっている遺族らも、まだ見たことがない映像だというので、つい最近確認した映像らしかった。

映像が流れ出るとすぐ、子供たちが騒いでいる声が聞こえた。 船が沈もうとしている中でも楽しく笑いながら騒いでいた子供たちの姿が見えると、遺族たちの背が一度に折れた。皆が泣いた。 遺族ではない他の人々も、記者も、私も泣いた。 泣くしかなかった。 ある映像では90度に傾いた床をのろのろとはい上がる子供たちが出てきた。 泣き声が高まっていった。 ある映像では笑いながら話す子供たちの中で、とても怖いと涙混じりの子供が出てきた。 ある映像では生きて会おうと挨拶する子供が出てきた。 知っている子なのか、映写幕を指しながら、名前をいう遺族がいた。 深い夜、静かな通りが泣き声で埋め尽くされた。

映像の中の子供たちは、あまりにも鮮明で、あまりにも普通だった。 手を伸ばせば頬に触ることができそうだった。 つねればアッと大声を出しそうだった。 しかしその子供たちは、もうこの世の中にいない。

映像が何時何分に撮られたのかさえ分かれば、政府と海上警察の救助作業(?)がどんな方法で子供たちを死に追いやったのか、 誰がその死の責任を取るべきか、遺族はもっと多くの話ができるだろう。 しかし遺族代表団は撮られた時間を公式に確認していなかった。 さらに時間が必要のように見えた。

その後、数人の遺族が出てきて言いたい話をした。 遺族らは大層な何かを望んでいるのではなかった。 真相究明と責任者処罰。 子供たちの死を無駄にさせないようにするには、それだけでも充分だった。 ただ大統領を引き下ろそうというスローガンに少し慎重な反応を見せる遺族がいた。 色々な団体に振り回されたくなかったからかもしれず、何としても大統領が動かなければ真相究明と責任者の処罰は難しいと考えたからだったかも知れない。 しかし光化門の万民共同会で集められた意は、明らかに朴槿恵大統領退陣だった。 おそらく遺族らも各々みんな異なる悩みを抱いているだろう。 まだ行く道は遠いのだ。

五時を越えると、東の空がますます明るくなってきた。 5月だが、夜風は冷たく、ふうっと息を吐くと白い息が出てきた。 遺族らは毛布をかぶったままぶるぶると震え、私は立て続けにタバコを吸いながら、空腹と寒さを忘れようとした。 子供の遺影を見て、また見る遺族らを見ていると、私も家にいるお母さんに会いたくなった。 父母の日なのに家にも帰らず、路上でタバコなんか吸っているとは。

「私たちが今ここにデモしにきたのですか? 子供たちの遺影を持ってデモをしにきたのですか? 違います。 私たちは大統領様に会って訴えるためにきました。 私たちの話をお願いですから聞き入れてくださいと申し上げにきました。 明るくなったので、大統領様が私たちと会って下さるまで、ここでがんばりましょう。 今日できなければ、安山からもっと多くの人々が来てくれるでしょう。 その時は、私たち遺族ら全て、喪服を来て遺影を抱いて青瓦台に行きましょう。 大統領様の所に行きましょう。」

遺族代表団の話を後にして私はそこを離れた。 この時間に家に帰るのではなく、とにかく出勤はすべきだった。 その代わりに知っている先輩の作業室に立ち寄って、出勤時間前まで文を一本書くことにした。 何かを書かなければ胸が張り裂けそうだった。 警官たちの前でひざをついて泣いたお母さんたち。 遺影の中できらきらする顔。 記者に浴びせられた悪態。 謝罪どころか姿も見せないKBS報道局長と社長、また一日中ニュースで見ることになる大統領の顔。 それら全てのおかげで息がつまった。

もう九時を過ぎた。 出勤するなら今起きなければならない。 文を書き終える今になって、私がなぜこの文を書き始めたのか分かった。 たった今話した通り、何かを書かなければ耐えられなかったからであり、 もう一つは、申し訳ないと、大人たちが悪かったとオウムのように繰り返しながら、 流行のように黄色いリボンをSNSやモバイルにつけても、いざ街頭に出てこない人々の心を苦しくさせたかったからだ。

今は怒りを越えて、行動しなければならない時だと考えているのか? ところでいったいどんな行動を、どうすればいいのか、よくわからないのだろうか? わからないのは当然だ。 そのわからないことの歴史が、まさに人間の歴史だといってもいい。 われわれは何もわかっていない。 果てが見えない悲しみと絶望に勝ち抜くために、何をしなければならないのか、われわれは何一つ知らない。 しかし何を知らないのかよりずっと重要なことは、どこでを知らないことだ。 道路に出てきても答はない。 われわれは答えを見つけるために道路に出てこなければならないのではない。 私たちが街に出てくる理由は、悲しむ人々の声を聞かなければならないからだ。 遠くからではなく、近くで。

私も私がいったい何をするべきなのか、まったくわからない。 大統領一人を引き下ろしても、全てがうまく解決するとは思わない。 首をはねなければならない残り滓のような利己主義者のような存在と、 そんな存在が作った凄じい罠が、世の中にはあまりにも多い。 何をすべきなのか私たちは一緒に悩んでみよう。 部屋の中ではなく、職場ではなく、インターネットではなく、SNSではなく、道路で。 明日5月10日の土曜、安山でキャンドル集会がある。 安山でなくても、この国のあちこちでキャンドルがともされる。 われわれは人間だ。 道路で悩もう。 悲しむ人々の声を近くで聞こう。 それはまさにわれわれ自身の声でもある。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-05-10 09:23:50 / Last modified on 2014-05-10 18:33:01 Copyright: Default

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